35歳のシンデレラ アラブの女神編 73
私は、ただ、その場に突っ立っていた…
その場に突っ立ったままだった…
感情もなにもなかった…
すぐには、なにが、起こったのかも、わからなかった…
それほど、パニックだった…
身長、159㎝で、六頭身のカラダが、身動き一つできなかった…
まるで、等身大の人形だった…
そんな私に、歩み寄る者が、いた…
マリアだった…
バニラの娘のマリアだった…
「…矢田ちゃん…大丈夫?…」
と、マリアが聞いた…
と、
その言葉で、私は、覚醒した…
目が覚めた…
意識が、しっかりと、戻った…
「…全然、大丈夫じゃないさ…」
私は、大声を出した…
「…危なかったさ…」
私は、言った…
不覚にも、涙がこぼれた…
私の細い目から、不覚にも、大粒の涙が、こぼれ落ちたのだ…
「…怖かったのさ…」
私は、言った…
言いながらも、大粒の涙が、次々とこぼれ落ちた…
すると、
「…矢田ちゃん…コレ…」
と、マリアが、私に、なにかを差し出した…
私は、それを見た…
キットカットだった…
私の好物だった…
「…コレ、あげる…」
「…なんだと?…」
私は、思わず、言った…
そして、
「…いいのか?…」
と、マリアに聞いた…
「…これは、マリアのだろ?…」
「…矢田ちゃんに、あげる…」
「…私に?…」
「…そう…だから、泣くのは、止めてね…ここで、泣いているのは、矢田ちゃんだけだから…」
マリアが言った…
言ったのだ…
私は、慌てて、周囲を見た…
とりわけ、集まった園児たちを見た…
40人は、いるであろう園児たちを見た…
が、
誰一人、泣いていなかった…
この場で、泣いているのは、私だけだった…
この矢田トモコだけだった…
これほどの、騒動があったにも、かかわらず、この場で、泣いたり、喚いたりする園児は、一人も、いなかった…
それに、気付くと、私は、恥ずかしくなった…
3歳の保育園児たちが、誰も泣いていないのだ…
にも、かかわらず、私だけ、泣いている…
この矢田トモコだけ、泣いている…
35歳の矢田トモコだけ、泣いている…
これ以上、恥ずかしいことは、なかった…
これ以上、みっともないことは、なかった…
だから、それに気付くと、急に涙が止まった…
ビックリするほど、あっけなく止まった…
「…たいしたことないさ…」
私は、言った…
「…いつものことさ…」
「…いつものことって?…」
マリアが聞いた…
「…神様が、私にイジワルをするのさ…」
「…矢田ちゃんにイジワルをするの?…」
「…そうさ…だから、私だけ、ファラドに襲われそうになったのさ…」
「…でも、ママは、カッコよく戦ったよ…」
マリアが言った…
…そうだった…
…たしかに、そうだった…
そう言われれば、反論できん…
なぜ、私だけ、神様にイジワルをされたのか、説明ができんかった…
これは、困った…
実に、困った…
私が、マリアにどう言おうか、迷っていると、
「…お姉さんは、カラダがちっちゃいから、いいの…」
と、当のバニラが、言った…
「…カラダが、ちっちゃいお姉さんが、カラダが大きな男のひとに、襲われたら、怖いでしょ?…」
バニラが優しく、マリアに言った…
言い聞かせた…
マリアもバニラの説明に納得した様子だった…
「…そうだね…矢田ちゃん、ちっちゃいもの…」
マリアが言った…
私は、ここで、マリアが、目の前のリンダに化けたバニラのことを、ママと、呼ばないことに、気付いた…
やはり、このマリアは子供ながら、優れている…
あらためて、その事実に、気付いた…
