【力とは何か編】第一段 利休、はやりを作ること
この物語は、「兼好法師の黄泉報告書【南北朝の終焉とその後の火種編】」「同【応仁の乱編】」「同【下剋上編】」「同【下剋上の結末編】」の続きとなります。
南北朝の火種から始まり、応仁の乱、下剋上、そして本能寺の変――幾世代にもわたる争いを見届けてきた兼好が、ついに「武力とは何か」という問いそのものに向き合います。
前4作から読んでいただくと、この問いの重みをより深く味わえますが、この巻から読み始めても内容が分かるよう書いております。
【力とは何か編】第一段 利休、はやりを作ること
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久秀の代から茶の湯の話は幾度か書いてきたが、あの秀吉の御代になって、この道はいよいよ大きな広がりを見せている。中心にいるのは、あの千利休という男だ。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
千宗易、天正十三年の禁中茶会の折、正親町天皇より利休の号を賜り、以後千利休と名乗り候由に候。紹鴎の教えを継ぎ、わび茶をいよいよ大成させ候。唐物・名物といった高価なる道具を尊ぶ古来の作法を離れ、京の陶工・長次郎に命じ、瓦職人の家系より出でしこの者に、新たなる茶碗を焼かせ候~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
千宗易は、名を改めて千利休と名乗るようになりました。天正13年(1585年)、禁中で茶会を催した折、正親町天皇から「利休」という居士号を賜ったのがきっかけだそうです。以後、この名で呼ばれることが多くなりました。
利休は、紹鴎の教えを受け継ぎ、詫び茶をいよいよ大成させました。唐物や名物といった高価な道具を尊ぶ、これまでの作法から離れ、京都の陶工・長次郎という者に命じて、新たな茶碗を焼かせました。この長次郎、もとは瓦職人の家系の出だそうで、名のある窯元でも何でもありません。ところが利休がこの男の作った黒く素朴な茶碗を選び、自ら使ってみせたところ、たちまちこれが「楽茶碗」と呼ばれる、押しも押されもせぬ名品として扱われるようになりました。
もとは無名の職人が焼いた、決して高価とは言えない茶碗が、利休がひとたび「これは良い」と選んだだけで、大名たちの垂涎の的になる。これまでの世では、唐物や、由緒正しい家に伝わる名物こそが値打ちを持つとされてきました。ですが利休は、その値打ちを決める権限そのものを、自分の目利き一つで握ってしまいました。
しかも、この利休のもとには、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然、高山長房といった、名だたる大名たちが、われ先にと弟子入りしています。かの前田利家も、利休に教えを請うているとか。武功で名を上げた者たちが、こぞって一人の茶人の弟子になりたがる。これは、刀や兵の数では測れない、また別の種類の力だと、私には思えます。
さらに聞くところによれば、秀吉自身も、大徳寺や北野で盛大な茶会を催し、身分の上下を問わず多くの者を招き入れました。利休の詫び茶は、もはや一部の大名や貴人だけのものではなく、下界の広い層にまで浸透しました。
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以前、久秀という男が、茶器一つで信長への忠誠を示したことがあった。あの時は、茶器はあくまで「値打ちのあるモノ」として、忠誠の証に使われるだけのものだった。だが、この利休という男がやっていることは、それとは質が違う。モノに値打ちを与える側に、利休自身がなってしまっている。刀で城を奪うのとも、金で人を従えるのとも違う、もっと得体の知れない力だ。この男が、この先どうなっていくのか、我は少し不安に思い始めている。




