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ソフィアレコード ―傷跡の先に、世界は眠る―  作者: 長月あい
第一章 帰りを待つ人

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第17話「ギルド裏の長椅子」

前回のあらすじ


リューデンから戻ったヴェルナは、兄レオンハルトの最期について父エドワードへ尋ねた。

兄の死後も父が当時の軍の動きを調べ続けていたこと、そして自分に何も知らせなかったのは、娘まで危険に近づけたくなかったからだと知る。


すべてを知ることはできなかったものの、ヴェルナは父の思いを受け止め、自分から調べに行くことはしないと約束した。


一方、シルヴァハイムへ戻ったリントは、帰還の報告のためギルドを訪れる。

旅先で買った腕輪をミレイユへ渡し、用事を終えて帰ろうとするが、その様子を見たミレイユはリントを呼び止めた。


「すぐ終わらせるから、裏で待ってて」


リントは言われた通り、ギルド裏の長椅子でミレイユを待つことにした。


ギルドの裏手へ回ると、壁際に置かれた長椅子が見えた。


リントは端へ腰を下ろし、荷物を足元へ置いた。表通りの喧騒(けんそう)は建物に遮られ、ときおり裏口の向こうから人の声や、何かを片づける音が聞こえてくる。


待っていてと言われたから、待っている。

それだけのことだった。


しばらくして裏口が開き、ミレイユが顔を出した。


「お待たせ。ごめんね、思ったよりかかっちゃった」


「いえ」


立ち上がろうとしたリントを手で制し、ミレイユはそのまま隣へ腰を下ろした。仕事を終えたばかりだというのに帰る様子はなく、小さく肩を回してから、長椅子の背へ身体を預ける。


