第16話「父が追っていたもの」
前回のあらすじ
リューデンでロイドと昼食を共にしたリントとヴェルナ。
そこでヴェルナは、兄レオンハルトが戦死する直前まで援軍を待ち、翌日には交代して帰還する予定だったこと、そして父エドワードが戦後、軍の動きや命令について調べていたことを初めて知る。
一方、リントも幼い頃から持つペンダントについてロイドに尋ね、その出自を探るための小さな手掛かりを託した。
帰路、二人の間にはこれまでと変わらない会話が続くものの、リントはどこか以前の距離へ戻ろうとするような態度を見せる。ローズベルグ邸へ到着したあとも、ヴェルナからの宿泊の誘いを断り、商会の者たちと宿へ向かった。
その変化に小さな引っ掛かりを残したまま屋敷へ戻ったヴェルナは、ロイドから聞いた兄の話を確かめるため、父の書斎を訪れる。
扉を開くと、机に何冊かの資料と書類を広げていたエドワードが、手にしていた紙から顔を上げた。
「戻ったか」
「はい。先ほど」
ヴェルナが扉を閉める。
「リューデンでの依頼は?」
「無事に終わりました。帰りもロイドさんの商会の馬車に乗せていただいたので、予定より早く戻れました」
「そうか」
エドワードは手にしていた紙を机へ置き、ヴェルナにも向かいの椅子へ掛けるよう促した。腰を下ろしたヴェルナは、今日ロイドから聞いた話を切り出す。
「今日、ロイドさんにお食事へ呼んでいただいたんです。宿まで用意してくださっていて……お父様には、若い頃から随分と世話になったからと仰っていました」
「ロイドとは昔からの縁があってな」
「お父様が昔から人任せにできない方だったことも聞きました」
エドワードは何も答えなかったが、否定もしなかった。
「お母様のことも、少し。私が知らなかった頃のお話を、いろいろ聞かせていただきました」
「そうか」
「それから――お兄様についてもお伺いしました」
「この家には昔からよく出入りしていたからな。それで?」
「……お兄様が亡くなった日のことです」
それまで短く返ってきていた父の声が、そこで途切れた。ヴェルナは答えを急かさず、そのままロイドから聞いた話を続けた。
「お兄様は、その翌日には後続の部隊と交代して、こちらへ戻る予定だったそうですね」
「ああ。その予定だった」
「けれど、その日のうちに戦況が変わった。お兄様たちはその場に残り、援軍を待つことになったと聞きました。援軍は来たそうです。でも、その時にはもう間に合わなかった、と」
そこまで話しても、父から問い返されることはなかった。
「戦が終わったあと、お父様は当時の軍の動きや、お兄様の部隊に出されていた命令について調べていたそうですね」
「それもロイドから聞いたのか」
「はい。何か知らないかと、お父様から尋ねられたことがあるそうです」
エドワードは、ロイドから聞いたというその話を事実だと認めた。
「何を、調べていたんですか?」
今度の問いには、答えが返ってくるまで時間がかかった。
エドワードは机に置いた書類へ手を戻すこともなく、やがて静かに口を開く。
「最初は、あの日に何があったのかを知りたかっただけだ。軍から上がってきた報告も読んだし、当時の部隊の動きや前後の状況も調べた。ロイドを訪ねたのもその一つだ」
「それで、何か分かったんですか?」
「分かった、と言えるほどのものではない。ただ、同じ日のことを調べているはずなのに、記録に残っていることと、実際の動きが噛み合わないところがあった」
「合わない……?」
「ああ。一つや二つなら、戦場では珍しいことでもない。誰もがすべてを見ているわけではないし、混乱の中で伝わる話が食い違うこともある」
戦場では珍しくない食い違い。それでも父は、軍の報告を調べ、ロイドのもとにまで足を運んでいた。今日ロイドから聞いた話を思い返せば、気になることがある。
「……援軍が遅れたことですか?」
「それもある」
ヴェルナは次の言葉を待った。
「援軍が到着した時刻は、記録によって違っていた。どの部隊が、いつ命令を受けて動いたのかも、すべてが綺麗に繋がっていたわけではない」
