Disc1 Track 5 国歌
屋敷の門を潜り抜けた私は、手で押してきた自転車に跨り、ペダルをこぎ始めた。『井戸端会議』に花が咲いてしまい、少しだけ急ぐ必要があるのだが───この先の下り坂を全力で駆け降りてしまうのは流石に危ない。
蜜柑の皮を剥く程度の握力で、ブレーキのレバーを軽く握りながら私は屋敷が建設されている丘の頂上から100mほど伸びるその坂をゆっくりと下り始めた───この坂を下り終えると大通りに出る。
その後、無事坂を降り終えた私は平坦な大通りを道なりに進む。その後しばらく自転車を漕いでいると……信号に捕まったので、ブレーキを踏んだ。
「ふう……」
ふと、右手に巻いた腕時計に視線を落とす。思ったより余裕をもって、大学に着きそうであった。 「いつもより遅い時間に家を出た時の方が、何故か早めに着く」───『日常あるある』だ。
膝丈ほどの高さがあるロングブーツは結構重たい。片方だけで1.0kgくらいあるのではないだろうか?? 「よいしょ……」という小さな掛け声と共に、錆で腐食しているガードレールに左足の靴底を乗っけて、休憩ポーズをとる。
何気なく首を捻って、右を向く。
4車線道路の向かい側───歩道のすぐ脇に聳えている、ところどころがひび割れている石段を10mほど登った場所には……深い湖の底を彷彿とさせる青色で塗られた大きな鳥居が構えられている。ちなみに階段の両端に連なっている灯篭もまた同じ色で塗られている。
その鳥居を潜り抜けた先に敷かれている幅3mほどの石畳の両端には……
『おこのみやき!!』、『たこやき!!』、『ねこやき!!』などなど……ひらがなで、でかでかと書かれた看板を構えた出店が所狭しと並んでいた。平日の真昼間だというのにすで観光客でごった返している……ん?? ……待って……『ねこやき』?? ……えっ?? ……『ねこ』って、あの『猫』?? 食べちゃうの??
「そっか……もう『そんな時期』か……」
ルーサン帝国では年に一度、10月の中旬頃になると、“魔天祭”と呼ばれる祭事が行われる。神社では“魔天祭”の準備が行われていたのだ。「どんな祭りなのか?? 」──と問われると少し返答に困るのだが、
「来年も、我ら“常闇の大地”に生きる民に、安らかな闇の加護を賜りたまえ!!」
といった具合に、何らかの祈祷を神主が行うことで、1年の繁栄を祈る祭りだ。 ルーサン帝国は『宗教国家』であり、かつて神に抗った“堕天使”を崇拝する宗教が存在する。
もちろんそんな“堕天使”が実際に存在していたかどうかは眉唾ではある。しかし、この国では、『史実』として───歴史の教科書にも取り上げられている。 私はスピリチュアルなことに関しては疎い方ではあるが、こういった“伝説”を真っ向から否定するつもりはない。
実際、「信じるものは救われる」──とはよく言ったもので、敬虔な信者たちは“堕天使”より恩寵と呼ばれるものを賜っているらしい。
今、休憩を決め込んでいる私のすぐ隣の歩道では、買い物かごを片手に40代くらいのご婦人二人組が世間話に花を咲かせている。ここで、その内容に耳を傾けてみよう。
「今年は宝くじに当選したの……!! ………おかげで、新車を一括払いで購入することができたわ!!」
「まあ!! いいですわね!! うちも旦那が『尿路結石』だって診断されて、「手術しないといけない」──って医者に診断されたんですけど、その日のうちにトイレで、小さい方をしていたら……「コロッ!!」って出てきたの!! 」
「「毎日毎日、お祈りを欠かさなかったからですわ!!! 」」
───ほらね。
近代文明が発達した、現代のルーサン帝国においては『魔法や呪文』──に相当するほどの「超常的な力が存在する」とは流石に言い切れない。
しかし、現代科学でも説明できない現象や力などは───日常の一部として、受け入れられており、信仰を軸とした『統治』は伝統として大切に受け継がれている。
