35歳のシンデレラ アラブの女神編 18
「…そんなことより、お姉さん…中に入れてくれる?…」
ヤンが、私に頼んだ…
ふと、気付けば、私とヤンはずっと、玄関で、話していた…
いきなり、リンダが、ヤンとして、やって来たから、驚いて、つい、アレコレ、詮索してしまい、すっかり、ヤンを、中に入れることを、忘れていた…
「…すまん…リンダ…中に入れ…」
私は、言った…
すると、
「…お姉さん…この格好でいるときは、ヤンだって…何度も言わせないで…」
リンダ…いや、ヤンが、やんわりと、抗議する…
だから、私は、
「…すまんかった…」
と、詫びた…
頭を下げた…
なにより、今、リンダは、ヤンの格好をして、この矢田トモコの自宅に現れた…
当然、なにか、あると、思ったのだ…
これは、女の勘…
直観だ…
とりわけ、この矢田トモコは、この直観が優れている…
自分で、いうのも、なんだが、この直観に救われたことは、数知れず…
数知れず、だ…
昔、読んだサマセット・モームの小説で、同じようなことがあった…
モームの自伝というか、実質、体験したことを下書きにして、小説化したものだ…
モームは、第一次世界大戦で、イギリスのスパイだった…
それは、なぜか?
それは、モームの職業、つまり、作家という職業が、スパイにうってつけだったからだ…
モームは、すでに、作家として、有名だった…
そして、有名作家ならば、たとえ、第一次世界大戦という、戦争中でも、イギリス以外の国に、出かけても、取材のためとか、なんとか、言い訳をして、潜入できるから、便利だと、思われたのだ…
日本では、以前は、秘密諜報員という邦題で、出版されていた…
原題は、アシェンデン…
それが、主人公の名前だった…
そして、なにが、そのモームの小説と、この矢田トモコが、一致しているかと、いえば、勘だった…
直観だった…
モーム=アシェンデンは、ある日、上司から、スイスに行ってもらい、ある人物に会ってもらいたいと、命令を受ける…
当時も、スイスは、すでに中立国だった…
第一次世界大戦で、敵対したイギリス、ドイツ、どちらにも、帰属していなかった…
そこで、アシェンデンは、言われた人物に会った…
その人物は、イギリスのスパイで、ドイツの情報を、いつも、事細かに、教えてくれていた…
その情報は、常に正確で、詳細であり、情報とは、こういうものだという見本だった…
が、
なぜか、アシェンデンの上司は、その情報に、疑問を抱いた…
なぜだかは、わからない…
情報は、いつものように、正確で、文句のつけようもないものだった…
その人物が、教えてくれる情報の通り、ドイツ軍は、いつも、動いていた…
が、
アシェンデンの上司は、なにか、気に入らなかった…
いや、
気に入らないのではない…
引っかかったのだ…
だから、アシェンデンは、その人物と会った…
そして、直接、
「…いつ、ドイツ側に、行くんですか?…」
と、その人物に聞いた…
戦争中だから、イギリス、ドイツ、双方の占領地が違う…
情報を得るためには、敵地に赴いて、情報を得なければ、ならないからだ…
が、
その人物は、
「…いや…今日は…」
とか、なんとか言って、はぐらかした…
アシェンデンは、それを見逃さなかった…
「…ウソを言うな! アンタは、これまで一度も、敵地に行って、情報を取って来たことなど、ないんじゃないか? …すべて、この街で、聞いた噂を、敵地で仕入れた情報と、偽って、送っただけなんじゃないか?…」
と、喝破した…
事実、その通りだった…
相手は、
「…こんな、チンケな金で、敵地に行って、情報を得る危険は、冒せませんよ…」
と、白状した…
すべては、アシェンデンの上司の勘が、その情報源の人物の不審を見抜いていたのだ…
それが、勘だった…
そして、それは、この矢田トモコも同じ…
やはり、目の前のヤンの行動が、引っかかったのだ…
リンダが、普段は、ヤンの格好をしているのは、いつもと、同じだが、やはり、アラブの王族が、やって来る、このタイミングだ…
この矢田でなくても、引っかかる…
私は、ヤンをソファに座らせた…
そして、
「…ここに座れ…」
と、言った…
「…ハイ…わかりました…」
ヤンは、私の言う通りにした…
それから、私も、対面のソファに座った…
そして、
「…ヤン…いや、リンダ…私の目を見ろ…」
と、言った…
「…お姉さんの目を?…」
「…そうだ…オマエに、心にやましいことが、なければ、私の目を、まっすぐに見れるはずだ…」
私は、言った…
そして、ジッと目の前のヤンを睨んだ…
凝視した…
射すくめるように、見たのだ…
すると、目の前のヤンが、プッと、吹き出した…
「…な…なんだ? …なにが、おかしい?…」
私は、慌てた…
「…だって、お姉さんたら、そんな細い目で、私を見て…」
