Disc1 Track19 刺激
荷造りに取り掛かって、しばらくして……準備も9割ほど片付いてきたところで、
──トッ……トッ……トッ……
今日は昨日も同様に天気がいい。特に風が気持ちよかったため、談話室に設られている2つの出窓とドアを解放していた。よって紅いカーペットが敷かれている廊下から談話室に誰かが近づいてくる足音は、室内にも聞こえてきた。
私は荷物を詰めるために物置から持ち出してきたバッグに汚れなどがないか確認していた。
しかし、ここで足音が部屋の前まで辿り着いた気がしたので、膝立ちになったまま何気なくドアの方へと身体を捻った。
「おはよう。あなたたち、準備は終わった??」
「!!……あっ!? ……モニカさん……おはようございます……」
ノックもなしに部屋に入ってきたのは──モニカだった。昨日のことが一瞬、脳裏をよぎるが……昨日とは打って変わって、今朝の彼女は機嫌が良さそう。私は安堵した。
機嫌が悪い時の彼女は自分から挨拶なんてしないのだ。私に遅れて今度はヴィークとベルの視線が同時にモニカの方へと注がれる。ちなみにマリアは野暮用を済ませるために一度自室へと戻っているので今は不在。
「……あともう少しで終わりそうです。後は……ペンライトとか推しグッズでしょうかね……」
誰に対して投げかけられたのか分からないモニカの問いをヴィークが拾った。彼女は「もう少しで終わりそうです」と口にすると同時に、テーブルの上に並べられた衣類などに視線を移し────改めて漏れなどがないことを確認した。
そして、もう一度モニカの方へと視線を戻すと、最後にライブ時の必需品について言及した。
「双眼鏡とかは??」
ふかふかのカーペットが敷かれている談話室の床に直接──脚を揃えて腰掛けていたベルは大袈裟に首を斜め後ろへ捻り、ヴィークの顔を見上げながら呟いた。
同時に勢いよく立ち上がり、ヴィークが立ち尽くしている丸テーブルの前へと歩み寄る。昨日、舌戦を繰り広げたモニカと視線を合わせるのが気まずいからだろうか。
「私は必要ないですが……確かに、皆さんはあった方がいいかもしれませんね……」
ヴィークの視力は左右ともに裸眼で2.0だ。よって、数十メートル離れた客席だったとしても……自分の『推し』の表情を細かく視認できるのだろう。とここで、予想外なことをモニカが言い出した。
「じゃあ、私の双眼鏡貸してあげるわ」
「!?……いいんですか??」
私は驚きのあまり目を見開いてしまった。分厚いレンズが取り付けられた私のメガネがずり落ちそうになる。皆んなのためにモニカが私物を貸し出すなんて……今夜は雪でも降るのだろうか?? まだ10月の中旬なのに……
「……流石に何から何まで準備させて、自分は楽しむだけ──なんていうのは都合良すぎるでしょ……?? あと……これ……(スッ)」
モニカは腕を浅く組んで、談話室のドアに寄りかかる格好だったのだが……腕組みを解くと、右手に何か封筒のようなものを持っていたことに、私は気がついた。
「?? 何ですか……これ??」
「チケット代とか、諸々の諸経費よ。今回は……私が全員分──払ってあげるわ」
「「「!?……えええ!!!」」」
「1,000サニー入っているわ。足りなくなったら、遠慮しないで私に言いなさい」
1,000サニーという金額は、首都の新社会人が契約する賃貸物件の1月分の家賃に相当する。流石は医師を生業としているだけはある──それだけの大金を「ポンッ」と差し出してくれるとは……
「……それと……ベルちゃん……」
「!?……ふえっ!?」
はたまた意外なことに……モニカはベルの名を口にした。ベルはまさか自身が話しかけられるとは思ってもみなかったらしい。
声をかけられた瞬間──彼女の後ろ姿が少し強張ると同時に、膝丈より少し短いスカートがヒラリと舞う。彼女は恐る恐る……といった様子で振り返る。
「……昨日は悪かったわよ……言いすぎたわ……」
なんとモニカは謝罪の言葉を口にした。バツの悪そうな顔を浮かべ、ベルの顔を横目で、ちらりと見ながら。
