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この小さな花があの海に届きますように  作者: 富田 来蔵 / Kizō Tomita


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第35話「小渋川英一という男」

航は響の言葉に、胸の奥で息を詰めた。

寂しさを含んだその声は、どこか世界をつなぎとめるように響く。

気づけば、遠くの風や車の音、街のざわめきまでもが、ひとつに重なっていた。


「響は知ってたんだ、秀樹さんのこと」


「うん、響乃おばあさんから聞いたの」


「でも……この話、俺もどこかで聞いたことがある」


誰からだったか、思い出せない。……「英一に返す…」

あの古い棚に貼られていた付箋の言葉だ。


叔父の英一さんか。だが年齢が合わない。

それでも――話の英一さんと、叔父の英一さん。どちらも義手だ。


「……同じ人だ」


胸の奥で、ざわめきが小さく走った。

言葉にしなくても、確信がすっと心に落ちる。


記憶の断片がひとつに繋がった。

英一さんは母方の11人兄弟の長男で、母は末っ子。年齢差は大きい。


「そういえば、このあいだ春江おばさんが言ってな……

いっちゃんなら今日は町内8kmマラソンって」


見た目は若すぎる――でも、あり得る。


「航、さっきからどうしたの?」

心配そうに響が尋ねる。


航は小さく息をつき、胸の奥で決意を固めた。


「英一さんのところに行ってみよう」


「え……航って、英一さんのこと知ってるの?」


「俺の叔父かもしれない」


急いで、2人は玄関で身支度を整える。

その時棚の上から、小さな赤い段ボールが落ちて来る。


「フェニックス ユニコーンライド2」


箱にはそう書かれていた。中身は真っ赤な競技用シューズだ。


響は少し迷ってそれを履き、2人で玄関を出た。

2人はバスに乗り、小渋川英一のもとへ向かった。


---------


英一叔父さんの家に着くと、春江おばさんが淹れたお茶の香りがふわりと漂った。


二人は畳に腰を下ろし、温かいお茶を手に取りながら、

英一の話に耳を傾ける。


「大筋は誠さんの話と同じだよ」


英一は微笑みながら続ける。


「いろいろなことが、あったらしいぞ、たとえば誠が言うには、

支給された下着が、間違えて女ものでな、

それをこっそり、砲術長の下着と取り換えて、しこたま怒られたらしい」


航は思わず吹き出しそうになる。

響も小さく笑い、部屋の空気に少し柔らかさが差し込んだ。


「いやー、誠さんもけっこうお茶目なことしていたんですね」と航。


英一も苦笑しつつ、湯呑みをカチャリと置いた。


「というわけで、一息つこう」


「それにしても、すごい義手ですね、サイボーグの手みたいですね」


「これか、強化プラスチックの外装とチタンのフレームでできている」

「2回左に大きくひねることでコマンド入力になる」

「持ち上げモードは2回大きく左にひねって左、左に払う」


義手を机に近づけると、センサーと角度制御で、がっちりと縁をつかんだ。


「このように生活の補助もできるんだ、しかも軽い」

「さらにモード切替で色々な作業やシーンに対応する最新の義手だ」


「その他にもおす、引く、挨拶、握手、筆記など全部で32モードある」


航が目を輝かせて、左手を差し出した。


「おお、すげえ……握手もできるんですか?」


「……あー、やめといた方がいい」

英一は即座に制した。


「握手機能もついとるがな、下手すると手が砕けるぞ」


「えっ」


半信半疑の航の視線を受け流し、

筆記モードに入れ、英一はその義手で鉛筆を取った。


次の瞬間――

鉛筆が、バキバキと乾いた音を立てて砕け、

机の上に無惨な残骸を散らした。


「……ダメじゃん、それ」


「プロトタイプだからしょうがないんじゃ」

英一は平然と肩をすくめる。


「しょうもない機能ばっかり付けるからなぁ、あいつは」


英一は義手を左回りに大きく2回ひねる


「入力をどうぞ」


電子音声が響く


「上、下、上、下、左右……前後……」


カチリ、と小さな音。


「シャキーン」


航の目が……泳いだ。


「うわ、すご……えー」


響が露骨に顔をしかめる。


「……あ、これエミリーからジャイアントスイングされるやつだ」


「命の危険があるな……」


英一は義手をスリープモードに入れ


「作ったやつがな……戦時中、命を拾ったアメリカ人――ロバートの息子だ。

俺はテスターだが、この機能を封印しろといっても、

笑いながら言うことを聞かないんだ」


そう言ってどこか遠くを見る英一に航はちょっとひっかかった


「そういえば英一さんて何歳なんですか」


「誠と同い年だ、秀樹は1月生まれで少し年下だが、同期だ」


「誠さんと同い年は思わなかったですよ若いですね」


「あいつが老けすぎなんだ、響乃が亡くなって急に老け込んだからな」


そう言って英一は、少し寂しそうに窓の外に目をやった。

高く澄んだ空に、薄い雲がゆっくりと流れる。


遠くの街路樹や畑では、まだ緑色の小さなみかんが、

黄色く熟すのを静かに待っていた。


英一の視線は、過ぎた日々や戦友たちの記憶をたどっていた。


「航君たちには、ちょっと重い話になるが……聞きたいか」


「もしかして秀樹さんの話ですか」


「よく覚えていたな、小さいころに少しだけ話したことだぞ」


「こないだまで、さすがに忘れていました、改めて聞きたい」


「私も聞いておきたい……聞かなくてはいけない気がする」


秋の空は少しだけ寂しさをまとい、その影を、雲に隠していた。



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