【力とは何か編】第六段 家康、征夷大将軍となること
【力とは何か編】第六段 家康、征夷大将軍となること
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関ヶ原の勝利から3年、家康はついに、その地位を天下に知らしめる形を整えた。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
慶長八年二月十二日、家康、朝廷より征夷大将軍、右大臣、源氏長者の宣下を受け、武蔵国江戸に幕府を開き候。応仁の乱よりこのかた、久しく乱れ続けし天下、ここにようやく武家の棟梁のもとに統べられ候仕儀と~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
慶長8年(1603年)2月12日、家康は朝廷から征夷大将軍、右大臣、源氏長者の宣下を受け、武蔵国江戸に幕府を開きました。応仁の乱からこのかた、久しく乱れ続けてきた天下が、ここにようやく、武家の棟梁のもとに統べられることになったわけです。
慶長10年(1605年)には、家康は早くも将軍職を三男の秀忠に譲り、自らは大御所として実権を握り続けました。これは、将軍という地位が徳川家の世襲であることを、天下にはっきりと示すための布石でした。もっとも、大坂にはまだ豊臣秀頼が健在で、家康もこれを警戒し続けていました。
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之長・元長・信長・秀吉と、我はこれまで数えきれぬほどの天下人・実力者を見てきたが、いずれも一代限りで倒れるか、あるいは跡目争いで家中が乱れるかのいずれかだった。家康は、将軍職をわずか2年で子に譲ることで、あえて自分一代の栄華を誇るのではなく、家としての継続を優先させたように見える。これもまた、家康という男が、多くの人の力を借りて生き延びてきた、その処世の延長線上にあるのかもしれない。