「では、やはり援軍が遅れたことに何か……」
「それだけなら、まだ説明はつく」
「戦況が変われば、予定どおりに部隊を動かせないこともある。命令が届くまでに時間がかかることも、戦場では珍しくない。私が引っ掛かったのは、その先だ」
「その先?」
「あの日、レオンハルトの隊がどう動いたのかだ」
ヴェルナがロイドから聞いた話では、兄たちはその場を維持して援軍を待ち、到着した時にはすでに手遅れだった。それが兄の最期として、これまで知っていた話とも繋がっている。
「軍の記録では、戦況が悪化したあと、レオンハルトの隊には撤退命令が出されたことになっている」
「撤退命令……?」
「ああ。だが、あの子はそれに従わず、その場に残った。記録の上ではな」
ヴェルナがこれまで聞いていた話にはなかった。援軍を待つ間に戦闘が激しくなり、その先で兄は帰らぬ人となった。少なくとも、これまでヴェルナが知っていたのはそこまでだった。
「では、お兄様は……命令に逆らったと?」
「そう記録されている。だが、私が調べた限りでは――あの子も、最後までただ待っていたわけではないらしい」
「では、お兄様は何を?」
「分からん」
思いがけない答えだった。
「……分からないんですか?」
「ああ。あの日のレオンハルトが何を考え、どんな判断をしたのか。辿れた話はいくつかあるが、どれも確かなものとして残ってはいない」
十一年前の出来事を調べ続けた父が、それでも分からないと言う。
「記録では、撤退命令を受けてもその場に残ったことになっている。だが、それでは説明のつかない動きがあった。それに……私にはどうしても、あの子が何の考えもなく命令に背き、部下をその場に残したとは思えなかった」
エドワードは記録に残された息子を、そのまま信じてはいなかった。
「もちろん、あの子が何も間違えなかったとは思っていない。まだ十八だった。判断を誤ったこともあっただろう。それでも、なぜ残ったのか。それだけは知らなければならないと思った」
兄の最期について、父だけが答えを知っていたわけではない。父もまた、残された記録を辿り、食い違うものの中から何が起きたのかを探していた。
「……私は、このことを何も知りませんでした。お兄様に撤退命令が出ていたことも、その記録にお父様が疑問を持っていたことも。今日、ロイドさんから聞かなければ、きっと今も知らないままでした。どうして、私にはおっしゃって下さらなかったんですか?」
娘から向けられた問いに、エドワードが答えるまでには時間がかかった。
「……何を話せばいいのか、私にも分からなかった。調べれば調べるほど、分からないことが増えていった。記録がおかしいことは分かる。だが、何が正しいのかまでは分からない。そんなものを、お前にどう話せばいい」
「それでも、お父様は調べ続けたんですよね」
「ああ」
「なら――」
「レオンハルトを失ったあとだったからだ」
その一言で、ヴェルナは続けようとしていた言葉を失った。
「あの子がなぜ死んだのかも分からない。その後ろに何があったのかも分からない。分からないまま追えば、どこへ行き着くのかさえ分からなかった。そんなものに、お前まで近づけたくはなかった」
「……私のことを、思ってくださっていたんですね」
父は何も言わなかった。
「でも……これからは、私にも話していただけませんか?」
知りたいことは、まだいくつもある。それでも、父の気持ちを知った今、そのすべてを一度に聞こうとは思わなかった。
「お父様にも、まだ分からないことがあるのは分かりました。だから、何も知らないままでいるよりは……私も一緒に考えたいんです」
「……お前が冒険者になると言った時にも、似たような話をしたな。あの時も、今も、私がお前を危険なものから遠ざけたいと思っていることに変わりはない」
「はい。分かっています」
「すぐにすべてを話すとは約束できん。私自身、どこまで話すべきなのか分からないこともある。だが――何も話さないままでいるのは、もうやめよう」