「…なんだと?…」
「…しかも、そんな今まで見たことのない真剣な目で…」
と、言って、笑った…
私は、なんと、言っていいか、わからなかった…
怒っていいのか、笑っていいのか、すら、わからなかった…
本当は、怒りたいところだが、私の目が細いことを指摘して、笑うなんて、精神的に、余裕がある証拠だ…
頭には、くるが、そんな余裕があれば、私がこれほど、心配することもないかもしれない…
私は、思った…
だから、やはり、怒ることにした…
そんなに精神的に安定していれば、私の怒りを、受け止められるからだ…
「…ヤン…いや、リンダ…」
と、私は、言った…
「…他人様のカラダの欠点をあげつらうことは、良くないゾ…」
「…スイマセン…」
「…それでは、あのバニラといっしょだ…」
私は、力強く断言した…
「…あのバカなバニラといっしょだ…」
私は、不機嫌になった…
私が目の細いことを、ヤンに言われたからではない…
あのバニラのことを、思い出したのが、不機嫌だったのだ…
せっかく、今、バニラがここにいないのにもかかわらず、バニラのことを、思い出したのが、嫌だったのだ…
あのバニラは美人…
この目の前のヤン…リンダ・ヘイワースに、匹敵する美人だ…
以前、パーティーで、青いドレスを着て、私の前に現れたときなど、この世のものとも、思えぬ美しさだった…
私は、その美貌に絶句した…
文字通り、美神…
美の女神だったからだ…
だが、だ…
しかし、だ…
ひとたび、口を開けば、毒舌のオンパレード…
元々、ヤンキー上がりの美人だ…
性格が、とことん、ねじ曲がっている…
それを嫌った私に対して、常に上から目線で、ケンカを売って来た…
私は、それが、許せんかった…
性格のねじ曲がった、その根性が許せんかったのだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…お姉さん…ホント、バニラのことを、口にすると、顔色が一変するわね…」
「…どういうことだ?…」
「…いっつも、お姉さんの心の中は、バニラでいっぱい…」
「…それは、そうさ…バニラは、いつも、私の悪口をいうから、許せんのさ…当り前さ…」
「…でも、そんなに顔色を変えることかしら?…」
「…なんだと?…」
「…嫌いならば、ただ、無視をすればいい…相手にしなければ、いいだけでしょ?…」
「…それができれば、いいさ…でも、ダメさ…」
「…どうして、ダメなの?…」
「…オマエだって、わかってるだろ? バニラは、お父さんの…葉敬の愛人だ…無視するわけにはいかん…」
「…それは、そうだけど…」
「…だから、会わねばならん…だが、その結果、いつもケンカになる…だから、あんなヤツ、いっそ、どこかに、行ってしまえば、いいのに…」
「…例えば、アラブとか?…」
目の前のヤンが、予想外のことを、言った…
「…アラブ? …それは、オマエのことだろ?…」
私が言うと、ヤン=リンダが笑った…
実に意味深に笑った…
…なんだ?…
…一体?…
…どういうことだ?…
私は、思った…
…まさか?…
…まさか?…
私の背中に冷や汗が走った…
…もしかして?…
「…もしかして、アラブの王族の狙いは、バニラなのか?…」
私は、鋭い口調で言った…
「…答えろ! ヤン…いや、リンダ?…」
私は、大声を出した…
が、
目の前のリンダ…いや、ヤンは、ただ笑っていた…
「…将を射んと欲すれば先ず馬を射よ…日本のことわざよね…」
ヤン、いや、リンダが、笑う…
「…どういう意味だ?…」
「…例えば、この私と結婚したいと思う…それには、お姉さん、どうすれば、いいと思う?…」
「…どうすればだと?…」
私は、私の細い目を、細めながら、目の前のヤンを見た…
ヤンの意図がわからなかったからだ…
「…ねえ…お姉さんなら、どうする?…」
私は、考えた…
ヤンの質問に、真面目に答えようとしたのだ…
そして、しばらく考えた後、
「…仲良くなるさ…」
と、答えた…
「…仲良く?…」
「…そうさ…まずは、オマエと仲良くなるさ…」
「…それだけ?…」
「…それだけって?…」
「…今、お姉さんの言ったことは、中学生や高校生でも考えること…」
ヤンの言葉に、私は、
「…」
と、絶句した…
言われてみれば、その通り…
たしかに、その通りかもしれん…
誰もが、異性に接近するときに、まずは仲良くなることを、考える…
そうすれば、相手も警戒しないからだ…
たとえ、同じクラスの生徒でも、口も利いたこともない人間に、いきなり付き合ってくれと言われても、警戒する…
だから、最初は、仲良くなること…
要するに、友達になることから、始めようとする…
が、
それは、このヤンの言う通り、誰もが、思いつくこと…
だったら、それ以外は?
