第8話「渓谷からの帰還」
前回のあらすじ
東の森林地帯で遭遇した異形の魔物について、ローズベルグ邸で報告を終えたリントとヴェルナ。
調査の継続を禁じられた一方、ヴェルナは父エドワードに、これからも冒険者として外の世界へ出たいという自分の意思を伝える。
家のため、研究のため。そして、これまで支えてくれた父へ恩を返すために。
娘を危険から遠ざけたいエドワードと、自分にできることを諦めたくないヴェルナ。互いの思いがぶつかる中、リントの言葉もまた、父が娘を見る目を少しずつ変えていく。
答えは、まだ出ていない。
それでもエドワードは、ただ娘を止めるのではなく、送り出すのならどうすれば危険を減らせるのか――そう考え始めていた。
朝の冒険者ギルドには、いつものように人の声が行き交っていた。
壁に並ぶ依頼書を眺める者。出発を前に装備を確かめる者。受付では、今日受ける仕事について職員と言葉を交わす冒険者の姿がある。
決して多くはない。それでも、それぞれがこれから向かう場所を前に、建物の中には朝特有の落ち着かない空気があった。その中で、ミレイユは一枚の依頼書へ目を通していた。
「期間は二日。現地での調査が延びた場合は、最大で三日ね」
向かいに立つ三人へ告げながら、依頼書の端を指先で押さえる。
今回の仕事は、グランツハイム伯爵家から派遣された技師の護衛だった。シルヴァハイム西方、川沿いの渓谷に架かる橋で損傷が見つかり、その状態を確認するため現地まで同行する。
「調査が一日で終われば、明日の夕方には戻れると思う」
そう答えたのはカイルだった。
三人の中では一番付き合いが長い。何度もこの受付から依頼へ送り出してきた顔で、今回も普段と変わらない旅装に剣を提げている。
「ふふ。そこはちゃんと戻ってくるって言ってほしいところだけど」
依頼書から目を上げ、ミレイユは柔らかく笑った。
「まあ、技師さん次第よね」
「そういうこと」
カイルは慣れた様子で頷いたが、その隣にいる二人は、ミレイユと目が合っただけで妙に姿勢を正していた。
その様子を横目で捉え、カイルが眉を寄せる。
「……お前らなぁ」
「なんだよ、カイル」
「いつもどおりだろ」
マルセルとエリオの二人からほとんど同時に返ってきた。
「お前ら、このミレイユには気をつけろよ。手が届く相手じゃないんだ」
「何がだよ、別に何も言ってねぇだろ」
ミレイユは聞こえているのかいないのか、口元に笑みを残したまま依頼書を確認している。
「それで、出発の準備は――」
言いかけて、エリオが腰の袋を探っていることに気づく。
「何を探してるの?」
「あ、いや……」
ようやく顔を上げた男と目が合った。ミレイユが不思議そうに首を傾けただけで、落ち着かなく視線が泳ぐ。そんな様子をマルセルは恨めしそうに見ている。
「……あった」
ようやく取り出したのは、小さく折り畳まれた紙だった。
「なぁにそれ?」
「ああ、これは……妹に頼まれた買い物です。帰りに忘れないようにって」
ミレイユの口元に、艶っぽい笑みが浮かぶ。
「あら、優しいお兄ちゃんね」
「い、いや、そんな……普通ですよ」
エリオが妙に歯切れを悪くすると、横にいたマルセルが肘で小突いた。
「おい、何照れてんだよ、エリオ」
「何言ってんだバカ、照れてねえよ」
「お前は分かりやすいんだよ、顔に出てるぞ」
「うるせえ、マルセル」
二人のやり取りに、カイルがため息をつく。
「ちょっと。人の前で何の話してるのよ」
ミレイユが笑いながら口を挟むと、カイルは肩を竦めるだけで答えなかった。
「じゃあ、お兄ちゃん。買い物を忘れないためにも、まずはちゃんと帰ってこないとね」
「はい!」
「別にいいけど……お前、本当に分かりやすいな」
カイルが笑うと、エリオは気まずそうに顔を逸らした。
「カイルは黙ってろ」
「どうせ次も同じ調子だろ。無理なんだから、一回誘って早くフラれろ」
「無理かどうかはわかんねぇだろ!?」
「いーや、お前には無理だな。諦めろ」
マルセルがエリオの下から上をなぞる様に見てからかう。
カイルはマルセルにも何か言いかけて、結局やめた。
「あら。私はまだ、誘われてもいないのに?」
「えっ」
「ふふ。振られるかどうか――試してみる?」
さっきまで面白がっていたマルセルまで、ぴたりと口を閉じた。
