Disc1 Track22『厄介』
その後、ライブは無事終わった。
「マリア!! 今日のライブは特によかったね!!」
「うん!! 『セトリ』が神がかっていた!! 本当に最高!!」
ヴィークは本日はおろしている艶やかな長い髪の毛を肩で揺らしながら、マリアに短い感想を述べる。するといつもは、控えめで引っ込み思案なマリアが、今は「興奮冷めやらぬ!! 」といった具合で、珍しくテンションの高い返事を返した。よほど楽しかったのだろう。まあかく言う私も、
「本当にすごく楽しかった……この後もイベントあるんですよね??」
この後のイベントも待ちきれないほど、ワクワクしていた。アイドルヲタクも悪くないのかもしれない。
「よくぞ聞いてくれました!!」と言わんばかりに身を乗り出したヴィークは、隣に腰掛けているマリア越しに私に対して、
「ありますよ!! 『ハグチェキ』です!! そろそろ整列開始ですね……!!」
さらにギアを上げて、フルスロットルの笑顔を投げてきた。もう何度目か忘れたが、「キュッ!!」……っと甘やかに心臓が高鳴る。おっといけない……あくまでも今回のお目当てはアイドルだ。
──話を戻そう。
私たちアリーナ席の観客は、ライブが終わると一度退場を促された。アリーナ席スペースをハグチェキの特典会スペースに作り替えるために、少し時間を要するのだ。
よって私たちはアリーナ席を取り囲んでいるスタンド席スペースに移動……現在は皆、スタンド席に腰掛けて待機中である。
昨夜からアリーナ席に並べられていた数千のパイプ椅子は、緑色のジャンパーに身を包んだスタッフ達によって、素早く畳まれていく。そして、代わりに台車に乗せられて運ばれてきたのは──折りたたみ式のパーテーション。これで、『特典の対象』となる各メンバーのレーンを仕切っていくのだろう。
ここで、その様子をぼんやりと眺めていた私の横顔を一瞥し、口を開いたのは隣の席に腰掛けていたモニカ、
「その『ハグチェキ』───私は遠慮しておくわ」
「あれ?? いいんですか??」
彼女は私の発言を聞き終える前に、小さなハンドバッグを肩にかけて立ち上がると……
「私はケンツーの『出待ち』に向かわないといけないから」
──まさかの『厄介ムーブ』……ここまでミーハーだったとは……
彼女は、鼻唄を歌いながら非常にご機嫌な足取りでスタンド席の階段を降りて行った。屋敷では絶対に見られない光景。
さて、そんなモニカの後ろ姿を生暖かい目で見つめている私を尻目にヴィーク達は何かを話し合っているようだった。
「そしたら……誰か2回、ハグチェキ撮れますね……」
本日のもう一つのメインイベントである『特典会』の段取りだ。後で、「ちゃんと聞かないとだめじゃないですか……!! もお〜!! プンプンだ!!」とヴィークを怒らせるわけにはいかないので、私は足を浮かせて、身体を180度回転──輪に参加して作戦会議に耳を傾ける。
「私はいいかな……一回で充分だよ!!」
まず私が、ヴィークの提案を遠慮した。同様にベルも……
「そうそう!! 私も一回でいいかな!! 2人で決めたら?? せっかくだし、推している子に使ってほしい!!」
流石は『元アイドル』。応援されている側の視点も持ち合わせている。
「じゃあ……」
「じゃんけん……で決めようか!!」
~♪♫~♫♪♫~~♪♫~♫♪♫~
「マリア……ありがたくもらっておくわ!!」
「……うん……残念だけど……恨みっこなしだもんね……」
ヴィークが勝った。彼女はじゃんけんが、めちゃくちゃ強い。そういえば彼女がじゃんけんで負けたところを見たことがない……何か『秘訣』でもあるのだろうか……
「まず一枚目は私とマリアで撮ってきますね!! その後で……今じゃんけんで決めた2枚目は───ルルさんとベルさんと私の3人で行きましょう!!」
そんな感じでヴィークは、語尾を毬のように弾ませて段取りを整えた。そして私たちの準備が終わるタイミングを見計らったかのように───会場のアナウンスが鳴り響く、
『ご来場の皆様にお知らせです。ただいまより『特典会』を……』
「あっ!! 始まるみたいですよ」
「じゃあ!! 行ってきまーす!!」
ヴィークは遊園地に連れて来てもらった子供のように、はしゃぎながらスキップでスタンド席の階段を駆け降りる。身体いっぱいを使って喜びを表現しているのだろう。遅れてマリアは私達に「ペコリ」と小さく頭を下げると、狂喜乱舞しているヴィークを追いかけるように階段を降りて行った。
~♪♫~♫♪♫~~♪♫~♫♪♫~
───そして30分後……
スタンド席から見えるロアンヌのレーンに並ぶ来場客の列は、全く途切れない。虹スぺは何度かメンバーの入れ替えがされており、現在の人数は十数人程。一応他のメンバーもロアンヌと共に、特典の対象となっているのだが──他のメンバーのレーンは、正直なところガラガラである。
ここで、私とベルが隣り合う形で腰掛けている2つの座席──その横に延びている階段通路を通っていく女性2人組の会話が耳に飛び込んできた。
「なんかぁ……他のメンバーのレーンって、大体いつも過疎っているよね〜」
「それな!! なんかかわいそう〜うちロアンヌちゃん推しだけど、他のメンバーも頑張ってるんだから、もっと報われてもいいのにね〜」
「レーンに人が並んでいないこと」を『過疎る』と、この界隈では呼称しているらしい。知らなかった。
それにしても、自分の推し以外のメンバーも無下にせず、応援に勤しむとはなかなか殊勝だ──私は右手の人差し指で顎をさすりながら思わず感心の唸り声をこぼしてしまった。
とここで、2人組のうち後方を歩いている女性のジーンズの尻ポケットから、ハンカチのようなものが落ちた。気がついていない様子だったので……
「あの……落としましたよ……これ……」
通路側の席に座っていた私はそいつをひょいと拾い上げて後ろから声をかけた。
「!! ああ!! ありが……??」
女性は後ろを振り返りハンカチを受け取ろうとした瞬間……ブルーのカラコンがいれられた目をパチパチとさせて私の顔を見つめてきた。
(──やばっ!! もしかして男だってバレた……!?)
