第23話「再調査の依頼」
前回のあらすじ
ミレイユとの食事を終えた帰り道。
広場のベンチで、リントはかつて自分を迎え入れてくれた一人の男のことを語った。
帰ってくると信じて待ち続けた日々。
誰にも話すつもりのなかった過去を、気づけばリントはミレイユへ話していた。
「ずっと……待ってたのに」
こぼれた言葉にミレイユはただ、握りしめられたリントの拳へ、そっと手を重ねる。
そして帰り際、リントは彼女へ一つの言葉を口にした。
「優しいですよね」
昼を少し過ぎた頃、リントは冒険者ギルドの扉を開けた。
依頼掲示板の前には何人かの冒険者が集まり、受付から聞こえる話し声に、ときおり椅子を引く音が混じっている。その間を抜けながら受付へ目を向けると、ミレイユは先に来ていた男の対応をしていた。
男がカウンター越しに何かを尋ね、ミレイユが手元の書類を指で辿りながら答えている。
空いている受付へ向かいかけたところで、その顔がふと上がった。
目が合う。
ミレイユは話を続けたまま、男からは見えないカウンターの陰で片手を小さく上げた。指先だけを、ひらひらと揺らす。
リントは一瞬だけそれを見て、同じように小さく手を上げると、そのまま隣の受付へ向かった。
隣の受付には、若い女性職員が座っていた。
「こんにちは。今日は依頼をお探しですか?」
「はいリントです。しばらく予定もないので、何かあれば」
女性は頷き、手元の帳面へ目を落とした。何枚かめくったところで、その指が止まる。
「あ、リントさんでしたら……少しお待ちいただけますか」
そう言って、受付の奥へ視線を向けた。
「ギルド長が、来られたら声をかけるようにって」
「ホルトさんが?」
「はい。依頼のことでお話があるそうです」
女性は席を立つと、そのまま受付の奥へ入っていった。
リントはカウンターの前に残りながら、壁際の依頼掲示板へ目を向けた。
しばらくして戻ってきた女性に案内され、リントは受付の奥へ入った。
ホルトは机に広げていた書類から顔を上げると、向かいの椅子を示した。
「ちょうどよかった。仕事を探しに来たんだろ?」
「そのつもりでしたけど」
「なら話は早い、まぁ座れ」
リントが椅子に腰を下ろすのを待って、ホルトは手元の書類を一枚抜き出した。
「護衛の依頼が入ってる。行き先はグランツハイム領、前にお前たちが入った鉄鉱山だ」
崩落した坑道の先で見つけた空洞。その奥には、岩肌とは明らかに違う平らな壁が埋まっていた。
あの薄暗い空洞で、壁を蹴って頭上から襲いかかってきたサブテラーの姿も、まだ頭に残っている。
「……また護衛ですか。最近、多いですね」
護衛、と聞いて、リントはここ最近の依頼を思い返した。
少し前までなら、掲示板に並んでいても目が向く仕事ではなかった。それが一度引き受けてから、妙に縁が続いている。
あの薄暗い空洞で、壁を蹴って頭上から襲いかかってきたサブテラーの姿も、まだ頭に残っていた。
「鉱山はグランツの兵が入っている。空洞までの道も少し整備して、壁の前にも兵を置いてるそうだ。前回よりは動きやすい」
ホルトは書類の一箇所を指で示した。
「グランツ伯爵が、あの壁をもう一度調べたいらしい。それでローズベルグ家に話が来た。現地の戦力は足りてるから、お前に頼みたいのは道中と調査中の護衛だ」
「調査に行くのは誰ですか?」
「前回と同じ、ヴェルナ嬢だ。持ち帰った記録を調べてたのも彼女らしい」
――また、断られてしまいましたね。
宿の前で浮かべたヴェルナの笑みが、ふと蘇った。
「お前は珍しくパーティーを組まない冒険者だからな。護衛を避けてるのも分かってはいる。本当なら今回もダレンに回すつもりだった。前回も現場を仕切ってるしな。ただ、あいつは今、別件で街を出てる」
ホルトは手元の書類を指で寄せた。
「そこで、だ。前の調査に参加して現場も知ってる。あそこで魔物ともやり合ってる。腕も素行も問題ない。ヴェルナ嬢の護衛を任せるなら、お前が一番話が早いってわけだ」
書類には、依頼主としてローズベルグ家の名が記されていた。