固まったエリオを前に、ミレイユだけが楽しそうに笑っている。
少し離れたところでは、護衛対象の男が大きな革鞄を足元へ置き、その中身を確認している。グランツハイムから来た技師で、橋の調査に使う道具が収められていた。
三人のやり取りには慣れていないのか、ときおり顔を上げては所在なさそうに立っている。
「それじゃぁ最後に――」
「無茶するな。何かあったら依頼より自分たちを優先しろ。あと――なんだっけ」
「ミレイユさんが毎回あれだけ言ってくれてんのに」
マルセルが横から口を挟む。
「だから聞き流してんだよ」
「ちょっと」
ミレイユが睨むと、カイルは悪びれずに笑った。
「まあ、知らない場所でもないし、必要なもんは揃ってるし。そこは心配すんな」
「そうね。カイルなら、その辺は心配してないけど」
そう言いながらも確認を省かないのがミレイユで、カイルもそれを分かっている。エリオとマルセルの荷物まで確かめてから、依頼書を差し出す。
「それじゃあ、最後にもう一度。技師さんを無事に連れて帰るまでが依頼だからね。皆無事に帰ってくること」
依頼書を受け取ると、カイルの顔から先ほどまでの軽さが消えた。
エリオとマルセルも自然に仕事の顔へ戻る。
「じゃ、行ってくる」
「ええ。気をつけてね」
カイルを先頭にそれぞれ歩き出し、技師も革鞄を持ち上げて後に続いた。
扉が開き、朝の光が床を細長く照らす。
四人が順に外へ出ていく中、エリオが扉をくぐる直前で足を止めた。
「い、行ってきます」
「はい。いってらっしゃい」
にこりと返されると、エリオは少しばかり顔を赤くして、逃げるように外へ出ていった。
先に待っていたカイルが、その後頭部を軽く叩く。
「だから気をつけろって」
「痛えな!」
扉の向こうから聞こえた声に、ミレイユは思わず笑う。
やがて外の声も遠ざかり、ほどなく別の冒険者が依頼書を手に受付へ近づいてきた。
「ミレイユ、これ頼めるか?」
「ええ。見せて」
差し出された紙を受け取り、報酬、期限、目的地へ順に目を走らせる。
先ほどまで聞こえていた三人の声は、いつしか朝の喧騒へ紛れていた。
***
翌日の夕方。
傾き始めた陽が窓から差し込む頃には、仕事へ出ていた冒険者たちも少しずつギルドへ戻り始めていた。
依頼を終えた者から報告を受け、予定と違うことがあれば事情を聞く。必要な内容を記録へ残し、次の者へ移る。出発を送り出す朝とは違い、この時間になると、受付には一日の結果が集まってくる。
次の書類へ手を伸ばしたところで、入口の扉が開いた。
何気なく顔を上げたミレイユの動きが止まる。
最初に入ってきたのは、昨日カイルたちと出発した技師だった。
衣服のあちこちを土で汚し、片手を扉について荒い息を繰り返している。その後ろから姿を見せたマルセルも似たような有様で、一人の男を体の片側で支えていた。
「ちょっと――」
ミレイユはすぐにカウンターを回り込む。
支えられているのはエリオだった。顔には脂汗が滲み、右脚を庇うように身体を傾けている。自分でも進もうとはしているが、ほとんどの体重をマルセルに預け、右足は床から浮いたままだった。
「エリオ、どうしたの?」
「脚を……やった」
答えたのはマルセルだった。
「無理に歩かせないで。そこ、支えて」
近くにいた職員を呼び、エリオの身体を預ける。右脚には応急処置らしい添え木が当てられていたが、巻かれた布には血が滲んでいる。その隙間から覗く傷口には、白い骨の一部が見えていた。
「医務室へお願い。脚を怪我してるから、先生にもすぐ見てもらって」
「分かった」
「すみません……ミレイユさん」
「いいから。今はちゃんと診てもらってきなさい」
職員に支えられたエリオが奥へ運ばれていく。
技師がいる。
マルセルもいる。
エリオも帰ってきた。
ミレイユは開いたままの扉から、もう一人が入ってくるのを待っていた。
昨日は、カイルを先頭に四人でここを出ていった。
最後尾のエリオがわざわざ振り返り、「行ってきます」と声をかけてきたことも覚えている。
開いたままだった扉が、ゆっくりと元の位置へ戻っていく。
そこにカイルの姿はなかった。
「……カイルは?」
マルセルの荒かった呼吸が、そこで一度だけ途切れた。
「まだ……向こうにいる」
「向こうって?」
「渓谷だ」
答えるなり、カウンターへ両手をつく。