基本的に初対面の際は、『女性』に間違われることの方が多い。しかし、ごく稀ではあるが、初対面で私のことを男性だと見抜くことができた人も存在した。
以前、私のことを『男性』だと見抜いた『とある女性』に、その理由を尋ねたことがあったのだが──「見た目は女の子にしか見えないけど……声がなんとなく男の子っぽい気がしたから」と彼女は答えていた。
私の声は、声変わりにさしかかる前の11〜12歳くらいの少年の声そのものなのだ。
ハンカチを拾い上げた際に、思わず口を開いてしまったことを後悔──今回は女性限定のイベントなので、万が一男だとバレたら面倒なことになりそうだ。心なしか目の前の女性の頭に疑問符が一つ二つと浮かび上がり出したように見える。
何か良い感じの言い訳が閃いてこないだろうか──首筋に一筋の汗がツーっと垂れ始めたその時だった。
「やばっ!! 至近距離のロアンヌちゃん───めっちゃ可愛かった!! し・か・も!! ……すごくいい匂いで!! 私もう……一生お風呂入らない!! ───この匂いと一緒に生きていく!!」
「もしや!!」と思い、上体だけを捻って後ろを振り返ると──ヴィークが戻ってきてくれた!! そしてまさかの───『風呂キャン界隈』仲間入り宣言。マリア以外の同僚に対して、常に敬語を心がけている彼女は珍しく『タメ口』で私達に話しかけて来た。よほど嬉しかったのだろう……
「抱きしめられた時に、耳元で『また来てね♡』───って囁かれた時は……心臓止まるかと思いました……今日は『記念日』です……!!」
一方のマリアもチェキを両手で大切そうに持ち、かなり興奮気味だ。普段のおっとりとした口調と異なり、言葉が早口で矢継ぎ早に紡がれていた。そんな幸せそうな二人の様子を見ると、こっちまで嬉しくなってくる。
「2人ともよかったですね……チラッ……」
ここで、捻られた上体を爪先が向けられた方向へ戻すと……先ほどの2人組は姿を消していた──よかった……バレなくて……
──さて……そしたら、気を取り直して……
「私もテンション上がってきた!! ベルちゃん行こ!!」
「うん!! 結構……早めに順番来そうだね!!」
私たちは『最後尾』と書かれた───プラカードを掲げたスタッフを見つける。
女性アイドルのファンの8割は男性だ。よって───女性のファンは残り2割……そして、その中でも今回は………チケットを5枚購入した者だけが、特典会に参加することができる。よって、先ほど言及したように、列自体は途切れないものの参加人数は意外と少ない。
「二周もできるなんて……私、今日で運使い切って、明日死んじゃったりしないかなっ!!」
「えー!! そんなのやだー!! (シュン……)」
聞捨てならない、そのセリフに私はショックを受けた。思わず目尻に涙が滲み、眉根に哀しみの皺がよる。
「よしよし……大丈夫だよ……(なでなで)」
「ガックリ」と肩を落とし、幼児のように目尻を擦り出した私の頭をすぐ隣にいるベルが優しく撫ぜた。
さて……戯れも程々にということで──今度は私とベルが特典会に参加するために、マリアと交代する形でスタンド席を後にした。もちろんヴィークはもう一度参加するので、私たちに同行。
~♪♫~♫♪♫~~♪♫~♫♪♫~
その後、アリーナへと戻ってきた私達は入場レーン入口へと到着し、列に並び始めた。そして列は、順調に「前へ前へ」と進んでいき───ファンに対応中のロアンヌが見える位置まで辿り着いていた。
「すごいね……ずっと笑顔。しかも作り笑顔なんかじゃない……本当に心の底から幸せそうな笑顔……」
ベルは心の底から感心している様子。私も同感──至近距離でロアンヌを目の当たりにして確信した。これは───“ディーヴァ”だ……慈しみに満ち溢れたその笑顔は、もはや『人のそれ』を凌駕しているとさえ思った。
背丈はヴィークとさほど変わらないくらい華奢で小さい。頭はとても小さく、目元は切れ長でモニカのような猫顔系ではあるが──彼女以上にシャープなフェイスラインだ
しかし、決してキツイ印象を受けない。先ほども述べたように女神様のような微笑みを常に絶やさないからだ…… そして流れ星のような美しい軌跡を描いているストレートロングの黒髪が高貴さをさらに飾り立てている。
美術史に名を連ねた画家が、もし彼女の笑顔を目の当たりにしていたら……帝国美術館に展示されていたのは───『彼女の肖像画』だったのやもしれない。
彼女の素晴らしさをより精密に言葉に起こしたいところだが──IQ143の私でも流石に語彙が枯渇してきた。彼女と再び顔を合わせる機会に巡り会えた時のために、語彙力をさらに強化しておかなければ!!
すると、ここで先ほどの私とベルの会話を聞いていたのか、
「当然です!! 私の推しですから!!」
私達3人の中で、1番先頭に並んでいたヴィークは即座に振り返り──「エッヘン!!」と言わんばかりに真っ平な胸を突き出して鼻を膨らませる。そして数秒後……
「次の方どうぞ〜」
(───おっ!! 順番がやってきたようだ。)




