第24話「冷めた夕食」
前回のあらすじ
グランツハイムの鉱山で発見された人工壁を再調査するため、ヴェルナの護衛を引き受けたリント。
ローズベルグ邸を出発した二人は、二日かけて鉱山の麓にある町へ到着する。
翌日から始まる調査を前に、ヴェルナに誘われて夕食を共にしたリントは、以前のように彼女と言葉を交わしながら、再び同じ時間を過ごし始めていた。
翌朝。
朝食を済ませた二人は宿を出ると、鉱山へ続く道を歩いていた。
町を離れてしばらくすると、街道は次第に細くなり、山肌に沿う道へ変わっていく。前回来たときには何度か足を取られた斜面も均され、崩れていた場所には新しい土が入れられていた。
やがて鉱山の入口が見えてくる。
前にはなかった柵が設けられ、その脇にはグランツの兵が二人立っていた。少し離れたところには天幕も張られ、荷箱や水桶がまとめて置かれている。
二人の姿に気づいた兵の一人がこちらへ歩いてくる。
「あぁ、この前の。久しぶりです」
見覚えのある顔だった。前回、共に鉱山へ入った兵の一人だ。
「お久しぶりです。またお世話になりますね」
ヴェルナが頭を下げると、兵士も軽く頭を下げた。
「こちらこそ。今回は中にも兵を配置してます。空洞までの道も、前よりは歩きやすくしてありますよ。例の魔物も、あれから二匹遭遇しましたが、どちらも討伐しています」
「まだ出そうですか?」
リントが尋ねる。
「ここ数日は見てませんね。ただ、警戒は解いてませんよ。前回と違って、今は鉱山の警備に兵士三十名が派遣されています。交代で警戒にあたって、調査中も十五名は中に配置することになってます」
「十五人は中にいるんですね。何か出た場合も、そちらの兵で対応するってことでいいですか?」
「ええ。あれが二匹続けて出ましたから。もし何かあれば、まず中の兵が対応します。リントさんは専属の護衛ですよね?」
「はい。何かあった場合は、ヴェルナ様の護衛を優先させていただきます」
「分かりました。隊長は今中に入ってるので他に何かあればおっしゃって下さい」
兵士はそう言って、柵の脇を開けた。
「どうぞ、中まで案内します」
前回は携帯灯の明かりだけを頼りに進んだ坑道も、今は壁際に一定の間隔で灯りが置かれていた。足元には板が渡され、崩れた岩や土も脇へ寄せられている。
奥へ進むにつれて、立っている兵の姿も増えていった。曲がり角や道が分かれる場所には二人一組で兵が立ち、通り過ぎるたびに案内役の兵士と言葉を交わしている。
「だいぶ変わりましたね」
リントが辺りを見ながら言うと、前を歩く兵士が振り返った。
「調査の間、何度も行き来することになりますからね。崩れそうな場所も一通り確認してあります」
やがて見覚えのある空洞へ出た。
前回とは違い、中は明るかった。
壁際にはいくつもの灯りが置かれ、天井近くまで届く光が空洞全体を照らしている。入口の左右だけでなく、奥の人工壁の前にも兵が立ち、さらに離れた場所では数人が周囲を見回っていた。
死角になりそうな岩陰にも兵がいる。壁際には剣と盾を手の届くところへ置いた兵が待機し、入口から人工壁まで、どこにいても何人かの姿が目に入った。
「これなら、前よりずっと調査しやすそうですね」
ヴェルナは空洞を見回してから言った。
「ええ。何かあっても、すぐ対応できるようにしています」
案内してきた兵士が答える。
これだけ兵がいれば、少なくとも前回のように、数人だけで魔物を相手にすることはない。
奥にある人工壁は、以前と変わらない姿で岩盤の中に残されていた。
ヴェルナは壁の前まで歩いていくと、背負っていた鞄を下ろした。
「では、始めましょうか」
ヴェルナは鞄から、前回ここで書き写した刻印と、ローズベルグ家から持ってきた古い資料を取り出した。