リントはそれを横目に見た。何か聞かれると思っていたが、ミレイユは何も言わない。


裏口から聞こえていた音もいつしか減り、代わりに表通りを行き交う馬車の音が遠く響いていた。


「……どうして、時間作ってくれたんですか?」


ミレイユが顔を向ける。


「仕事、ほんとはまだ残ってるんですよね」


「まあね」


ミレイユはそれだけ答えた。

理由を聞いたはずなのに、答えになっていない。けれどリントもそれ以上は聞かなかった。


少しの間を置いて、リントが口を開く。


「……今回、依頼が終わったあとも街に残ったんですよ」


「うん」


「用事もないのに店を見て回ったり、何か食べたり。そういうの……考えたこともなかったのに」


ミレイユは口を挟まなかった。


「用事が済んだら帰ってましたから。残る理由もなかったし」


それで困ったこともなかった。


「何か買ったところで、渡す人もいませんし」


言いながら、リントの目が隣へ向いた。

ミレイユの手首には、さっき渡した腕輪がある。

その視線に気づいたのか、ミレイユも腕輪へ目を落とした。


「あら。じゃあ、あたしが初めて?」


「……そうなりますね」


「ふふ。そっか」


それだけ言って、腕輪へ指先を添える。

リントはその仕草をしばらく見ていたが、やがて前へ目を戻した。


「……やっぱり俺には、こういうこと……」


それ以上は続かなかった。ミレイユも続きを求めず、二人の間にはまた沈黙が戻った。


西へ傾いていた陽が建物の陰へ隠れ、足元まで伸びていた光が消えていく。


「さっきの」


リントが隣を見ると、彼女は前を向いたままだった。


「あたしが時間作った理由」


「ああ……」


「あたしが一緒にいてあげたいからいるの」


あまりにもそのまま言われて、返す言葉が出てこなかった。

ミレイユはそんなリントを待つでもなく、長椅子の背に預けていた身体を起こす。


「……なんですか、それ」


「なによ」


「いや。てっきり、こんな可愛い女が、とか言うのかと思って」


ミレイユの眉が困ったように下がった。


「ちがうんだぁ……」


妙に残念そうな声だった。

その反応を待っていたように、ミレイユの口元が楽しげに緩んだ。


「それとも、また大きな声出しちゃおっかな」


「それはやめてください」


「じゃ、もうちょっと付き合ってあげる」


「……ミレイユさんが待たせたんでしょう」


「そうだっけ?」


とぼけた声が返ってくる。

リントは何も言わず、背中を長椅子へ預けた。


気づけば辺りは暗くなり、建物の向こうから届いていた人の声も少なくなっていた。

ミレイユは空を見上げると、名残(なごり)を惜しむ様子もなく立ち上がった。


「さて。そろそろ戻らないと。ほんとに仕事残ってるのよね」


「やっぱり残ってるんじゃないですか」


リントも身体を起こし、足元の荷物を持ち上げる。


「いいのよ。これくらい」


「これくらいって……結構いましたよ」


「なぁに。一緒にご飯行けなくて残念だった?」


「なんでそうなるんですか」


ミレイユはそのまま裏口へ向かう。


「じゃあ、またね。リントくん」


「はい」


そのまま背を向けかけたところで、リントは荷物を持ち直した。


「あの、ミレイユさん」


「ん?」


振り返ったミレイユと目が合う。


「今日は……ありがとう、ございました」


ミレイユの返事が、わずかに遅れた。


「いいのよ」


そう言って片手を振り、ミレイユは裏口へ向かう。

けれど、扉の前で足を止めた。


「ねえ、リントくんってさ。女の人をご飯に誘ったこともないの?」


「……ないですけど」


「やっぱり」


「なんですか、そのやっぱりって」


「じゃあ、誘ってみる?」


「誰をですか」


ミレイユは答えず、自分を指差した。

リントはその指先から顔へ目を移し、今度はギルドの建物を見る。


「……また睨まれそうなんで、やめときます」


「ぶっぶー。不正解」


間を置かずに返され、リントは眉を寄せた。


「不正解って」


「そういうの聞いてないもの」


ミレイユはそれ以上何も言わず、ただ待っている。

リントは小さく息を吐いた。


「……今度、ご飯……」


「ん?」


聞こえているはずなのに、ミレイユが少しだけ顔を寄せる。


「なぁに?」


分かっているくせに。

リントは一度口を閉じてから、今度は顔を逸らさなかった。


