【力とは何か編】第八段 兼好、これまでの戦を振り返ること
【力とは何か編】第八段 兼好、これまでの戦を振り返ること
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大坂城が落ち、豊臣の家が絶えた。これで、応仁の乱このかた、いや、思えば南北朝の頃から続いてきた、長い長い争いの時代に、ひとまずの区切りがついたことになる。ここで一度、篁様への報告を離れ、これまで見てきたものを、我自身の言葉で整理しておきたい。
思えば、南北朝の争いは、帝の血筋という、この上なく尊いものを巡る争いだった。両統迭立の約束が破られ、後南朝の火種がくすぶり続けたのも、結局は「誰が正統か」という、由緒と大義名分を巡る戦いだった。応仁の乱もまた、畠山・斯波の家督争いに端を発し、宗全と勝元という、由緒ある守護大名同士の意地の張り合いへと膨らんでいった。この頃まではまだ、争いの主役は皆、生まれながらの家柄を持つ者たちだった。
ところが、応仁の乱が世の秩序をあらかた壊してしまってから、様相は一変した。伊豆の早雲、出雲の経久、あの美濃の長井新左衛門尉――素性の知れぬ者たちが、親しい相手を欺き、城を、国を奪い取っていく。刀と謀略さえあれば、家柄などなくとも成り上がれる。これが、下剋上という時代の始まりだった。
久秀という男に至っては、刀すら二の次だった。茶器一つで頭を下げ、情勢を見て主を乗り換え、また頭を下げる。義理も面目も、この男にとっては道具に過ぎなかった。信長は、この下剋上を誰よりも徹底してやり遂げ、そして同じ手口で家臣に討たれた。光秀は由緒正しい家柄を持ちながら、下剋上者を討つために下剋上の作法を使うという、皮肉な最期を演じた。秀吉は人の心そのものを掌握する力でのし上がり、同じ種類の力を持つ利休を、恐れのあまり手にかけた。そして家康は、刀も、人心も、情報も、策謀も、すべてを併せ持ち、最後には言いがかりという名の欺瞞さえ使って、大坂城を落とした。
こうして数えてみると、この長い年月、力の中身は確かに移り変わってきた。刀から、茶器へ。茶器から、人の心へ。人の心から、情報と策謀へ。だが、どれほど力の形が変わろうと、その果てに待つものは、いつも同じだった。一人の男が力を蓄え、その力ゆえに、いずれ誰かに討たれる。信長がそうだった。久秀もそうだった。利休でさえ、そうだった。之長から数えれば、もう百年以上、この同じ筋書きを、我は繰り返し見せられてきたことになる。
家康が、あらゆる力を併せ持ってようやく天下を統一した、その事実こそが、この構造の根深さを物語っているように思う。一つの力だけでは、もはや天下は治まらない。かといって、あらゆる力を一人が独占すれば、その者はやはり、最大の的になる。家康はこの矛盾を、自分の代では乗り越えられたかもしれない。だが、その子や孫の代に、同じ矛盾が再び頭をもたげはしないだろうか。
この先、下界がどうなっていくのか。刀でも茶器でも人心でも情報でもない、何か違うやり方で、この長い連鎖を断ち切る者が、いつか現れるのだろうか。我には、まだ分からない。




