第18話「守るべき距離」
前回のあらすじ
ギルド裏でミレイユと話すうち、これまで用事もないのに誰かと過ごしたり、誰かのために何かを選んだりすることのなかったリントは、自分でも戸惑いながら、その変化を口にする。別れ際にはミレイユへ礼を伝え、初めて自分から食事へ誘った。
それから数日後。ローズベルグ家には、東の森林地帯で遭遇した異形魔物について、アイゼンヴァルトから正式な回答が届く。魔物は獣用の罠を引きちぎった個体で、すでに討伐済み。エドワードは疑念を残しながらも、この件をそれ以上追わないことを決める。
一方、グランツハイム領西部の鉄鉱山では、採掘中に見つかった空洞の先から、人工的な構造物と用途不明の刻印が発見されていた。
現地調査の協力を求められたローズベルグ家だったが、エドワードの体調では長旅は難しい。そこでヴェルナが自ら代理を申し出る。
娘の研究者としての才を認めるエドワードは、二人の護衛をつけることを条件にそれを許可。その一人として、かつてヴェルナを危険な森から連れ帰ったリントを指名する。
父から資料と依頼を託されたヴェルナは、翌日シルヴァハイムへ向かうことを決めた。
「護衛は、二名でよろしいのですね」
ホルトは卓上の依頼書から顔を上げた。
「はい。現地にはグランツハイム伯爵家の兵が五名いるそうですが、それとは別に、冒険者を二名お願いしたいと父から」
「そのうち一人は、山岳地帯での経験がある者を」
「お願いします」
窓を閉めた特別室には、表の喧騒も遠くしか届かない。卓上にはホルトが目を通している依頼書と、ヴェルナが父から預かってきた資料が広げられていた。
坑道の略図。その脇には、岩盤が崩れた位置と、その先で見つかった空洞について現地で書き加えられた記録がある。
ヴェルナはさらに一枚をめくる。
人の手が入ったように平らな壁面。継ぎ目。用途の分からない刻印。
そこから先は、紙の上にも書かれていなかった。
「調査に入るのは、ヴェルナ様ご自身で?」
「はい。父に代わって、私が向かいます」
ホルトは依頼書から顔を上げた。
「分かりました」
そのまま椅子の背へ身体を預け、しばらく考えてから口を開く。
「山に慣れていて、護衛もできるとなると……何人か心当たりはあります。その中なら、ダレン・クルガが一番合うでしょう」
「ダレン・クルガさん」
「Bランクです。山での依頼も何度か経験しています。以前は兵士をしていた男で、人を連れて動くことにも慣れている」
ヴェルナは頷いた。
「もう一人は、リントをご希望ですか」
「はい。父からです。東の森林地帯で、退くべきところを見誤らず、私を無事に連れ帰ったことを父も聞いています。それで、今回もお願いできればと」
「なるほど」
ホルトは依頼書へ目を戻し、二人の名前を書き留めた。
「分かりました。ダレンとリントには、こちらから通達を出しておきます」
「お願いします。明日までは、こちらに滞在するつもりなので」
「でしたら、返事が来たら宿へ知らせを出します」
ホルトはそこで少し考え、卓の脇に置かれていた紙を一枚引き寄せた。
「二人が難しかった場合に備えて、ほかにも何人か当たっておきます。山の経験がある者は限られますが、いないわけじゃありません」
「ありがとうございます」
「正式な依頼ですからね。そこはこちらの仕事です」
ホルトはそう言って、手元の紙へいくつか書きつけていった。
話を終えたヴェルナは、以前にも利用した宿へ向かった。
翌朝、ヴェルナは再びギルドを訪れた。
昨日と同じ特別室で、ヴェルナは用意された紅茶を飲みながら待っていた。父から預かった資料は、卓の端に重ねてある。
ほどなくして、扉を叩く音がする。
「どうぞ」
扉が開き、入ってきたリントの足が止まった。
「……ヴェルナ様」
リューデンから戻った日、ローズベルグ邸の前で別れて以来だった。
「こんにちは、リントさん」
ヴェルナはカップを受け皿へ戻し、向かいの椅子を手で示す。
