Disc1 Track16 虹スぺ
私は屋敷に戻り、マリアと一旦別れると自室へ戻ってシャワーで汗を流し、メイド服へ着替えた。
そして、今朝の集合場所であるリビングへ赴いたのだが……
「……誰もいない……」
入口からリビングを隅々まで見渡す。壁にかけられている肖像画のうち───何枚かと目が合った気がしなくもないが、生身の人間と視線を交えることはなかった。シーンと静まり勝った室内からは足音の1つも聞こえない。
(……であるとすれば……あそこだな)
私はもう一度、廊下に出た。
廊下のデザインは、私の居住地であり、観光地として定番の───『古都』に点在している高級ホテルのそれを彷彿とさせる。大きな花瓶なんかも、置いてあるし。
階段も同様に、赤いじゅうたんが敷かれていて、頭上には大きなシャンデリアが吊るされている。改めて屋敷の中を見渡して思うことだが……本当に『豪華な屋敷』だ。
(将来は自分の力で、こんな屋敷を建てたいな~~)
───そんなことを考えながら、私は階段を上がり、ある場所へと向かっていた。
~♪♫~♫♪♫~~♪♫~♫♪♫~
───ガチャリ
階段を昇り終えると、私は2階の『とある一室』へと立ち入った。
「ヴィークちゃん!! 買い出しのついでにチケット発券して来たよ!! いよいよ明後日だね!? ……魔天祭!! 虹色スペクトラムの出番は夜遅いから、防寒グッズとか色々買って来たよー!!」
「そうだね……!! すっごく楽しみっ!!」
ここは、ご主人様ですら立ち入ることを禁止されている男子禁制(私だけは許可されている)の花園である──と言えば聞こえはいいが、実際は花園とは縁遠い汚部屋である。
女性とは案外、不潔に強い生き物なのだ。私は女性との交際を経験したことはないが……この仕事を始めてから、それを学んだ。
「……あっ!! ルルさん!! 帰ってきましたね!! 片付け中なんでルルさんも手伝ってください!!」
ヴィークはゴミ袋を両手で抱えていた。
ちなみに彼女とマリアは───『同郷の幼馴染』である。後輩の私やベルに対しても、敬語を貫くヴィークが、彼女に対してのみタメ口で接している理由はそれだ。ちなみに屋敷のメイドを始めたタイミングも同時。
そして、彼女達がメイドとして日々の業務に勤しんでいる理由は……
「………貯めたバイト代を惜しみなく使っちゃうんだから!! 買いたいグッズがたくさんあるの!! 待ち遠しい!!」
──『推し活』の軍資金を稼ぐためだ。
ここでひとつ説明に入らせてもらおう。
ヴィークとマリアが推しているグループ──“虹色スペクトラム”は一時期は国民的アイドルとまで呼ばれ、社会現象をひき起こすほどの人気ぶりを博した。
私が高校生の時──まさにその佳境にあったのだが、にわかの私ですら、当時のアルバムの曲は一通り口ずさめるほどだ。
現在は全盛期ほどの人気はない。しかし、それでも数多くのファンが帝国中に点在している。特に“魔天祭”に伴って開催される音楽フェス──そのトリを務める彼女達のステージは圧巻であり、開催地である古都に全国から大勢のファンが押し寄せてくるのだ。
「でも……太っ腹だよねぇ〜!? 私たちの分までチケット買ってくれるなんてさぁ!!」
いつの間にかベルが私たちの会話に参加していた。彼女は箒を携えて掃き掃除をしていたようだ。さっきまでとは打って変わって──非常にご機嫌な様子。というのも……推し活に励むほどではないが、彼女自身もアイドルのライブ映像等を視聴するのが好きだから。
ここで、ヴィークが両手で抱えているゴミ袋の袋口を広げていたマリアが、長い髪の毛をふわりと揺らしながら、ベルの方へと振り返る。
「実は……5枚以上購入すると、特典が付いてくるんです……」
「!! ああ…!! なるほど……!!」
「ちなみに……特典って何ですか??」
開けっ放しになっているドアの前で、左脚に体重をかけて立ち尽くしたまま、私は少し首を傾げてマリアに尋ねた。おそらく、『握手』とか『チェキ』とか──そういった定番の類なのだろうと私は考えていたのだが……答えはなんと、
「……濃厚接触が……できちゃいます……うふふ……」
「「ええ……!?!?」」
これはびっくりだ。ほんのりと赤くなった頬に軽く手のひらをあてたマリアの口元から、ポツリと溢れた言葉を聞き逃さなかった私とベル。同時に驚きの声をあげて、マリアの方へとにじり寄った。
しかし、ここで会話の内容が明後日の方向へと流れ出したのを察知したヴィークが、手に持っていたゴミ袋を放り出して、慌てて訂正する。
「!!……ちょっとマリア!! 語弊がある言い方しないでよ!? 『ハグチェキ』ですよ!! 『ハ・グ・チェ・キ』──ギューした状態で、チェキを撮ってくれるんです!! 女の子限定の特典ですけどね!!」
なあんだ……と、私とベルは胸をホッと撫で下ろす……ん?? さっき女の子限定の特典って言っていたような??