「まあ、無理にとは言わん。お前が護衛を好まないのは知ってるからな。断るなら、他を探す」
出発は二日後。グランツハイムまでの往復と、現地での護衛。日数も報酬も、特に断るような条件ではなかった。
数日前、自分から離れたはずのものが、また目の前に置かれている。
前と同じように、仕事以上に近づかなければいい。今回はただの護衛で、行って、守って、調査が終われば帰ってくる。それだけなら何も変わらない。食事に誘われたところで、また断ればいい。
そこまで考えたところで、リントは書類から目を離した。
三日前は、ミレイユと約束を守るために、ただ食事をして帰るだけのつもりだった。
気づけば横に座り、話すつもりのなかったことまで話していた。
それでもギルドへ来ればミレイユはいつもの場所にいた。目が合えば、変わらず手を振ってくれた。
だから今回も大丈夫だなんて、ずいぶん都合のいい考えだと分かってはいる。
ホルトが書類を引き寄せかけたところで、リントの手がその端を押さえた。
「いえ……。俺がやります」
「そうか、出発は二日後の朝だ。ローズベルグ家の馬車でグランツへ向かう。詳しい日程は向こうで確認してくれ、調査の進展具合で日数が変わる」
「分かりました」
「現地に着いてからはグランツの兵がつく。さっきも言ったが、お前はヴェルナ嬢から離れなければいい。何かあっても、勝手に追うなよ」
「……はい」
「なら決まりだ、受付で手続きだけ済ませていけ。ローズベルグ家にはこっちから伝えておく」
ホルトは机の端に置かれていた別の書類を取り、何かを書き込み始めた。
***
二日後。
リントがローズベルグ邸へ着いたときには、門の前に一台の馬車が停まっていた。
後ろでは御者が荷台に積んだ木箱を縄で固定しており、そのそばでアルフレッドが手元の紙と荷物を見比べている。リントが門へ近づくと、先にこちらへ気づいたアルフレッドが紙を折り畳んだ。
「おはようございます、リント様」
「おはようございます。少し遅かったですか?」
「いいえ。もう間もなく準備が整いますので、ちょうどよい時間です」
馬車の脇には革鞄や水桶がまとめられ、その横には見覚えのない箱もいくつか置かれていた。前回より荷物が多い。
リントがそちらを見ていると、屋敷の扉が開いた。
アルフレッドが振り返る。
その向こうから、革鞄を手にしたヴェルナが出てきた。
「おはようございます、ヴェルナ様」
「リントさん!おはようございます」
ヴェルナはそのまま階段を下りてきた。
「今回も、よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」
ヴェルナが持っていた革鞄へ、リントは手を伸ばした。
「それ、持ちますよ」
ヴェルナは鞄を持ったまま、リントの前まで歩み寄った。
リントが鞄へ手を伸ばす。そのすぐ近くで、銀色の髪が肩からさらりと落ちた。
ヴェルナは持ち手をこちらへ向ける。
「少し重いですけど、大丈夫ですか?」
顔を上げると、ヴェルナがこちらを見ていた。
「……ええ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
ヴェルナはそのまま鞄をリントへ預けた。
御者が荷を固定しているあいだに、アルフレッドは積み込まれた箱を一つずつ確かめていた。
「アルフレッド。もう大丈夫ですよ」
最後の箱を確かめてから、ようやくアルフレッドが顔を上げる。
「……左様でございますか。では、お嬢様。どうかお気をつけて」
「ありがとう、アルフレッド」
ヴェルナはそう言って、柔らかく笑った。
「では、お二人とも。お気をつけて」
御者が手綱を引くと、馬車がゆっくりと動き出した。
門の前に立つアルフレッドの姿が窓の向こうへ流れ、やがてローズベルグ邸も建物の陰へ隠れていく。
馬車は朝のローゼンフェルトを抜け、グランツハイム領へ続く街道へ出た。
向かいに座るヴェルナは、膝の上に置いた小さな革鞄を開いていた。
「ヴェルナ様、あれからずっと調べものですか?」