「頼む。助けを出してくれ。まだそんなに時間は経ってない」
「待って」
「でも――」
「分かってるわ」
ミレイユは声を強めなかった。
「助けに行くにしても、まず状況を聞かせて。どこで別れたのか、何があったのか。それが分からないと誰も動けないわ」
何か言いかけたマルセルが、唇を噛む。
「……座れる?」
「大丈夫だ」
返事とは裏腹に、その身体はほとんどカウンターへ預けられている。
無理に座らせることはせず、ミレイユは受付の内側へ戻って記録用の紙を取り出した。
「最後にカイルと別れたのは?」
「橋から戻る途中だ。渓谷の……岩壁に沿って道が細くなってるところがあるだろ。そこより少し手前」
「橋の調査は?」
「終わってた。あとは帰るだけだった」
マルセルは乱れた息を整えるように一度大きく吸い込んだ。
「岩場を抜けようとしたところでクラッグホーンに襲われた。避けようとはした。でも技師もいるし、あの足場じゃ思うように動けなくて……戦うしかなかった……そこでエリオが斜面を滑り落ちた」
「それで歩けなくなったのね」
「ああ」
「カイルは?」
「怪我はしてなかった」
必要なことだけを書き留めながら、続きを待つ。
「エリオが立てなくなって、戦うのはやめた。俺があいつを支えて、技師を先に行かせて、カイルが後ろについた。何度かクラッグホーンを止めてくれたけど、岩場じゃ向こうの方が速くて……離れたと思っても、またすぐ追いついてきた」
そこで初めて、マルセルの声が詰まった。
「それでカイルが、エリオを連れて先に行けって」
「自分は?」
「引きつけて、距離が開いたら追いつくって。一人なら動ける。その方が全員で固まって逃げるよりいいって……」
しばらく俯いていたマルセルが、懐へ手を入れた。
「それで……これを」
マルセルが懐から出した手を開いた。
手のひらに乗っていたのは、小さな黄色い金属板だった。
細かな傷の残る、使い込まれた冒険者のタグ。
ミレイユには見覚えがあった。
依頼を受けるときも、帰ってきたときも、何度となくこの受付で確認してきたものだ。刻まれた名前を確かめるまでもない。
「あとで返せって」
マルセルはそう言って、タグを差し出した。ミレイユは何も言わずに受け取る。
いつもなら本人が身につけたまま、この受付へ戻ってくるものだった。
ミレイユはそれを記録用紙の脇へ静かに置いた。
「別れたのは、どれくらい前?」
「三時間……いや、四時間近い」
「何かあった時の決め事は?」
マルセルが一瞬黙った。
「ある」
「なに?」
「帰路の途中に、少し道が開けた場所がある。はぐれたときは、そこで一度待つって決めてた」
「待ったの?」
「ああ」
短い返事だった。
「どれくらい?」
「……十分は待った。それ以上は待たない約束だ」
紙の上に、その場所を書き加える。
「それで、こなかった場合は?」
「無理に戻らない。残った奴を探しに行って、また全員動けなくなったら意味がないから……そのままギルドまで戻って報告する。それが俺たちの決め事だ」
口にした本人が、一番苦しめられているようだった。
「じゃぁカイルも、それを分かってるのね」
「ああ」
「わかった。必要なことはだいたい聞けたわ」
その返事を待っていたように、マルセルが身を乗り出した。
「だったら、早く助けを出してくれ!」
「マルセル」
「もう四時間だぞ! 俺たちは途中でも待ったんだ! それでも来なかった。今から行ったって、着く頃には――」
カウンターの脇に置かれたタグへ顔を向け、一度息を吸い直す。
「……あいつは、あとから来るって言ったんだ」
掠れた声だった。
「返せって言ったんだよ。だから……頼む」
ミレイユへ向き直る。
「助けを出してくれ」
紙の上には、必要な情報が揃っている。
場所も分かる。経緯も分かる。カイル自身も、追いつくつもりで残った。
それでも、受付の判断だけで人を送り出すことはできない。
「……すぐには出せないわ」
「は?」
「今いる人たちを、誰でも集めて行かせるわけにはいかないの」
「人ならいるだろ!」
ギルドの中には、依頼を終えて戻った冒険者が何人かいる。壁際で装備を外している者もいれば、受付を待っている者もいた。
「落ち着いてマルセル」
「クラッグホーン一体だぞ!」
「あなたたち三人で護衛して、それでも一人が残らなきゃ帰れなかったんでしょう?」