とここで、談話室の入り口とは反対側の数メートルほど離れた箇所から、気怠そうではあるものの、どこか気品に満ちた声が届いてくる。
「はあ……どうせルルくんならバレないって思って、『ルルくん=女の子』──ってことにして申し込んだんでしょ……」
「勝手に性転換しないでえええ!!!!」
それは、先ほど玄関でベルと口論を繰り広げていた“メイド長”──モニカの口から出たものであった。彼女は暖炉の前に設置されているフカフカのソファに、こちらに背を向けた状態で優雅に腰掛けていた。
談話室の天井に設置されているシャンデリアの光が、彼女の頭頂部を暖かく照らし──サラサラの髪の毛をキャンバスに天使の輪を描く。
そんな彼女の背後で、ショックのあまり私は膝から崩れ落ちる。さらに談話室の床に両手をついて、項垂れた状態に……カーペットが敷かれているせいだろうか。先程の石畳よりは柔らかかったため、「膝に優しいな」──と思ってしまったのが少し悔しい。
ここで、バツの悪さに耐えきれなくなったのか……ヴィークが少し早口で捲し立てるように……
「……それに関しては……ごめんなさい……でも絶対に楽しいですよ!! それに……トップアイドルとハグできるなんて、他の男の子だったら絶対にできない体験ですよ!! ……あれ?? ……ルルさんって、もしかして男の子の方が好きでしたか……??」
少しだけ重くなった空気を払拭しようと、フォローを入れようとしてくれたのだろう……もっとも、それは焼石に水。少し胡散臭い作られた明るい声は、徐々にメッキが剥がれていった。そしてあろうことか、的外れな疑問符を小さな頭の上に浮かべ始めた。
───だが、誤解はよして欲しい。
「私の恋愛対象は『異性』です……!!」
私は四つん這いになったまま、顔だけを上げてヴィークの方へと首を捻り、超特急で彼女にツッコミをいれた。
───しかし、悪ノリが大好きな我らがメイド長はこの程度では勘弁してくれない。
彼女は先ほどまで目を通していたであろう女性誌か何かを閉じると、ソファの脇に置かれているサイドテーブルに、ほいっとそれを放り投げる。そして長い脚を組んだまま、上半身だけをこちらに捻り──ソファの背もたれに、もたれかかりながらサディステックな笑みを浮かべて、追い討ちをかけた。
「ふーん、じゃあ今度……私がお見合いしたけど、気に入らなかった男性──あなたに紹介してあげるわ。感謝しなさい」
「だ・か・ら!! 私は男の子ですってば!! それにモニカさんが気に入らなかった男性って──『お下がり』みたいで嫌じゃないですか!?」
「はあ……これだから"Ω世代"は……」
“Ω世代”──最近のネットスラングの一つだ。10代後半から20代前半の若者を貶す言い回しとして使われることが多い。
「……とにかく急いで掃除済ませましょう……じゃないとフェスの準備に取り掛かれませんので……」
このままじゃ埒が明かないと思ったのか、ヴィークはソファにもたれかかっているモニカと、四つん這いになったままの私を交互に見ながら、声を張り上げて清掃作業の再開を宣言。
流石に、ここまで面と向かって言われると、これ以上シカトを決め込むのは後ろめたいなと感じたのだろう。モニカは切れ長で大きな目を少し細めて、じっとりとヴィークの小さな顔を、数秒ほど凝視すると、
「はあ……ネイル塗り直したばっかりなのに……」
ぼそり……と不満そうに呟きながら、メイド服の長いスカートの衣擦れ以外の音を立てずに、ゆっくりと立ち上がる。そして、サイドテーブルに置かれている数冊の雑誌やタブレットなどを片付け始めた。
そんな緩慢な彼女とは対照的に──私は、四つん這いの状態から床に手をついたまま膝を浮かせて、しゃがみ込み、その勢いを利用してスッと立ち上がる。
そして、いつの間にか側に歩み寄っていたヴィークから、もう一本の箒を手渡されるとベルと共に掃き掃除に取り掛かった。