最初に確かめたのは、持ち帰った写しがどこまで正確だったかだった。壁の前を行き来しながら線の形や並びを照らし合わせていくと、細かな部分までほとんど違いはない。
それを確認すると、今度は家から持ってきた資料との照合に移った。
古い術式の記録には、壁の刻印と似た形がいくつも見つかった。別の資料には並び方の一部が近いものもあり、まったく無関係なものとは思えない。
それでも、一致するものはない。
資料を替え、場所を変えながら調べ続けても、それは日が傾く頃まで変わらなかった。
*
二日目も、二人は朝から鉱山へ向かった。
ヴェルナは前日に見つけた共通点を中心に調べ直し、刻印の位置や組み合わせまで範囲を広げていった。昼を挟んでもほとんど壁の前を離れず、宿へ戻る頃には、持ち込んだ紙の何枚かが新しい書き込みで埋まっていた。
夕食の時間になり、リントは一階へ降りて先に食事を済ませたが、食べ終わってもヴェルナの姿は見えなかった。
二階の自室へ戻る前に向かいの部屋の扉を叩く。
「ヴェルナ様?」
もう一度扉を叩く。
しばらくして、中から声がした。
「……はい。どうかされましたか?」
少し遅れて扉が開き、ヴェルナが顔を出した。
「邪魔してすみません。さっきまで夕食取ってたんですけど、来られなかったので。まだ調べてるのかなって思って」
「夕食……」
ヴェルナは廊下の窓へ目を向けた。外はもう暗くなっている。
「あ……まだです」
「やっぱり。もしよければ、部屋まで運んでもらえるように頼んでおきましょうか?」
「いえ、そこまでしていただかなくても――」
「俺も下に行くついでですから」
ヴェルナは少し迷ってから頷いた。
「……では、お願いしてもいいですか?」
「はい。でも、少しは休んでくださいね。お昼もほとんど食べずにずっと調査されてたので」
「分かりました。ありがとうございます」
一階で食事を用意してもらい、リントはそれを持ってヴェルナの部屋へ戻った。
扉を開けたヴェルナは受け取ろうとしたが、リントはそのまま部屋の中へ運び、教えられた場所へ置いた。
机には鉱山から持ち帰った資料が広げられている。
「ありがとうございます」
「いえ。食べ終わった頃に下げに来ますね」
「はい」
ヴェルナが上の空で頷いたのを見て、リントも自分の部屋へ戻った。
それからしばらくして。
リントは食器を下げるため、もう一度ヴェルナの部屋を訪ねた。
机の上では資料の位置が変わり、新しく書き込まれた紙も増えていた。
その脇に置いた食事は、ほとんど手をつけられていない。
「ヴェルナ様……食べてないじゃないですか」
ヴェルナは振り返り、机の上に置かれた食事へ目を向けた。
「あ……。すみません……もう食べますので、もう少しだけ」
「あとどれくらいです?」
ヴェルナは広げていた資料へ目を戻した。
「この部分だけ確認したら……」
「じゃあ、それ終わるまで待ってます」
「え?」
「俺が帰ったら、またそのまま続けそうなので」
「……分かりました。では、本当にこれだけ」
ヴェルナは椅子へ戻り、広げていた資料に向き直った。
リントは邪魔にならないよう壁際の椅子へ腰を下ろす。
しばらく紙をめくる音と、ペン先が走る音だけが部屋に続いた。
やがてヴェルナは書き込んでいた紙を持ち上げ、壁の刻印を写した別の紙と見比べる。何度か交互に確かめたあと、リントが声をかけた。
「終わりました?」
ヴェルナは最後にもう一度だけ書き込んだ紙へ目を通すと、ペンを置いてリントへ顔を向けた。
「はい、すみません。お待たせしてしまって」
「いいですよ。じゃあ、食事にしましょうか」
ヴェルナは机の端に置かれていた盆を見ると、今度は資料を重ねて脇へ寄せ始めた。
*
三日目。
ヴェルナは壁の前にしゃがみ込み、刻印の一つを指先で辿っていた。
この壁を初めて見つけたときから、刻印の意味をすべて読み取れたわけではない。