「謝罪を述べる時くらい目を合わせろよ」──そんな言葉が私の脳裏をよぎったが……これでも彼女なりの精一杯の誠意なのだろう。
「!? えっ……いや……アタシこそ……次から気をつけます……ごめんなさい……」
ベルもまた……珍しく塩らしいモニカの態度に拍子抜けした様子。目を丸くして素っ頓狂な声を出した。
しかし、自分にも非があったことを薄々感じていたのか──素直にそれを認めると、「キュッ!!」と軽く握った右手を胸元に当てながら謝罪した。
「ごめんなさい……」と口にしてから数秒ほど──握られた右手を小さく握々していたのがかわいかった。
そして、「気まずい」──というよりは、険悪な雰囲気が一気に弛緩した際に流れる優しい沈黙が、談話室を包み込む。
「はいはい!! これで恨みっこなしですね!! あとは明日──思いっきり楽しむだけです!!」
ヴィークは一本絞めを彷彿とさせる動作で「パンッ!!」──と音を鳴らす。『雨降って地固まる』という諺もあるが、これで2人の仲が少しは深まるとよいなと私は思った。
(……ってか!! それなら昨日の拷問のことも謝って欲しい!! 『ついで』でいいから!! )
しかし、結局モニカは私への謝罪の言葉を口にすることはなく───「別件があるから」と言い残して談話室を立ち去った。
そしてそんなモニカと入れ替わりになる形で、マリアが談話室に戻ってきた。
〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜〜♫♪〜♪♪〜♪♫〜
その後、マリアが戻ってきたタイミングで一度遅めの昼食を挟み、わちゃわちゃと騒ぎながら再び残りの準備作業を終えた。
その時点で時刻は14時半くらいだったので、私たちは一度解散─── 17時にエントランスホールに集合することになった。
その間に私はメイド服から私服に着替え、瓶底のように分厚いレンズのメガネを外してコンタクトレンズを装着───そしてエントランスへ向かう。
そういえば、屋敷のエントランスについてまだ説明をしていなかった。エントランスホールは、メイドの居室が連なっている廊下へ出て、突き当りにある螺旋階段を昇り終えたところにある。
私は久々に皆でお出かけできることが嬉しくなり、二段飛ばしで螺旋階段を軽やかに駆け上がる。そして最後の一段を昇り終えると、ふと周りを見渡した。
(───まだ誰も来ていないか……)
エントランスホールは「しん……」と静まり返っている。玄関の向かいの空きスペースには先ほど私たちが荷物を詰めた大きなバッグが4つほど……静かに身を寄せ合っている。
また隣に聳えている2階へと続く階段───その側面の壁に貼られている肖像画も当然だが口を開くことはない。
ちなみにこの間「夜中の2時22分になった瞬間、そのうちの何人かが絵の中から飛び出してきて、シンフォニックブラックメタルバンドを結成し、真夜中のフェスを開催している」という『出鱈目な作り話』をヴィークに吹き込んだところ───どうやらそれがトラウマになったらしい。
彼女はそれ以来……ぬいぐるみを抱えていないと怖くて眠れなくなってしまった。
エントランスホールの広さは一般的な住宅の玄関の3倍ほど。「意外と狭いな」という感想を抱かせたかもしれない。というのも──
実は……こことは別にもう一つ正面玄関が存在しているのだ。
そちらの玄関は他の貴族が公的な会合に参列するために屋敷へ来訪した時など、特別な行事の際に用いられている。
私は、首を少し右へ捻り、玄関から屋敷の中へ足を踏み入れた際に左手側となる壁一面に貼られている姿見……のさらに上に立てかけられている古時計へと視線を移した。
──時刻は16:50……どうやら、一番ノリは私のようだ。
ここから、フェスの会場までは乗り換えも含めて──だいたい、2hほどで到着する。すると、1分も経たない内に、私がつい先程駆け上がった螺旋階段を誰かが昇って来る足音が聞こえてきた。