「……今度、俺とご飯行きませんか」


ミレイユが黙った。


仕掛けたのは自分のはずなのに、ほんの一瞬だけ目を見開いている。


「……ミレイユさん?」


呼ばれて瞬きをすると、すぐにいつもの表情へ戻った。


「いいわよ」


それから、少しだけ間を置く。


「楽しみにしてる」


リントは何か返そうとして、結局やめた。


「じゃあ、仕事頑張ってください」


「うん、ありがと。リントくんも気をつけて帰りなさい」


「はい」


ミレイユは裏口を開け、ギルドの中へ戻った。


扉を閉めたところで足が止まる。

手首の腕輪へ目を落とし、指先でそっと触れ、仕事へ戻っていった。


***


それから数日が過ぎた日の事。


午後のローズベルグ邸は静かだった。

窓から差し込む陽は温かく、書斎の床を長く照らしている。

ヴェルナは父の向かいに座り、渡された書状へ目を通していた。


差出人は、アイゼンヴァルト侯爵家。

ヴェルナは一行ずつ目を通していく。


東の森林地帯では、その後新たな被害は出ていない。周辺を調べても、同じ特徴を持つ魔物は見つからなかった。

件の魔物についても、すでに討伐を終えている。


そこで、ヴェルナの目が止まった。


「……獣用の罠(わな)、ですか」


大型の獣を捕らえるために仕掛けられた拘束具(こうそくぐ)。

何らかの理由でそれに掛かった魔物が、罠を壊して抜け出し、その一部を引きずったまま森林地帯を徘徊(はいかい)していた。

書状には、そう記されていた。


ヴェルナはもう一度そこを読み、それから顔を上げる。


「お父様は、どう思われますか?」


エドワードは机に片腕を置いたまま、娘の手にある書状を見ていた。


「……アイゼンヴァルト侯爵閣下がそう仰るのなら、そうなのだろう」


巨体を這(は)う縫合痕(ほうごうこん)。足枷(あしかせ)から伸びていた鎖(くさり)。


そして、今も思い出せないままの、あの印。


「お父様。あの枷にあった印は――」


「ヴェルナ」


静かな声に、続きが止まった。

エドワードは娘を見たまま、声を荒らげることもなかった。


「現地はすでに調べられている。魔物も討伐された。その後、新たな被害も出ていない」


「……はい」


「ギルドが出していた森林地帯への警戒も、これで解除できるだろう」


エドワードが手を差し出す。

ヴェルナは少しだけ手元の書状を見てから、それを父へ返した。

受け取ったエドワードは紙を揃え、封筒へ戻していく。

その手が机の上へ封筒を置いたところで、別の書類へ伸びた。


「それとは別に、もう一つ話がある」


「もう一つ、ですか?」


「ああ。グランツハイムからだ」


エドワードは数枚の書類を取り出し、ヴェルナの前へ置いた。

一番上には、見覚えのある家名が記されている。


「あちらとは、ここ数日やり取りをしていてな」


ヴェルナは書類へ目を落とした。


「西部の鉄鉱山(てっこうざん)で、妙なものが見つかったらしい」


ヴェルナは目の前に置かれた書類を手に取った。


最初の一枚には鉱山の場所と、発見に至るまでの経緯がまとめられている。採掘(さいくつ)を進めていた坑道(こうどう)の先で岩盤(がんばん)の一部が崩れ、その奥に空間があることが分かったらしい。


作業員たちは崩れた箇所を広げ、人が通れるほどになったところで中へ入った。


空洞は坑道よりも広く、奥にはさらに先へ続いていると思われる場所もある。その一角で、周囲の岩肌(いわはだ)とは明らかに違うものが見つかっていた。


ヴェルナの目が、そこに記された文字の上で止まる。


「……壁?」


「ああ」


平らな表面には継(つ)ぎ目のようなものがあり、一部には何かを刻んだ痕も残されているという。


そこまで確認したところで監督が作業を止め、空洞へ入ることも禁じたらしい。現在はグランツハイムから五名の兵士が派遣され、鉱山の者とともに現場を警戒している。


ヴェルナが次の紙へ指を掛けると、その前にエドワードが一通の書状を抜き取った。


「最初に来たのは、これだ」


差し出された書状を受け取り、目を通していく。


「ローズベルグ家で、何か分からないかとな」


書かれている内容は、今読んだ報告よりずっと少ない。空洞が見つかったこと。その先に人の手が加えられたと思われるものがあること。表面には、用途の分からない刻印(こくいん)が残されていること。