ローゼンフェルトへ戻ってからも、持ち帰った写しを家に残る資料と何度も照らし合わせてきた。今回あらためて実物を調べたことで分かったこともあれば、結局分からないままのものも多い。
それでも、ずっと気になっていたことが一つあった。
壁に刻まれたいくつもの線を辿っていくと、その一部が同じ方向へ伸びているように見える。
その先は、長い年月のあいだに積もった土に埋もれている。
「……やっぱり、この辺りだと思うんですけど」
「何かあるんですか?」
「分かりません。ただ、この刻印が意味のある形で繋がっているなら、この先にも何かあるんじゃないかと、ずっと気になっていたんです」
ヴェルナが示した場所の土を、兵士から借りた道具で少しずつ取り除いていく。
土の下から、壁とは違う曲面が覗いた。
「何かありますね」
さらに周囲を掘ると、壁の一部に埋め込まれるようにして、握り拳ほどの緑の球体が姿を現した。
「……ここに繋がってたんですね」
ヴェルナは球体の周囲に残った土を払いながら、壁から伸びる刻印を一本ずつ確かめていった。
球体の表面にも細かな線が刻まれている。壁とは材質も違うようだったが、土に埋もれていた部分まで大きく傷んだ様子はない。
リントも隣にしゃがみ込み、覗き込む。
「ヴェルナ様それ、お宝ですか?」
「そうだったら分かりやすいんですけどね」
ヴェルナは少し笑うと、鞄から紙を取り出した。
それからは球体の大きさや壁への埋まり方を確かめ、表面の刻印を書き写していった。壁から伸びる線との繋がりも一つずつ辿り、途中で何度も資料を開いては、新しい紙へ書き込みを増やしていく。
日が傾き、調査を終える頃には、球体の周囲にあった土はすっかり取り除かれていた。
それでも、それが何のために埋め込まれているものなのかまでは分からなかった。
宿へ戻ると、ヴェルナは今日書き写したものを整理すると言って、そのまま自分の部屋へ入った。
リントも荷物を置き、少し休んでから一階へ降りる。
夕食を食べ始めても、ヴェルナは下りてこなかった。
食事を終えたリントは店の者にもう一人分を頼み、盆を持って二階へ上がった。
ヴェルナの部屋の前で足を止める。
「ヴェルナ様。夕食まだですよね、持ってきましたよ」
扉を叩く。
返事はなかった。
もう一度叩いてから、名前を呼ぶ。
「ヴェルナ様、夕食持ってきましたよ。少し休憩にしませんか?」
それでも中から声はしない。
三度目は、さっきより少し強く扉を叩いた。
「ヴェルナ様、入りますよ?」
しばらく待ったが、返事はなかった。
リントは持っていた盆を扉の脇へ置いた。
四度目に扉を叩く。
「ヴェルナ様?」
廊下は静かなままだった。扉の鍵は閉まっている。
リントは階段を足早に下り、そのまま店の者がいるところへ向かった。
「すみません。俺と一緒に泊まってる銀髪の女性、見ませんでした?」
「銀髪の?」
「はい。二階の、俺の向かいの部屋です」
店の者は少し考えてから首を横に振った。
「いや……見てないと思うけどな。出入りまで見てるわけじゃないから、いつ出たかまでは分からんよ」
「そうですか。ありがとうございます」
リントは階段を駆け上がった。
もう一度ヴェルナの部屋の扉を叩く。
「ヴェルナ様!?」
自分の部屋へ戻り、置いていた短剣を手に取る。
そのまま鞘ごと握って宿の外へ出た。
夜の町は昼間よりずっと静かだった。
通りを見渡しながら歩き、宿の周囲から近くの道へ入っていく。
歩く人の姿もまばらだった。
ヴェルナがどこへ行きそうなのか考えても、初めて来た町では店も道もほとんど知らない。
リントの歩く速さが上がった。
閉まった店の前を通り過ぎ、町の外れまで来たところで足を止める。そこから先にも道が続いていた。
離れたところから、水の流れる音が聞こえる。
