【力とは何か編】第二段 秀吉、利休の力を恐れ始めること
【力とは何か編】第二段 秀吉、利休の力を恐れ始めること
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かつては誰よりも利休を重んじていたはずの秀吉が、いつの頃からか、その利休を見る目に、影が差し始めた。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
天正十五年、秀吉、聚楽第の一郭に利休の屋敷を設け、三千石を与え、その庭作りまで任せ候。当時、両者の仲、まことに睦まじきものにて候えども、近頃はその様子、いささか変わりて見え候~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
天正15年(1587年)、秀吉は聚楽第の一郭に利休の屋敷を設け、3000石という禄まで与え、庭作りの差配までも任せていました。当時の二人の仲は、まことに睦まじいものだったと聞いていました。ですが、近頃はその様子が、いささか変わってきました。
天正18年(1590年)、秀吉が北条氏を攻めた小田原の陣中で、利休の一番弟子であった山上宗二という者が、秀吉の手にかかって命を落とすという出来事がありました。かつて秀吉のもとを離れて追放されていたこの男が、利休の口添えで陣中に姿を見せたところ、些細な受け答えが秀吉の怒りを買い、無残な最期を遂げました。この一件以来、利休は秀吉に対して、以前のような従順さを見せなくなりました。
さらに気になるのは、あの徳川家康や、奥州の伊達政宗といった、秀吉が心中もっとも警戒しているであろう大名たちと、利休が親しく交わっているという事です。刀でも兵の数でもなく、茶の湯という場を通じて、こうした有力者たちが自然と一つに結びついていく。秀吉にしてみれば、これほど気味の悪いことはないでしょう。
思えば、利休という男が持つ力は、秀吉自身がこれまで頼りにしてきた「人をたらし込む力」と、根っこのところでよく似ています。ただ、利休の場合は、それが刀を持たぬ茶人という立場でありながら、大名たちの心を、しかも秀吉さえ御しかねる大名たちの心までも、静かに引き寄せてしまう。秀吉は、己と同じ種類の力を、自分よりも御しにくい形で持つ者を、目の前にしているのです。
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我はこれまで、久秀が信長に、秀吉が光秀の隙を見て、それぞれ相手の力の性質を見極めた上で身を処してきた様を見てきた。だが今度は、秀吉自身が「御しきれぬ力を持つ者」と対峙する番のようだ。刀ならば、まだ勝ち目を測りやすい。だが、人の心をこれほどまで自在に動かす力を持つ者を、どう扱えばよいのか。秀吉ほどの男でさえ、その答えを持ち合わせていないように、我には見受けられる。