今、ヤンは、
「…将を射んと欲すれば先ず馬を射よ…」
と、言った…
つまり、将=目的の異性を射んと欲すれば先ず馬=身近な人間に狙いを定めよということだ…
身近な人間…
たとえば、それは、付き合いたいと、思う、人間の親だったり、兄弟姉妹だったり、友人だったりするのかも…
私は、思った…
だから、
「…ヤン…いや、リンダ…」
「…わかった? …お姉さん?…」
「…つまり、オマエを落としたかったならば、オマエの身近な人間…たとえば、オマエの親とか、友人とかにも、接近して、仲良くなるさ…そうすれば、私もオマエの周囲の人間から、認められるから、いざ、リンダと結婚したいと、言い出しても、みんな、賛成してくれるさ…」
私は、言った…
すると、
「…さすが、お姉さん…勘がいい…」
と、私を褒めた…
だが、
ヒントをくれたのは、ヤンだ…
「…たいしたことは、ないさ…すでに、ヒントは、オマエがくれただろ?…」
私の言葉に、ヤンは、ニヤリとした…
「…でも、それが、一体どうしたっていうんだ?…」
私が聞くと、
「…これを、アラブの王族に当てはめれば、どうなると、思う?…」
と、ヤンが、意味深に笑った…
…どうなる? だと?…
私は、思った…
そして、今のリンダの言葉…
…将を射んと欲すれば先ず馬を射よ…
という言葉を考えた…
つまりは、将=目的の人物を射る=手に入れるために、わざと、別の人物を狙う…
だから、最初に、名前を挙げたのは、本命ではない…
つまりは、リンダ・ヘイワースは、本命ではない、ということだ…
私は、思った…
「…つまり、オマエはアラブの王族の本命ではないということだな…」
私は、考えながら、言った…
目の前のヤンは、ニヤリとした…
「…つまり、本命は、別にいると?…」
「…」
「…それが、バニラなのか?…」
私が、ヤンを問い詰めた…
が、
ヤンは、笑って答えなかった…
だから、私は、
「…答えろ…ヤン、いや、リンダ…」
と、迫った…
すると、ヤンは、
「…目的は、わからない…」
と、真面目な表情で、答えた…
「…ただ、リンダ・ヘイワースが、目的とは、思えない…」
「…どうして、そう思うんだ?…」
「…相手は、知恵者…最初から、ターゲットは、口にしない…本命は、口にしない…」
「…なぜ、オマエにそれが、わかる?…」
私の質問に、目の前のヤンが、ニヤリとした…
「…お姉さん?…」
「…なんだ?…」
「…リンダ・ヘイワースを舐めてもらっちゃ、困るわ…」
「…舐めてもらっちゃ、困るだと?…」
私は、私の細い目を、さらに、細くして、目の前のヤンを見た…
「…リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボル…世界中で、有名…これが、どういうことか、わかる…」
「…なにが、言いたい?…」
「…要するに、世界中で、リンダ・ヘイワースのファンクラブができている…」
「…ファンクラブだと?…」
「…つまり、はっきりと、組織化はしてなくても、例えば、イギリスのウィリアム王子は、世間では、知られてないけれども、リンダ・ヘイワースの熱狂的なファンだと言う情報が入る…ウィリアム王子と親しい関係者が、私の身近な人間に教えてくれるの…」
「…」
「…要するに、変な話だけれども、私ぐらい世界的に有名になると、あちこちから、情報が入る…アメリカは、もとより、イギリス、ロシア、中国と、それこそ、世界中…もちろん、その中には、アラブの国々も入る…」
「…」
「…でも、これまで、一度もアラブの王族の中で、リンダ・ヘイワースの熱狂的なファンがいるなんて、情報は、聞いたことがない…」
「…聞いたことがないだと?…」
「…そう、ただの一度も…」
「…つまり、アラブの王族が、リンダ・ヘイワースの熱狂的なファンだというのは、ウソだと?…」
私の質問に、ヤンは、無言で、首を縦に、振って、頷いた…
「…だから、将を射んと欲すれば先ず馬を射よよ…お姉さん?…」
「…どういう意味だ?…」
「…誰もが、このことわざを例に出せば、リンダ・ヘイワースが、将だと思う…リンダ・ヘイワースが、目的だと思う…」
「…」
「…でも、違う…リンダ・ヘイワースは、馬…目的の将は、別にいる…」
「…誰だ? …それが、バニラなのか?…」
私の質問に、
「…わからない…」
と、ヤンが、首を横に振った…
「…バニラかもしれないし、別の誰かかもしれない…」
「…」
「…ただ、リンダではない…私ではない…それは、確か…」
ヤンが答える…
いつしか、辺りが、重苦しい雰囲気になった…
私とヤンは、いつしか、口をつぐんで、黙ってしまった…