リントはそちらへ向かった。
町の明かりが遠ざかるにつれて、辺りは暗くなっていく。
雲のない夜だった。
頭上には丸い月が浮かび、道と、その先を流れる川を淡く照らしている。
リントは流れに沿って歩いていく。
月明かりの下、水際にしゃがみ込む人影が見えた。
銀色の髪が、夜の中で淡く浮かんでいる。
「ヴェルナ様!! 大丈夫ですか!?」
声を上げながら、リントは駆け出した。
水際にいたヴェルナが、驚いたように振り返る。
「……リントさん?」
「怪我はないですか!?」
駆け寄ってきたリントに、ヴェルナは目を丸くした。
「え? はい。どこも……」
「何されてたんですか!?」
「何って……川を見ていただけですけど……」
ヴェルナは水面を指した。
月明かりが流れに揺れ、白い光が細かく形を変えながら下流へ流れていく。
「少し頭を休めようと思って外に出たら、川が見えたので。近くまで来て見ていました」
話しながら、ヴェルナの目がリントへ戻る。
肩を上下させて息をしている。その手には、鞘に収まったままの短剣が握られていた。
「……リントさん、何かあったんですか?」
「いや……」
呼吸を整えながら、もう一度ヴェルナを見る。
「ヴェルナ様……出るなら声かけてくださいって、言いましたよね」
ヴェルナはリントを見たまま、何も言わなかった。
やがて短剣へもう一度目を向け、それからリントの顔を見る。
「……すみません。少し歩くだけのつもりだったので」
「俺、この町のことほとんど知らないんですよ。どこ探したらいいかも分からないですし」
「……はい」
「何もなくてよかったですけど」
ヴェルナは少し肩をすぼめ、リントを見上げた。
「次からは、ちゃんと声をかけます」
リントは呼吸を整えると、ヴェルナが見ていた川へ目を向けた。
「調査、行き詰まったんですか?」
「行き詰まったというより……少し考えすぎてしまったみたいです」
ヴェルナも水面へ目を戻した。
「今日見つけた球体に繋がっていた刻印なんですけど、似た形はいくつか資料にあるんです。ただ、同じものはなくて。それぞれの線が何を意味しているのかも、まだ全部は分かっていません」
「なるほど……」
「でも、少し頭の中が整理できました」
「ならよかったです」
リントは川から離れると、来た道へ身体を向けた。
「もう遅いですし、そろそろ戻りましょう。それと夕食まだですよね?」
「あ……」
「やっぱり……ヴェルナ様の夕食、部屋の前に置いたままなんです」
「持ってきてくださってたんですか?」
「昨日も食べてなかったでしょう」
リントが歩き出すと、ヴェルナもその隣へ並んだ。
町へ近づくにつれて建物の明かりが増え、やがて見覚えのある宿が通りの先に見えてきた。
宿へ戻り、二階へ上がる。
ヴェルナの部屋の前には、リントが置いていった盆がそのまま残っていた。
「温めてもらってくるので部屋で待っててください」
「そこまでしていただかなくても――」
「すぐ戻りますから。今日はもう調べものしないで休んでくださいね」
温めてもらった食事を持って戻ると、今度はリントが部屋の中まで運び、机の上へ置いた。
「食べ終わった頃に、また下げに来ます」
リントが部屋を出ようとすると、後ろから声がした。
「リントさん」
振り返ると、ヴェルナはまだ机の前に立っていた。
「今日は……すみませんでした」
「もういいですよ、何もなかったんですから。でも、次に出るときは声かけてくださいね」
「はい。分かりました」
リントが部屋を出てからも、しばらく扉を見ていた。
それから机へ戻って椅子に腰を下ろす。
温め直された食事のすぐ隣には、今日持ち帰った資料が重ねて置かれていた。
ヴェルナは資料へ伸ばしかけた手を止めると、代わりにまだ温かい食事を口へ運んだ。