リントは一度だけそちらを見てから扉を閉めた。
「……失礼します」
椅子を引き、卓を挟んで腰を下ろす。
廊下を行き交う足音が、ときおり扉の向こうを通り過ぎていく。ヴェルナが再びカップを手に取ると、リントの目は卓の端に重ねられた資料へ向いていた。
しばらくして、一番上の紙へ手が伸びる。
「見てもいいですか?」
「はい。父から預かってきたものです」
リントは一枚目から目を通し始める。
紙が一枚ずつめくられていく。ヴェルナのカップから立っていた湯気は、いつの間にかほとんど見えなくなっていた。
やがて、リントの手が一枚の紙の上で止まる。
「鉱山までは、どこから歩くんですか?」
「麓の集落までは馬車で行けるそうです。そこから先は歩きになります」
「分かりました」
リントは紙へ視線を戻し、また一枚めくる。
ヴェルナはしばらくリントを見ていた。
「リントさん」
呼ばれて、リントが資料から顔を上げる。
「あの――」
扉を叩く音に言葉を止めた。
「……どうぞ」
扉が開き、先にホルトが姿を見せた。その後ろには、見覚えのない男が立っている。
「お待たせしました。ヴェルナ様」
ホルトは男を伴って部屋へ入り、扉を閉めた。
「こちらが、昨日お話ししたダレン・クルガです」
紹介を受け、男がヴェルナへ向き直る。
「ダレン・クルガと申します。今回の護衛を務めさせていただきます」
「ヴェルナ・ローズベルグです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」
それからダレンは、卓の向かいに座るリントへ目を向けた。
「君がリントか」
「はい。リント・グレイブです」
「ダレンだ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
ホルトは二人の挨拶が済むのを待ってから、空いていた椅子へ腰を下ろす。
「では、全員揃いましたし、依頼の確認から始めましょう」
ホルトは卓上の資料を、自分の方へ少し引き寄せた。
「まず、今回の護衛についてだが――ダレン」
「はい」
「現地までの道中を含め、護衛の指揮は君に任せる。リントも、基本的にはダレンの判断に従え」
「分かりました」
リントが答えると、ダレンも一度頷いた。
「承知しました」
「現地にはグランツハイム伯爵家の兵が五名いるそうだ。鉱山へ着いたあとは向こうの責任者とも話を通して、必要に応じて相談のうえ、動き方を決めてくれ。ただし――」
ホルトはそこでヴェルナへ目を向けた。
「今回の目的は、あくまで調査。危険があると判断した場合は、調査の途中でも二人はヴェルナ様を連れて帰還。何よりもヴェルナ様の身の安全を最優先にします」
「そのつもりです」
ダレンはそう答えてから、卓上の資料へ目を落とした。
「それで、出発はいつになりますか?」
「できれば、明朝には出発したいと思っています。現地から知らせが届いてから、すでに何日か経っていますから」
「分かりました」
ダレンは短く答え、リントへ目を向けた。
「君も、それで問題ないか?」
「はい。大丈夫です」
「では、明朝。ギルド前に集合ということで」
ホルトがそう締めると、ヴェルナは卓上に広げていた資料をまとめ始めた。
「よろしくお願いします」
「承知しました」
席を立ったヴェルナをホルトが伴って部屋を出ようとしたところで、ダレンがリントを呼び止める。
「リント。君は少し残ってくれ」
リントが振り返った。
「明日の装備について、少し話しておきたい」
「分かりました」
ヴェルナは二人へ軽く頭を下げ、ホルトとともに部屋を出ていった。
扉が閉まると、ダレンは空いた椅子へ座り直した。
「片手剣と盾か」
「はい。短剣もあります」
ダレンの視線が、リントの腰元から足元まで下りていく。
そして、卓上から坑道の略図を抜き取り、自分の前へ置いた。
「ロープは俺が持つ。君にも一本渡す。灯りは二人とも持っておこう。食料と水も少し余分に持っていく。予定どおり帰れるとは限らないからな」