「ふう~よいしょ~!! あっ!! ルルちゃん……!! もう来ていたんだ!! 早いねー!!」
ベルだった。今日の彼女は黒のストレッチパンツに、厚手の変形パーカー、そして短い丈のショートブーツ──という動きやすさとデザイン性の両方を追求したファッションスタイルだ。アウターはダウン。
ちなみに、彼女の着ている変形パーカーは──以前2人でお出かけした時に私が着用していたもの。要するに元々は私の私物だったのだが、何気なくそのパーカーを彼女に着せてみたところ……想像以上に似合っていたため、そのままプレゼントしたのだ。
改めて、そのパーカーを着込んでいるベルをしげしげと観察する───やっぱりよく似合っている。
襟元は3重になっており、非常にかわいらしい。デパ地下で販売されているホールケーキに乗せられたホイップクリームを彷彿とさせる。
また袖口にかけて腕の部分が徐々に広くなるように特殊な加工がしてあるため、いわゆる『萌え袖』を作りやすいように工夫されている。
彼女は私の元まで小走りで駆け寄って来ると姿見を用いてファッションショーを始めた。袖口をキュッと軽く握りながら、それらしいポーズを決めて満更でもない様子で微笑む。彼女も出発前でテンションが上がっているらしい。
「生でアイドル見るの久々だな〜!! やっぱりいいよね!! ……可愛い女の子たちが、きらきらの衣装を着て、笑顔で歌って踊る──って!! 見ているだけで幸せな気分になるよね……!!」
一方の私は白いフリルの付いたシャツに黒のタイトジーンズ。そして、ブラックの膝丈のロングブーツ……さらに、シングルレザージャケットを羽織るというロックスタイルである。
また、首には2本の細いチェーンで装飾されたチョーカーを巻いている。ちなみに私はネックレスは絶対につけない!!
束の間ではあったが、ひと通りファッションショーを楽しんだベルは、
「皆はまだ来てないか……そしたら今のうちに、お手洗い行ってくるねー!!」
エントランスホールの奥にある──お手洗いへと向かった。そんな彼女の背中を見送ると私は玄関の脇に設置されている来客用のソファに腰を沈めて、他の同僚を待つことにした。
しかし、何もせずにじっとしているのが苦手な私は30秒も経たないうちに、もう一度立ち上がる。
今度はポケットに右手を突っ込んだ状態で、右脚に体重をかけて天井を仰ぎ始めた。大きなシャンデリアがぶら下がった天井は3mほどの高さ。
そして、もう一度───姿見の上に立てかけられている古時計を確認すると、時計の針は16時56分を指していた。
ちなみにこの古時計のゼンマイを巻く仕事は、なんとモニカが担当している。理由は簡単───私たちの中で身長が一番高いから。
普段は高飛車な彼女が「なんでこの私がこんなことしなきゃいけないのよ……」と文句を垂れながら脚立に昇り、古時計を脇に抱えてゼンマイをいじくりまわす光景はとてもシュールで見物だ。
前回は私が脚立を支えていたのだが、ふとした拍子に彼女のメイド服の長いスカートが私の頭を覆い隠してしまい、前が見えなくなった私が大慌て───思わず彼女の脚へしがみついてしまい、バランスを失ったモニカが私の上に落ちてきて、てんやわんや……なんて事件が起こった。
その様子を思い出し、1人で片方の口元を釣り上げてニヤニヤしていると……再び、足音が聞こえてきた。ベルが戻ってきたのか──と思い、私は足音がした方へ顔を向けると……
奇しくもやってきたのは──今頭の中に思い浮かべていたモニカその人だった。彼女の性格上、5分くらいは遅刻するだろうと踏んでいたのだが、予想以上に早かった。
「?? ルルくん……今日もかっこいいじゃない?? でも…首のこれは何……?? 首輪?? ……昨日のお仕置き──じゃ、まだ足りなかったの??」
モニカは私を視認すると、歩み寄りながら私の首元に手を伸ばし──首輪……じゃなくてチョーカーをさすりながら、イタズラっぽい笑みを浮かべる。