ミレイユは聞き取りを終えた紙へ手を添えた。
「ここにいる人たちだって、依頼を終えて帰ってきたばかりよ。現場へ行ける人を確認して、人数も準備も整えないといけない」
「仲間が残ってるんだぞ!」
その言葉に、ミレイユの表情からすっと何かが消えた。
怒ったわけでも、目を逸らしたわけでもない。
ただ、それまで声に残っていた柔らかさも、マルセルを気遣うような色もなくなる。
「ええ」
返ってきた声は静かだった。
「あたしだって、同じ気持ちよ」
少し前までの甘さは、もうどこにもなかった。
「ここから先は、あたしだけでは決められない。ギルド長を呼んでくる」
「だったら早く――!」
ミレイユは記録用紙と、その横に置かれていたタグを手に取った。
「マルセル。ここにいて」
マルセルは何も返さなかった。
ほどなくして、ミレイユはホルトを連れて戻ってきた。
歩きながら記録に目を通していたホルトは、受付まで来ると最後の行まで読み終える。
「エリオは?」
「医務室です。右脚を怪我しています。技師さんに怪我はありません」
「そうか」
記録をカウンターへ置く。
「マルセル。よく二人を連れて帰った」
「そんな話はどうでもいい! カイルを助けに行ってくれ!」
「行ける奴は探す。だが、今すぐ誰かを出すとは言えん」
「なんでだよ!」
張り上げた声に、ギルドにいた何人かが会話を止めた。
「ここにいる連中の大半は依頼帰りだ。現場まで三時間はかかる。着く頃には夜になる。その先には、お前たち三人でも振り切れなかった魔物がいる。誰でもいいなら出せる、なんて状況じゃない」
マルセルが周囲へ向き直る。
壁際で装備を外していた者。椅子に腰を下ろした者。受付を待っていた者も、何が起きたのかはすでに分かっている。
「……誰か」
すぐには誰も動かなかった。
「頼む。仲間がまだ渓谷に残ってる。場所は分かってる。俺も行く。だから誰か――」
「仲間って、誰のだよ」
冷めた声が返ってきた。
腕を組んで壁に背を預けていた男は、顔を上げようともしない。
「カイルだよ! 知ってるだろ!」
「顔くらいはな。悪いが俺はそいつと組んだこともないし、仲間でもねぇ。同じギルドで仕事を受けてるってだけだ。同じ冒険者だからって、知らねえ奴のために命まで貸せって言われても困る」
「……俺の仲間なんだよ!」
「だから何だよ」
別の男が口を挟んだ。
外したばかりの胸当てが、足元に置かれている。
「こっちは朝から仕事して帰ってきたばっかりだ。今から三時間歩いて、夜の岩場でクラッグホーンとやれって?死ねって言ってるようなもんだ」
「助けを待ってんだぞ!」
「じゃぁ聞くが俺がそこで怪我したら、今度は誰が俺を助けに来るんだよ」
「……だからって見捨てるのかよ」
「見捨てるも何も、そいつが残るって決めたんだろ。だったら――」
男はマルセルを見た。
「見捨てたのは、お前らじゃねえか」
椅子が床を擦った。
次の瞬間には、マルセルが男の胸倉を掴んでいた。
「……もう一回言ってみろ」
掴まれた男も立ち上がり、一歩も退かない。
「何度でも言ってやる。置いてきたのはお前だ」
「お前――!」
「マルセル」
ホルトの低い声が割って入る。
それでも、胸倉を掴んだ手は離れなかった。
「離せ」
二度目は、さらに低かった。
荒い息を吐きながらも、やがてマルセルの指が緩む。
解放された男は乱れた胸元を直し、そのまま椅子へ腰を下ろした。
誰も彼を責めなかったが、マルセルの肩を立つ者もいなかった。
「……金額によるな」
沈黙の中から、新しい声が上がった。
少し離れたところにいた冒険者が、壁から身体を起こす。
「俺なら行ける。ただし、無償じゃ行かねえ。それと、俺を入れて六人。最低でもそれだけは戦える奴が欲しい。それ以下なら行かない」
一瞬だけ希望を見せたマルセルに、男はそのまま現実を突きつけた。
「クラッグホーンがまだいるかもしれねえ。夜の岩場でヤツとやり合うのは最悪だ。それに、見つけたカイルが歩ける保証もねえ。担いで運ぶなら二人はいる。戦えるのは残る四人。そう考えたら最低でも六人はいる」
「……いくらだ」
告げられた額に、マルセルが息を詰めた。
安くない。それも、一人分だった。
「出す。俺とカイルの金がある。それで足りなきゃ、残りはあとで――」