「ありがとうございます、お父様」
「ただ、一つ約束してくれ。この件について、自分で調べようとはしないでほしい」
「……それは、どうしてですか?」
「何があったのか分からないからこそだ。昔のことだからといって、すべて終わっているとは限らん。私が調べたことも、これからお前に話す。だから、それまでは待っていてくれ」
父がそう言う理由は、もう十分に分かっていた。それでも、兄について今日初めて知ったことを前に、ただ待つとまでは言えなかった。
「……分かりました。私から何かを探しに行くようなことは、しません」
その返事に、エドワードはそれ以上の約束を求めなかった。
「今日はもう疲れただろう。ゆっくり休みなさい」
「はい。では、失礼します」
書斎を出ると、廊下にはアルフレッドが待っていた。中での話に触れることなく、ヴェルナとともに自室へ向かい、廊下を半ばまで進んだところで明朝の予定を伝える。
「リント様ですが、商会の方々と明朝シルヴァハイムへ戻られるそうです」
「聞いています」
「お見送りになりますか?」
「いいえ。明日は読みたい資料もありますし、朝から書庫へ行こうと思っていますから」
「承知いたしました」
それきり会話のないまま自室へ戻ると、ヴェルナはいつもの椅子に腰を下ろした。アルフレッドは部屋を出る前に、一つだけ尋ねる。
「何か温かいものでもお持ちしますか?」
「いいえ。大丈夫です」
「かしこまりました」
一礼したアルフレッドが部屋を出て、扉が閉じかけたところで、ヴェルナが呼び止めた。
「……アルフレッド」
「はい」
「やっぱり……紅茶をいただけますか?」
「かしこまりました」
***
翌朝、商会の馬車は予定どおり朝のうちにローゼンフェルトを発つことになっていた。
リントが宿を出る頃には馬の準備もほとんど済んでいた。御者は最後に積荷を確かめると、自分の荷物を持ってきたリントへ声をかけた。
「もう出していいか?」
「はい、お願いします」
リントが馬車へ乗り込むのを待って、御者が手綱を取る。
車輪が動き始め、朝のローゼンフェルトを抜けていく。まだ人通りの少ない大通りを進み、やがて街を囲む外壁を越えると、馬車はシルヴァハイムへ続く街道へ入った。
依頼は終わった。すぐに次の依頼を探す必要もない。でも、いつもなら帰る頃には次のことを考えている。
休むにしても、そのあと何をするかくらいは自然と頭に浮かんでいた。
しかし、この日はそれがうまく続かなかった。
考え始めても、どこかで途切れる。別の何かが気になっているわけでもないのに、薄い靄でもかかったように、その先へ思考が進んでいかない。
揺れる馬車の中で何度か同じことを繰り返し、やがてリントは考えること自体をやめた。
窓の外では、来た時にも通った景色が後ろへ流れていく。
昼を過ぎる頃には見覚えのある土地が増え、さらに馬車に揺られているうちに、シルヴァハイムの街並みが見えてくる。
街へ入ったところで商会の者たちと別れ、リントは荷物を背負い直した。
数日分の依頼を終えたばかりなのだから、今日はこのまま帰ってもいい。装備の手入れも買い足すものの確認も、明日以降で困ることはなかった。
それでも足は、いつもの道をギルドへ向かっていた。
依頼を終えて戻ったのだから、一度報告しておけばいい。それくらいのつもりで扉を開けると、掲示板の前に冒険者が一人いるほかは、いつもと変わらない静かなものだった。
受付にいたミレイユが、入ってきたリントに気づく。
「あら、今帰ったの? リントくん」
「ただいまです。今、戻りました」
リントは受付まで歩いていき、持っていた荷物を足元へ置いた。
「ずいぶん遅かったわね。何かあった?」
「いえ、依頼は問題なく終わりましたよ。向こうで少しゆっくりしてただけです」
「珍しい」
「そうですか?」
「そうよ。リントくん、依頼が終わったらさっさと帰ってくるじゃない」
「……まあ、今回はいろいろありまして」