「ずっと、ではありませんよ」
ヴェルナは少し考える。
「アルフレッドと街へ買い物にも行きましたし、父と領内を回った日もありました。あとは……庭のお花をお手入れしたり」
「ヴェルナ様が手入れしてるんですか?」
「はい。全部ではありませんけど、私が植えたものもありますから」
「へえ……でもなんとなく想像できますね。庭で手入れされてる姿」
「そうですか?」
ヴェルナは小さく笑った。
***
二日目の夕方、馬車は山の麓にある町へ入った。
通りには石造りの建物が並び、軒先には泥のついた長靴や作業道具が置かれている。道の脇に停められた荷車には何も積まれておらず、荷台だけが夕暮れの中に残されていた。
宿に荷物を置き、明日の出発時間だけ確認して部屋へ入る。長く馬車に揺られていた身体を休めているうちに、窓の外はすっかり暗くなっていた。
そろそろ夕食にしようかとベッドから腰を上げたところで、扉を叩く音がした。
「リントさん、私です」
扉を開けると、ヴェルナが立っていた。
「どうしました?」
「そろそろ夕食にしようかと思いまして。明日の出発時間や、これからの日程についても少しお話ししておきたいので、ご一緒しませんか?」
リントは扉に手をかけたまま、ヴェルナを見た。
「………わかりました。行きましょうか」
「はい。行きましょう」
ヴェルナは先に廊下を歩き出した。
一階へ降りると、食堂にはすでに何組かの客がいた。厨房からは肉を焼く匂いが流れてくる。
空いていた卓へ向かい合って座り、しばらくして運ばれてきた煮込み料理に手をつける。
「それで、明日は何時に出ますか?」
リントがパンをちぎりながら尋ねる。
「朝食を済ませたら出ましょう。ここから鉱山までは歩いて三十分ほどですから、少しゆっくりでもかまいません」
「分かりました。着いたらグランツの兵と合流でしたよね、調査は何日くらいを予定してます?」
「それは、実際に調査してからになりますね。長くても五日で戻るよう父に言われていますから、それまでには何か掴みたいです。調査中は、ここから鉱山へ通うことになると思います」
「なるほど……他には何かありますか?」
リントは煮込みを一口食べた。
「現地ではグランツ伯爵の兵士が配備されてるそうなので、前回よりは安全かと思います……今、お伝えできるのはこのくらいでしょうか。どうしても現地での調査次第になりますので」
ヴェルナはそこで言葉を切り、再び料理へ手をつけようとする。
リントはパンを持ったまま、その様子を見ていた。
「……ヴェルナ様。予定の話って、今ので全部ですか?」
「はい。今のところは」
「……もう少しあるのかと思ってました」
「そうですか」
ヴェルナは煮込みの中から豆をすくい、口へ運んだ。
皿に触れる食器の音に、少し離れた卓から聞こえる笑い声が重なる。
リントもちぎったパンを煮込みに浸した。
しばらくして、ヴェルナがスプーンを皿へ置いた。
「……リントさん」
「はい?」
「私ばかり話していましたけど、リントさんは何かありませんか?」
リントは少し考える。
「明日のことなら、特には」
「明日のことでなくてもいいですよ」
「明日のこと以外……特にないですけど、何かありましたっけ?」
「さぁ、何でも構いませんけど。リントさん、リューデンではそんなに困っていませんでしたよね」
リントの手が止まった。
煮込みに浸したパンの端から、汁が一滴、皿へ落ちる。
「……そうでしたっけ」
「そうでしたよ」
ヴェルナはそう答えると、またスプーンを取った。
***
食事を終えて二階へ戻り、それぞれの部屋の前で足を止めた。
「では、明日は朝食のあとに」
「はい。あと、もしこのあと外に出るなら声をかけてください。ご一緒しますので」
ヴェルナは自分の部屋の扉に手をかけたところで、リントを見た。
「分かりました。では、そのときはお願いします」
ヴェルナが部屋へ入るのを見届けてから、リントも向かいの扉を開けた。
廊下に二つの扉が閉じる音がして、宿の夜は静かに更けていった。