リントは頷き、ダレンが広げた略図へ目を落とした。
「それと、護衛のことだ。ヴェルナ様とは、以前にも一緒に動いてるんだろ?」
「はい」
紙の上を進んでいたダレンの指が、鉱山を示す印のところで止まる。
「なら、君はヴェルナ様から離れるな。現地じゃ俺が兵と話すこともある。その間も、必ずそばにいてくれ」
リントが頷く。
「何かあったら、倒すことより連れて帰ることを優先する。俺が戦っているなら、君がヴェルナ様を連れて下がれ」
「ダレンさんが負傷した場合は?」
「現地には兵が五人いる。向こうの責任者と相談してからになるが、調査に入るときは何人か借りるつもりだ。俺か君が動けなくなったら、そのうちの一人に入ってもらう」
リントは少し考えてから口を開いた。
「それでも足りなかったら?」
「俺を置いていけ」
リントの視線が略図から上がった。
ダレンは変わらず、紙の上へ目を向けている。
「君がヴェルナ様を連れて戻れ。俺が指揮を任されたからって、最後まで俺の指示を待つ必要はない。護衛を続けられるのが君だけになったら、君が決めろ」
しばらくして、リントは頷いた。
「……分かりました」
ダレンは略図を元の束へ戻した。
「あとは明日の朝、荷物を見て決める。足りなければ出る前に足そう」
「はい」
「じゃあ、明日からよろしく頼む」
「よろしくお願いします」
***
翌朝。
ギルド前には、グランツハイムへ向かう馬車が一台停まっていた。
ヴェルナが着いたときには、ダレンとリントはすでに来ていた。
昨日とは違い、ダレンの腰には片手斧が提げられ、左腕には小盾。背負った荷には、まとめたロープが括りつけられている。
馬車のそばでは、ダレンが御者と話していた。やがてこちらに気づくと、話を切り上げて身体を向ける。
「おはようございます、ヴェルナ様」
ヴェルナも肩に掛けていた荷を下ろそうとしたが、手をかけるより先にリントがそばへ来る。
「預かりますよ」
荷を渡すと、リントはそのまま馬車の後ろへ回り、空いていた場所へ収めた。
「ありがとうございます」
「いえ」
戻ってきたリントは、ヴェルナが馬車へ乗るのを待ってから、その後に続いた。
ダレンが最後に乗り込むと、御者の掛け声とともに馬車が動き出した。
ヴェルナは窓際に腰を落ち着け、革鞄から父に預かった資料を取り出す。何枚かめくって坑道の略図を上へ置くと、向かいに座ったダレンもそちらへ目を向けた。
「グランツハイムまでは行ったことがありますか?」
「何度かあります。ただ、西の方まで来たことはありません」
「私もです」
馬車が街を抜ける頃には、三人とも手元の資料へ目を落としていた。
***
翌日の午後、馬車は山麓の小さな集落で止まった。
先に降りたダレンは御者と話しながら、集落の奥へ続く道を確かめている。その間にリントが馬車の後ろへ回り、積んでいた荷を下ろした。
ヴェルナも自分の荷へ手を伸ばしたが、その横からリントがひとつ持ち上げる。
「こっちは持ちます」
「でも、リントさんの荷物もありますよね」
「これくらいなら大丈夫です」
そう言って肩へ掛けてしまったリントに、ヴェルナは自分の革鞄だけを持ち直した。
御者との話を終えたダレンが戻ってくる。
「ここからは徒歩ですね」
ダレンを先頭に集落の奥から続く道へ入ると、ヴェルナのすぐそばにはリントがついた。鉱山へ続く土道は中央だけが固く踏み締められ、斜面側には土を削ってならした跡が続いている。
道をいくつか曲がったところで、前を行くダレンの歩調が緩んだ。
木々の向こうには、簡素な建物がいくつか並んでいる。普段なら鉱夫が行き来しているはずの場所にいたのは、深緑の上衣と鈍い鉄色の防具を身につけた男たちだった。
「……あそこだな」
三人が近づくと、兵士たちもこちらに気づいた。
そのうちの一人が歩み出る。年齢はダレンとそう変わらないだろうか。
「ローズベルグ家の方ですね」
「はい。ヴェルナ・ローズベルグです」
