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『月の迷宮』  (第1巻) 「禁断の塔の戦いへの叙事詩より」  作者: nico


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35 第九章 『銀色の狼』 その2



「どうしたの、マンザ・・」

「サアラにまた、振られたのか」

 椅子が飛んだ。

「何するの・・!」

「ほっとけ、あいつ狂っちまったんだ・・」


 酒場での喧嘩の日々。

 耳に入るちょっとした言葉にさえ、マンザは過剰に反応する。

 サアラを憎み、自分自身を嘲り、ヨウにさえ裏切られた気持ちを抱いた。

 もともと好きだった酒を、浴びるように飲んだ。

 その以前は甘かった液体の一滴一滴が、身体を巡る血管に得体の知れない毒として流れ始める。

 ・・平和で美しい春の森に、どこからか不和が入り込んだように・・。



「マンザ・・ミタンに行くって」

「ああ・・」

 

 

 そんな酒浸りの日々が半年近く続いた或る夜、満月の夜。

 マンザはいつものように酒に酔っていた。その手に酒瓶を持って、フラフラと千鳥足で歩いていた。

「・・ミタンに行って、このマンザさまは、兵隊になるんでございますよ・・」

 ブツブツ独り言を呟きながら、その足はいつしか森の外れに向かっていた。

 集落から離れた森の外れ、月が明るく輝いていた。

「・・出ます。出ますよ・・ああ、出てやらあ、こんな村!!」


 灯りが見えた。

 その光に誘われるように一歩前に出た足が縺れ、身体ごと前のめりに放り出された。

「ハッ、なんてザマだ・・!」

 マンザは自嘲気味に呟いた。

 

 ふと、上空を仰いだ。・・満月・・。

 その近くに、いつの間にか厚い雲が出現していた。見る間に流れて月を覆った。その雲間から覗く月が・・赤い。

 暫くその光を見つめていたマンザの心の中で、一瞬、何かが閃き・・崩壊した。


(・・なんで、俺じゃァいけねえってんだ・・)


 

 マンザはサアラの家の前まで来ると、勢い込んだように戸口をドンドンと叩いた。

「・・開けてくれ・・サアラ!」

 何事かと窓から様子を窺うサアラの目が、驚いたように見開かれた。

「開けてくれ・・開けろ・・!」

 半分蹴破ったような具合で開いた扉・・その向こうに立つサアラ。

 ・・久しぶりに目にしたその姿に、妄想の中の妖艶な娼婦が・・美しい森の精霊に変わる。 


「サアラ・・い、一体あいつは、誰なんだ・・!」

 息を呑んだようなサアラの表情に、マンザの朦朧とした頭の中で呪文のような思いが湧きだす・・なんで、俺じゃァ・・。

「・・俺だって・・分かってんだろう・・」

 差し迫ったマンザの手がサアラの腕を掴んだ。


「・・マ、マンザ・・」

「・・いいかァ、俺もなァァ!」

「・・目・・目が・・」

「何だってェ・・ええ、目が何だァ・・?!」

「・・あか・・い・・」

 押し出すような声が・・消えた。

「酔っぱらってるてかァ?!・・酔ってるてかァ・・!?」

「・・ち・・違う・・」

 ・・マンザの目じゃ・・ない・・マンザの・・。


 マンザの中で何かが閃き・・崩壊した。

 もう一方のマンザの手がサアラの細い滑らかな首筋に触れ、いたぶるようにその指でなぞった。


 ・・春の森の愛娘、森の精霊の贈り物・・決して起こるはずのなかったこと・・でも本当は・・誰にでも起こりうること。決して起こるはずのなかったことは・・。



 その時・・一匹の大きな獣が、蹴破られた戸口から飛び込んで来た。

 そしてアッという間に、一時の嗜虐的な思いに捉われた男の喉元に襲いかかり、一瞬のうちに噛み殺した。

 それはそれは、見事で、鮮血をパッと辺りに飛び散らすなどという無粋なことはせず、まるでその喉元を愛撫するように流れ出す液体を・・飲み干した。

 それから、ゆっくりと真っ赤に染まった牙を放すと、何事もなかったように出ていった・・銀色の狼。


 ・・ショックで放心したようにその場に座り込んでいるサアラの耳に、暫くして囁くような声が聞こえた。ぼんやりとした表情でその声がした方を眺めると、いつの間に入って来たのか、すぐ側にシャールが立っていた。


「大丈夫かい・・サアラ」

 その声は、今度ははっきりとサアラの耳に届いた。

「・・ひどいな」

 シャールは床に転がる男の死体を見てそう言った。

 しかしそれは単にその場に相応しい言葉だから言ったまでのようで、その表情には、それに相応しい何の反応も見られない。

 それから、荷物でも片付けるようにサッとその死体を担いで出て行った。


 そのシャールが何処かに行って暫くして戻って来た時にも、サアラはまだ放心したまま暗い部屋の中に座り込んでいた。

 シャールは無言のまま、何もなかったかのように傍にあったショールをサアラの肩に掛けると、立ち上がらせてそのまま外に連れ出した。


 その腕には性急な、そしてどこかいつもとは違う奇妙な力強さが籠もっていた。

 促されるまま歩いていたサアラは、フト目を上げて、その横顔を見上げた。その口許は明るい夜の光を受けて、濡れるように光っている。

 サアラの凝視に気づいたのか、その唇の片端が心持ち、上がった・・。


 常春の森の夜は、さほど冷え込んではいない。

 しかし先程からゾクゾクとした悪寒を覚えていたサアラの身体は今、全ての血流が止まったように冷え切っていた。

 

 そんなサアラを、力強いその男の腕はまるでもう一つの荷物を運ぶように、より深い夜の森の、より深い夜の泉へと・・誘っていた。


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