ただ一方で、朝食の準備の場面で私が言及した『お寺』と呼ばれる───別の宗教に関する建物も存在していたりなど……割と懐が深い一面もある───この“ルーサン教”は。
………………
──場所は変わって、大学にて
「えーとですね……ここがですね……さっき言ったあれですね……衛星なんですよ。それでね……えーこいつがですね……この……衛星が……惑星の周りを……「ぐるぐる」っと回ってですね……まあ回ると言ってもですね……回るというのは……公転と自転がありまして……えー……」
現在は二時間目の授業の真っ最中───『惑星科学』の講義が大講堂の一室で行われていた。もうすぐ退官を控えているであろう60代の教授は、やる気の欠片もない。クジラが寝そべってもスペースが余りそうなほど、だだっ広いスライド式の黒板が背後に設置されているというのに……彼はそれに目もくれず教卓の上に開かれた教科書をだらだらと朗読している───座りながら。
大学の先生は───授業が下手な人が多い。もちろん……全ての大学がそうだとは言い切れないが…… しかし、それは仕方のないことなのかもしれない。
何故なら──授業に出ている学生のほとんどは、卒業に必要な単位稼ぎのために、仕方なく出席しているのだから。 私の周りの学生は携帯をいじったり、別の授業の課題に熱中していたりなど……教授の話には全く耳を貸していない。
もっとも、この大学は仮にも『国立で最難関』の大学であるため……大声でお喋りに興じる学生が存在しないだけ、まだマシである。
ここでチョークの摩擦を恋しがって寂しそうにしている『黒板』に目をやる。さらにその真上に設置されている時計の針は12時丁度を指していた。そして数秒後……
───ブツッ……ブツッ……
蓄音機を再生するための針がレコードに触れた際に走るノイズのような音が、講堂の天井に設置された2つのスピーカーから聞こえてきた。すると厳かで奥ゆかしさを感じさせる───『美しいメロディー』が少し遅れて流れ出す。
100年近く前に録音されたレコードの音源をそのまま流用しているため……再生中も「ブツッ……ブツッ……」とノイズがときおり走るが不思議とそのノイズすらも、ある種の『味わい』を感じさせる。
「あっ……もう終わりですね。そうしましたら皆さん起立してください。『私の話なんか』───ぶっちゃけ、どうでもいいので 」
(───自分で、『どうでもいい』とか言っちゃだめだろ)
とはいえ、ここからは講義より『大切な時間』なのは事実。先ほどまでは、私の左隣の席で長机の上によだれを垂らして居眠りを決め込んでいた男子学生も……今や打って変わって、これから「出撃に向かわん!! 」と腹を括った軍人のような───『精悍な顔つき』で背筋を伸ばし───起立していた。
「はい。『国歌斉唱』です。夏休みが終わって何週間か経ったので、皆さん大丈夫でしょう」
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[常闇の大地の成り立ち ルーサン帝国文部科学省検定済教科書 小学6年生宗教学科 帝国歴1997年度版]
数千年前……遠い遠い『異世界』にて、独裁統治を行なっていた『神』に対し、"堕天使"は意を唱え───自身の忠実な部下を従えて"神"へ反旗を翻しました。
しかし、あと一歩……というところまで"神"を追い詰めたものの、"堕天使"は惜しくも敗れてしまいました。そして、"堕天使"は自身の故郷である"異世界"から退き───”常闇の大地”と呼ばれる隔絶された『別の世界』へと姿をくらましました。
"堕天使"は力を蓄え、再び"神"へ叛逆を起こそうと企んでいました。しかし、"堕天使"はある日……すでに自身の『寿命』が近いことを悟ってしまいました。
そこで"堕天使"は───自身の信者へ、『その力』を分け与えることで子孫の繁栄を促す力の『根源そのもの』──ある種の『概念』へと転じることを決意したのです。
年に一度、行われる”魔天祭”では───"堕天使"様へ感謝と敬意をこめて精一杯の『祈り』を捧げましょう。