そして、その事実に、気付くと、私も今、恥ずかしくて、堪らなくなった…
なにしろ、3歳の園児たちが、誰も泣いていないのに、私だけ、泣いているのだ…
考えてみれば、これ以上、恥ずかしいこともなかった…
私は、急いで、手で、涙を拭った…
私の太く、短い指で、涙を、拭ったのだ…
それを見て、
「…矢田ちゃん…大丈夫…」
と、マリアが聞いた…
だから、
「…もう大丈夫さ…」
と、私は、元気よく、言った…
「…全然、大丈夫さ…」
私が、宣言すると、
「…よかった…」
と、マリアが、笑った…
それから、慌てて、ファラドを見た…
ファラドは、お菓子のカートを引いてきた、屈強な男たちに、連れてゆかれるところだった…
そして、急いで、葉問を見た…
葉問もまた、何事もなかったように、会場を去るところだった…
私は、その葉問の背中を追って、
「…一体、どういうことだ?…」
と、聞きたかった…
が、
できんかった…
いきなり、壇上から、
「…矢田…恋するフォーチュンクッキーは、どうした? 園児たちが、待ってるゾ…」
と、あの矢口のお嬢様が、言ったからだ…
私は、慌てて、園児たちを見た…
園児たちは、泣きは、しないものの、すっかり、怯えていた…
すっかり、萎縮していた…
無理もない…
大の大人が、殴り合いのケンカをしたのだ…
怖くて、仕方がなかったのかもしれない…
だから、怖くて、声も出せなかったのかも、しれない…
むしろ、40人も園児がいるにも、かかわらず、誰一人、泣かなかったのは、奇跡だった…
文字通り、奇跡だった…
私は、怯えた園児たちを見て、どうするか?
考えた…
いきなり、恋するフォーチュンクッキーを踊ろうと言っても、できるわけがなかった…
園児たちは、怯えている…
恋するフォーチュンクッキーを踊れる精神状態ではなかったのだ…
すると、マリアが、いきなり、
「…矢田ちゃん…電車…」
と、私に声をかけた…
「…電車だと?…」
「…そう…矢田ちゃんが、先頭の車両になって、みんなが、矢田ちゃんの後に、一列に続くの…」
「…なんだと?…」
「…矢田ちゃん…いつも、おうちで、やってくれるじゃない…」
…その通りだった(汗)…
実は、バニラの自宅で、電車ごっこと言って、小柄な私が先頭になり、その後を、マリア…リンダ…バニラの順で、歩く…
ちょうど、電車のように、縦に並んで、走るのだ…
マリアは、それが、大好きだった…
最初は、電車だが、それが、汽車になると、私が、
「…シュッポ…シュッポ…」
と、汽笛の真似事をする…
そして、それが終わると、マリアが、
「…ムカデ…」
と、叫び、みんなで、ムカデのように動く…
汽車のときは、キレイに、縦に並んだが、今度は、まるで、尻尾を振るように、曲がって動くのだ…
マリアは、それが、大好きだった…
が、
それは、私とマリア、リンダ、バニラの4人だから、できる…
それが、40人で、できるのか、謎だった…
だから、私は、考え込んだ…
果たして、できるのか、考え込んだ…
すると、悩む私の背中を押すように、
「…お姉さん…やりましょう…」
という声がした…
私は、声の主を見た…
ヤンだった…
ヤン=リンダだった…
「…でも、大人数では…」
私が、悩んでいると、
「…お姉さん…ぜひ…」
と、言う声がした…
今度は、バニラだった…
私は、バニラを見た…
つい今さっき、バニラが、ファラドと演じた、戦いが、脳裏に浮かんだ…
すると、急に、怖くなった…
もし、
もし、だ…
この大柄なバニラが、私に、迫ったとする…
「…お姉さん…やらないの?…」
と、迫ったとする…
すると、どうだ?