今日のモニカは、ワインレッドのミニスカートに白いカシュクールを着用──その上からアッシュカラーのチェスターコートを羽織ったファッションスタイルだ。
「ほえ?? ……これは……首輪じゃにゃに……です……」
彼女の普段のファッションはメイド服か、ブラウスの上から白衣という2種類のみだ。私服姿をお目にかかることは滅多にない。
今日の彼女のファッションスタイルは26歳の女性の魅力を存分に引き立てている。ガーリーかつ大人の色気の塩梅が効いた組み合わせがなんともいえない。
洗濯バサミを片手に私をいじめる普段の様子は微塵も感じられない。
「?? ……どうしたの?? そっか……私服姿見せるの……久々だっけ?? ルルくんにとって、お姉さんの魅力は──まだ刺激が強すぎたかなぁ……ふふっ……」
モニカはさらに私に近づいてくる。足元を見ると、彼女は厚底のブーツを履いているようだ……ということは今日の彼女の背丈は178cmほどだ。
よって、私は完全に見下ろされる形になる。いつもとは違う角度で鑑賞する彼女の貌は……また違った良さがある。
少し下から見上げると、整った鼻梁や涙袋の形がより立体的になって……その造形美に私は思わず心を奪われてしまった。
「……ダメだよ〜『目』……逸らしちゃ?? 肝心な時にヘタレたら……女の子はガッカリしちゃうんだから??」
「!? ……うぅ……」
私は目を合わせるのが照れくさくなってしまい視線を右下に落とす。しかし、そんな私の照れ隠しを見逃さなかったモニカは、私の両頬に両手を添えて……少し強引に自身の顔へと向かせる。
視界の8割が彼女の顔を占めるほどに距離が近い。小さく開いたその口元から溢れる吐息が私の鼻先を掠める。
ミントのような爽やかな香り。その香りは余りにも甘美であったため、私は思わず酔いしれそうになった。心臓が音を立ててビクンと跳ねる!!
(──もうだめ……どうにかなってしまいそう……)
そう思い、静かに目を閉じて全てを彼女に委ねてしまいそうになったその瞬間……
「すみません遅くなりました!! もお……マリアったら本当にのろまなんだから……って!?……ふえ!? ちょっ!! ちょっと……!! 何やってるんですか……!?」
「ヴィークちゃんこそ……いつもは私より準備遅いのに……って!? 2人とも!! そんな……いい……いいいい!!! いくらなんでも!? ……こんな玄関先で!! やるなら私も混ぜて……いやそうじゃなくて……!! えっと……」
「はっ!!」と我に返り、首を捩ってモニカの拘束を解除……モニカの身体越しに、声が聞こえた方へと目を向ける。ヴィークとマリアだった。いつの間にかエントランスホールに到着していたようだ。
まずはヴィーク───彼女は黒いフリルの付いている──ほんのりとゴシックな趣を感じさせるブラウスワンピースにダウンを羽織っていた。
一方で、マリアもまた……ブラウスワンピースを着用していたが、こちらは彼女の豊満なバストの谷間が大胆に露出されたセクシーなデザインだ。カラーも黒に近い紺色で、モニカとは一味違う妖艶な色気を醸し出している。
「!? あっ……ヴィークさん……マリアちゃん……」
「……あら……残念……いいところだったのに…」
背後を振り返ったモニカの横顔を覗くと、彼女は残念そうな表情を浮かべていた。そして艶やかなセミロングの黒髪をかきあげながら唇を尖らせる。
そういえば彼女は今、トレードマークとも言える桜の花を模した『髪飾り』を付けていない──メイド服を着ていないからだろうか。
助かった──と思いつつも、あのまま続いていたら……どうなっていたんだろうと想像してしまい、またドキドキしてしまう。
「お待たせー!! って……!? なんかあったの……??」
ベルは、のほほんとした様子で、エントランスホールの奥にある『お手洗い』から戻ってくるや否や──ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、素っ頓狂な声をあげて目を丸くした。