「ふうん。それで、今日はその報告?」
「はい。一応、戻ったことだけ伝えておこうと思って」
ロイド商会への届け物を済ませたこと。帰りはローゼンフェルトまでヴェルナに同行し、そこから商会の馬車で戻ってきたことまで話すと、ミレイユは手元の書類へ最後の記入を済ませた。
「はい、これで大丈夫。お疲れさま」
「ありがとうございます」
リントは足元に置いていた荷物を持ち上げた。
これで報告は終わった。次の依頼を探すつもりもないのだから、あとは帰って休めばいい。
それなのに、受付を離れる前で足が止まった。
「あの……」
「ん? なぁに?」
呼び止めたものの、すぐには続きが出てこない。リントは持ち上げたばかりの荷物をもう一度足元へ置くと、懐から小さな包みを取り出した。
依頼先で土産を買うことなど、これまで一度もなかった。あの店でも、最初から誰かに何かを買うつもりだったわけではない。店主に言われるまま品物を見て、その場で一つ選んだだけだ。
なのに、包みを持った手がなかなか前へ出なかった。
「これ……ミレイユさんに」
差し出された包みを見て、ミレイユが目を瞬かせた。
「私に?」
「はい。土産です」
「……リントくんが?」
「……」
ミレイユは包みとリントを見比べたまま、なかなか受け取ろうとしない。
「早く受け取ってくださいよ。周りの目もあるんですから……」
声を潜めたリントに、ミレイユは堪えきれないように笑った。
「ふふっ、ごめんね」
ようやく包みを受け取ると、その場で中を開く。
出てきたのは、細い金属を重ねた腕輪だった。細かな装飾はあるものの華美すぎず、ミレイユはしばらく手の中で眺めてからリントを見る。
「これ、リントくんが選んでくれたの?」
「店の人にも選んでもらいましたけど……最後は俺が」
その返事だけで、ミレイユの表情が柔らかくなった。
「ありがとう……嬉しい」
包みへ戻さず、そのまま腕輪を手首へ通す。留め具を合わせると、ミレイユは手首を返して馴染みを確かめ、そのままリントの前へ差し出した。
「どう? 似合ってる?」
「……似合ってるんじゃ、ないですかね」
「ふーん?」
身を乗り出すように顔を覗き込まれ、リントは少しだけ後ろへ引いた。
「いや……似合ってますよ」
満足そうに手首へ目を落としたミレイユが、何かを思いついたように顔を上げる。
「リントくん、お土産ありがとう!」
突然大きくなった声がギルド内に響き、リントの肩がビクついた。
「ちょっ……声、大きいですって」
周囲にいた冒険者たちが一斉にこちらを向いた。ミレイユの手首にある腕輪へ気づくと、何人もの男たちが露骨にリントを睨み始める。
リントは思わず身を縮め、ミレイユへ声を潜めた。
「ちょっと……みんな睨んでるじゃないですか」
「さあ、どうしてだろうね?」
ミレイユは楽しそうに笑いながら、もう一度腕輪へ目を落とす。
「大事にするね」
「……はい。もう勘弁してください」
リントは足元の荷物へ手を伸ばした。
報告は終わった。土産も渡した。荷物を肩へ掛け、受付を離れようとしたところで、ずれたわけでもない荷物をもう一度直す。
顔を上げると、ミレイユと目が合った。
「……ん? どうしたの?」
「いや、別に何も」
リントはそのまま受付を離れていく。
ミレイユは手首の腕輪へ目を落とした。指先でそっと触れてから、離れていくリントの背中へ顔を上げる。
「ねぇ、リントくん。ちょうどあたしも上がるとこなの」
呼び止められたリントが振り返った。
「え?」
「すぐ終わらせるから、裏で待ってて」
「いや……でも」
「いいの。待ってて」
返事を待たず、ミレイユは残っていた書類を手元へ寄せる。
リントは何か言おうとして、結局やめた。肩に掛けた荷物を持ち直す。
「……分かりました」
そのままギルドを出ると、建物の脇を回って裏手へ向かった。
裏には、休憩用の長椅子と灰皿代わりの古い金属缶が置かれている。
リントは長椅子の端に荷物を置き、その隣へ腰を下ろして待った。