この小柄な矢田トモコは、ブルってしまう…
元々、小心者を絵に描いたような女…
暴力に弱い…
弱いのだ…
私が、ビビッて、そんなことを、考えていると、
「…やれ…矢田!…」
と、いう声がした…
矢口のお嬢様の声だった…
私と同じ六頭身の小柄なカラダで、なぜか、上から目線で、私に命じた…
私は、この女が、なぜ、そんな上から目線なのか、さっぱりわからんかった…
が、
なぜか、逆らえんかった…
なぜ、逆らえんのか、自分でも、よくわからんかった…
自分でも、なぜだか、わからんかった…
私が、そんなことを、考えていると、
「…矢田ちゃん…お願い…」
という声がした…
マリアだった…
私は、その顔を見て、やることを決めた…
実は、ここで、恩を売っておけば、後々、有利だと、気付いたのだ…
バニラの格闘技のセンスを知った今、もはや、バニラを敵に回すことはできん…
味方にするのみ…
恩を売るのみだ…
だから、ここで、バニラに恩を売ることを決めた…
決めたのだ…
「…やってやるさ…」
私は、言った…
大声で言った…
「…それでこそ、お姉さんね…」
ヤンが、言った…
ヤン=リンダが言った…
「…矢田、頼むゾ…」
矢口のお嬢様が、言った…
「…わかってるさ…」
私は、言った…
「…みんな…並べ…」
私は、声を上げた…
すると、次に、
「…ハイ…みんな、矢田ちゃんの後に並んで…」
と、マリアが言った…
すると、なぜか、園児たちが、一斉に、マリアに従った…
私は、驚いた…
女王様…
小さなマリアのカラダに、女王の風格を見たのだ…
すると、やはり、私と同じように、マリアを見ている目が、あった…
オスマンだった…
アラブの至宝と呼ばれるほど、優れた頭脳を持つオスマン殿下だった…
そのオスマン殿下が、まるで、娘を見るかのように、優しい目で、マリアを見ていることが、わかった…
…アラブの女神…
ふと、その言葉が、脳裏に浮かんだ…
ひょっとしたら、このマリアこそ、将来のアラブの女神かもしれんと思ったのだ…
マリアが将来、オスマンと結婚すれば、サウジの権力者になれる…
サウジ、いや、アラブの至宝と言われるほど、優れた頭脳を持つ、オスマンと結婚すれば、サウジアラビアのみならず、アラブ世界で、有数の権力者になれる…
そう思ったのだ…
そう思いながらも、私は、電車の先頭になるべく、園児たちの先頭に立った…
「…しゅっぱーつ…」
私は、大きな声で、宣言した…
私が先頭になると、園児たちが、皆、列車のように、縦に並んで、動き出した…
私は、
「…次は、汽車だ…みんな声を出せ…」
と、言って、
「…シュッポ…シュッポ…」
と、私が、率先して、声を出した…
「…みんな声が小さいゾ…もっと、大きな声で…」
私が、指摘すると、最初は、恥ずかしそうに、
「…シュッポ…シュッポ…」
と、小さかった声が、瞬く間に大きくなった…
「…列車だ…腕を、車輪のように、回すんだ…」
と、言って、私が、見本を見せた…
要するに、腕を回して、車輪に見立てたのだ…
私に付き従った園児たちが、皆、私を真似て、車輪の真似をした…
そして、そんなことをしながら、この会場をみんなで、回って動いた…
「…よし…次は、ムカデだ…」
私は、言った…
「…ムカデって?…」
園児たちが、戸惑った…
すると、
「…こうするの…」
と、言って、マリアが、見本を見せた…
「…ほら…ムカデって、蛇に似たヤツ…こんなふうに、クネクネ動くの…」
と、言って、見本を見せた…
「…ねっ!…」
園児たちは、すぐにマリアの意図を理解した…
「…わかった?…」
マリアがみんなに聞く…
「…うん…わかった…」
全員が、威勢よく答えた…
「…じゃ…矢田ちゃん…お願い…」
「…わかったさ…」
私は、言って、再び、先頭に立った…
「…さあ、ムカデだ…」
私は、大声で、言った…
「…始めるゾ…」
「…ハーイ…」
園児が、元気よく答えた…
「…よし…」
私は、言って、再び、園児たちといっしょに、走り出した…
その姿を、さっきのファラドとバニラのバトル同様、少なからぬ人間たちが、カメラに収めていることに、気付いた…