「……お父様には?」


エドワードの指が、机の上の報告書に触れた。


「ここで書類を眺めているだけでは、なんとも言えん」


その後に届いた報告にも、確認できた範囲のことしか記されていなかった。


岩肌とは明らかに異なるその構造が、どこまで続いているのかも分からない。刻まれたものについても、現地にいる者では判断できずにいる。


ヴェルナは手元の書状を置き、先ほどの報告書へ戻った。


「それで、現地調査を?」


「ああ。正式に依頼が来ている」


机の端には、何冊かの古い資料が積まれていた。


見覚えのあるものも混じっている。父の書斎で何度も目にしてきた、ローズベルグ家に残されている研究資料だった。


ヴェルナはしばらくそれを見ていた。


「お父様が行かれるのですか?」


「……そのつもりだった」


資料はすでに選ばれている。現地までの道程(みちのり)を記した紙も、その脇に置かれていた。


ヴェルナはそれらを見たあと、父へ目を戻した。

ここしばらく、エドワードの体調は以前より落ち着いている。

それでも、西部の山岳地帯まで長い道程を進み、その先で鉱山へ入るとなれば話は別だった。


ヴェルナは膝の上で重ねていた手を、そっと握った。


「……私では、駄目ですか?」


エドワードの眉が動いた。

しばらくして、その視線が机の端に積まれた資料へ向く。


「お前が行くと言うのか」


「はい」


ヴェルナもそちらへ目を向けた。


「私も、お父様から教わってきました。この家の資料も読んでいます」


父ほどの知識があるとは思っていない。

長い年月を研究に費やしてきた父と自分が同じことをできるとも思っていなかった。


「見つかったものが何なのか、私に分かるとは言えません。でも、何を見ればいいのかくらいは分かります」


エドワードは黙ったまま、娘を見ていた。

その言葉を、過信(かしん)だとは思わなかった。


幼い頃から書斎へ入り浸り、教えたことだけでは飽き足らず、自分で資料を開いては答えを探していた。研究に向き合う娘の才を、エドワードは誰より近くで見てきた。


やがてエドワードの視線が、机の上に広げられた報告書へ落ちた。

しばらくそのまま目を通してから、一枚を手元へ引き寄せる。


「現地には、グランツハイム伯爵家の兵が五名いる」


「はい」


「それとは別に、護衛を二人つける。お前の護衛だ」


ヴェルナは黙って続きを待った。


「一人は、山岳地帯での依頼に慣れた者がいい。現地で危険が確認された場合は、その時点で調査を打ち切る」


「……はい」


「何が見つかっても、それ以上続けることは許さん」


ヴェルナは父の顔を見た。


「約束します」


しばらくして、エドワードも頷(うなず)いた。


「……分かった」


机の上に広げられていた書類を、もう一度手元へ集めていく。


「なら、グランツハイム伯爵には私から返事をしておく」


「ありがとうございます」


エドワードはそれには答えず、集めた書類の中から現地の報告だけを抜き出した。


「護衛については、ギルドにも話を通さなければならんな」


エドワードは抜き出した報告書を手元に置き、しばらく考えるように指先を添えていた。


「山に慣れた者については、ホルトに任せるとして……」


そこで一度言葉を切る。


「もう一人は、以前お前の護衛をした者がいたな」


ヴェルナはすぐに誰のことか分かった。


「リントさん、ですか?」


「ああ」


エドワードは頷(うなず)いた。


東の森林地帯へ向かったとき、リントはヴェルナを連れ、無事に帰ってきた。

その途中で何があったのかも、エドワードは本人たちから聞いている。


「腕が立つ者なら他にもいるだろう。だが、危険を前に退くべき時を見誤らなかった」


エドワードの目が、先ほど封筒へ戻した書状へ向いた。


「あの森からお前を連れて帰った。それなら、少なくとも一度は任せるに足ると証明している」


ヴェルナは何も言わず、その言葉を聞いていた。


「グランツハイムから最初の知らせが届いてから、すでに日も経っている。向こうにも都合はあるだろうが、なるべく早く動きたい」


エドワードは報告書を揃え、ヴェルナへ差し出した。


「急な話で悪いが、協力してもらえないか頼んでみてくれ」


「分かりました」


ヴェルナは差し出された報告書を受け取った。

その上には、父が選んだ研究資料が重ねられていく。


「出発までに、必要なものを選んでおけ」


「はい」


ヴェルナは重ねられた資料を、両手で抱えた。

書斎を出ると、扉を静かに閉める。

廊下へ出たところで足を止め、近くに控えていた使用人へ声を掛けた。


「アルフレッドはどこにいますか?」


居場所を聞くと、そのまま教えられた方へ向かう。

ほどなくしてアルフレッドを見つけると、ヴェルナは抱えていた資料を持ち直した。


「アルフレッド」


「はい、お嬢様」


「明日、シルヴァハイムへ行きます。馬車の手配をお願いできますか?」


アルフレッドの視線が、ヴェルナの抱えている資料へ向いた。


「かしこまりました」


ヴェルナは小さく頷(うなず)き、自室へ向かって歩き出した。


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