「お待ちしていました。グランツハイム伯爵家より派遣された兵を預かっています」
男はそう告げると、ヴェルナの後ろにいる二人へ目を移した。
「護衛のダレン・クルガです。こちらがリント・グレイブ」
「話は聞いています。監督も中で待っています。こちらへ」
隊長に案内され、坑道から少し離れた建物へ入った。
中では、鉱山の監督と副監督、それにグランツハイム伯爵家から派遣された残りの四人の兵が待っていた。
簡単に挨拶を済ませると、監督は卓の上に広げられていた坑道図へ手を置いた。
「現在、採掘作業はすべて止めています。崩れたのは、この区画です。岩盤の向こうに空洞が見つかり、さらにその内部で例の壁面を確認しました」
指先が、崩落箇所から先へ移る。
「坑道の入口からここまでは、こちらでも確認しています。今のところ新たに崩れた場所はありません。ただ、空洞の中については――」
監督はそこで指を止めた。
「壁面のほかにも、いくつか奥へ続いている穴があります。どこまで続いているのかは分かっていません」
ダレンが図面へ身を寄せる。
「兵は、どこまで入っています?」
「空洞までです。壁面と穴の位置を確認したところで止めています」
答えたのは隊長だった。
ダレンは頷き、坑道の入口から空洞までを指で追った。
「では中に入ってから、周囲の安全確認と退路の確保をお願いできますか」
「そのつもりです。何かあった場合も、戻る道は確保しておきます」
「俺たちはヴェルナ様の護衛を優先します。危険だと判断した場合は、調査の途中でも戻っていただきます」
「分かりました。こちらもそれを前提に動きます」
ダレンは一度ヴェルナへ目を向け、それから隊長へ戻した。
「それと、中に入ったらそちらから一人、ヴェルナ様につけてもらえますか」
「一人ですか」
「はい。俺が離れる場合に備えておきたい」
隊長は短く考えてから頷いた。
「分かりました」
その横で、監督が空洞までの経路を指でなぞった。
「現場までは私が案内します。坑道について分からないことがあれば、その場で聞いてください」
ダレンと隊長が図面をもう一度確かめる。
ほかに確認することがないのを見て、隊長は卓から身体を起こした。
「分かった。では――」
後ろに控えていた兵たちへ振り返る。
「お前たち二人は入口で待機。異変があれば、一人はここを守れ。もう一人は副監督へ知らせろ。独断で中には入るな」
隊長は二人を順に見た。
「それと、俺たちが戻るまで誰も中に入れるな。残りは俺についてこい」
「はっ」
監督も図面を畳むと、隣にいた副監督へ渡した。
「ここを頼む」
「分かりました」
さっきまで一枚の図面を囲んでいた人間たちが、それぞれの準備へ移った。
坑道へ入る兵たちは槍を壁際へ預け、腰の剣と盾へ持ち替えていく。
ダレンは左腕へ小盾を通し、腰の片手斧を確かめる。
背負った荷の脇には、まとめたロープと携帯灯が括りつけられていた。
リントも盾の留め具を締め直し、剣と携帯灯の位置を確かめた。
そのそばで、ヴェルナは卓に出していた資料を革鞄へ戻していく。
最後の一枚を収めて留め具を閉じる頃には、兵たちの準備も終わっていた。
建物を出ると、先ほど残された二人の兵はすでに坑道の入口近くへ位置を取っていた。
その前を通り、七人が坑道へ向かう。
入口まで来たところで、隊長が足を止めた。
坑道の奥には、間隔を空けていくつかの灯りが点いている。一人の兵が入口脇に置かれていた携帯灯を取り、もう一人も盾の位置を直した。
隊長は二人の準備を見届けてから、坑道の奥へ目を向けた。
それから、短く告げる。
「気を引き締めていけ」
「はっ」
先頭の兵が携帯灯を手に、坑道へ足を踏み入れた。
監督が続き、その後を隊長が進む。
ヴェルナも革鞄を持ち直して隊長の後へ入り、リントがすぐ後ろについた。ダレンと最後尾の兵も入口を越える。
外から差し込んでいた光が、少しずつ背後へ遠ざかっていった。