「ふざけんな」
男の声が被さる。
「帰ってこられる保証もねえ仕事だぞ。これから稼いで返しますなんて口約束を信用して、俺らに命張れって?」
マルセルは答えられない。
「先に報酬が決まって、払われる保証がある。それで初めて仕事だ」
「……エリオの分も」
そこまで口にして、自分で止めた。
「いや……あいつの金は使えない」
「なんでだ?」
「あいつには妹がいる」
朝、大事そうにしまっていた小さな紙。
妹に頼まれた買い物を忘れないようにと、何度も確かめていた。
「あいつが一人で養ってる。あれは、エリオだけの金じゃねえ」
ホルトは何も言わなかった。エリオの事情は知っている。
だから最初から、その蓄えを救助費用として数えるつもりもなかった。
「私も出します」
それまで口を挟まずにいた技師が、ようやく声を上げた。
「今回の調査で、彼は私たちを逃がすために残ったんです。全額は無理でも、私の手持ちを使ってください」
「それでも足りん」
ホルトの返事は短かった。
「……これでも駄目なのかよ」
「それに、そいつが吹っかけてるわけでもない」
ホルトは、行くと申し出た冒険者を示す。
「夜の山へ入って、魔物がいる場所から一人連れ帰る。場合によっちゃ戦闘にもなる。六人は最低限だし、その人数で行かせるなら安い仕事にはできん」
「じゃあどうすんだよ!」
「今回の依頼主はグランツハイムだ。追加の費用を求めることはできる」
「だったら――」
「今から確認を取りに行って、返事を待つのか?」
「そんなもの待ってたら、間に合わねえだろ……」
「ああ。だから待たん」
ホルトは迷わなかった。
「必要なら、費用はギルドで一時的に持つ。グランツハイムとの話は俺があとでつける。金の問題は俺がどうにかする」
それでも、話は終わらない。
「だが、金を用意したからって人が生えてくるわけじゃない」
現時点で名乗り出たのは、一人だけだった。
「俺も行く!」
「お前は数に入れん」
「なんでだよ!」
「エリオを背負ってここまで戻ってきた人間を、今から夜の山へ送り返せるか。今動けることと、現場に着いてから動けることは別だ」
「俺は――」
「途中でお前まで動けなくなれば、助ける人間が一人増える」
それ以上、マルセルにも言い返せなかった。
「今足りないのは、金だけじゃない」
ホルトの声が、静まったギルドの中を通る。
「今からあの場所へ行って戦える人間だ」
金なら出すと言った。
技師まで出すと申し出た。
足りない分は、ホルトがギルドで背負うと言った。
それでも、救助隊はまだできない。
「今から行ける冒険者を募る。条件を満たす奴には、こっちからも声をかける。お前たちが戻ったことと、カイルが残っていることはグランツハイムにもすぐ伝える」
「……いつ出られる?」
「人が揃い次第だ」
「どれくらいかかる?」
「分からん」
「分からないって……」
「今ここで、必ず出せると言う方が嘘になる」
「でもカイルは待ってるんだぞ!」
ホルトは、それ以上の約束をしなかった。
しばらく立ち尽くしていたマルセルが、何かを探すように受付の方へ顔を向ける。
「……ミレイユさん」
呼ばれても、ミレイユは俯いたままだった。
先ほどまでマルセルから聞き取っていた記録と、カイルのタグ。その二つが、並んでカウンターの上に置かれている。
「ミレイユさんからも、なんか言ってくれよ」
声にはもう、さっきまでの怒気がなかった。
「カイルのことよく知ってるだろ。アンタは何回も送り出してるだろ」
返事はない。
「頼むよ……」
それでも、ミレイユは何も言わなかった。
「俺たちは、あいつを置いてきたんだ」
カウンターに添えられていたミレイユの指先が、ほんのわずかに動いた。
誰も気づかないほどの、小さな変化だった。
「あいつは、あとから追いつくって言ったんだ。だから……エリオを連れて俺は……」
そこまで言って、マルセルはカウンターに置かれたタグへ目を落とした。
「途中で待った。決めてた場所で、ちゃんと待った。それでも来なかったから……ここまで戻れば、助けを出してもらえると思って……」
誰も口を挟まない。ホルトも、技師も。
さっきまで言い合っていた冒険者たちも。
「なのに、また待つのかよ」
マルセルの声が掠れた。
「俺たちだけ帰ってきて、ここで待ってろっていうのかよ!」




