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この小さな花があの海に届きますように  作者: 富田 来蔵 / Kizō Tomita


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第28話「この手と共に」

看護兵・小渋川英一は、

損傷した板張りの甲板の上で、昼の戦闘で傷を負った者たちを、

片腕だけで器用に手当てしていた。


最後の負傷者の包帯を結び終えると、

彼は短く息を吐く。


「……これで終わりか。

 羽黒の奴らは、大丈夫だろうか」


しばらく黙り込み、ぽつりと続けた。


「あそこには、知り合いが多い。

 助けに行ければいいんだがな」


同僚の看護兵は、ゆっくりと首を振る。


「まだあの海域には敵艦が多い。

 近づけば、こっちが餌食になる」


そのとき、甲板を急ぐ足音が近づいた。

低く、張り詰めた声が飛ぶ。


「――羽黒乗組員、救助に向かう」


英一は思わず顔を上げた。


「……よかった。

 羽黒がいなけりゃ、この艦も、今ごろ海の藻屑だ」


だが、その希望は長くは続かなかった。


「敵駆逐艦発見。

 その数三――二時の方向、距離二万」


「戦闘態勢を取っている」


艦内に、一瞬の沈黙が落ちる。


「……だめだ。敵が多すぎる。

 戦域から離脱せよ」


駆逐艦・神嵐は、

取り残された者たちを救助するには、

あまりにも厳しい状況に置かれていた。


その頃、救助を待つ誠たちは、

また一人、また一人と息を引き取っていく仲間を前に、

無力さを噛みしめていた。


「もう昼過ぎだ。水も食料も少ない……

 いつまで耐えられるか」


じりじりと照り返す水面の向こうに、船影が見える。

助かった――そう思った瞬間、

機銃掃射がすぐ隣の水面を引き裂いた。


「Stop firing! They’re unarmed!」

(撃つな! 相手は武装していない!)


船上の敵兵たちは姿勢を正し、敬礼を送ってくる。

こちらも敬礼で応じる。

静かな沈黙が、その場を支配した。


「……奴らも、人か。

 俺たちは、何と戦っていたんだ」


秀樹が静かにつぶやく。

誠は、短く答えた。


「お互い、命のやり取りだったんだ。

 それ以上でも、それ以下でもない」


夜が深まる。

海と空の境界は溶け合い、

水平線は、ただ暗闇の波紋となっていた。


潮の匂いは薄れ、夜気は冷え切っている。


誠たちは漂いながら、互いの体を支え合い、

ただ時間の流れを待つ。


水も食料も尽き、

体力と希望は、少しずつ削られていった。


「おまえは特別頑丈だ。

 こんなところで死ねないぞ。

 俺が響乃に、どやされる」


「……ちがいない」


秀樹はそう答えたが、

その声は次第に弱っていく。


「俺は……人をあやめすぎた。

 だから、その業で焼かれるんだ。

 もう限界だ……後を頼む、誠」


そのとき、一隻のぼろぼろの艦影が近づいてくる。


波間から船体識別文字が見えた。


――駆逐艦・神嵐。


傷だらけの鉄の巨体が、

闇夜の海を沈むように進んでくる。


「ほら、そういうカッコをつけるから、

 救助が来るんだ」


「ああ……まったくもって、傑作だ」


神嵐の甲板では、救助者受け入れの準備が進んでいた。

非常用ネットが張られ、救助ボートが横付けされる。


動ける者は少ない。

小渋川英一も、救助に加わっていた。


「小渋川、無理をするな。

 義手が外れたら、お前も落ちるぞ」


「こんなんでも、猫の手よりはましだ。

 落ちたら拾ってくれ」


左手のフック状の義手を掲げ、英一は答える。


救助ボートが横付けされ、

漂流者たちが力を振り絞ってネットを上がってくる。


そのとき、

懐かしく、聞き覚えのある声がした。


――誠と秀樹だ。間違いない。


だが秀樹は応急手当は受けているものの、

重傷のようだった。


「誠、下から押し上げてくれ。

 俺が上から引っかける」


「英一じゃないか……ああ、肩に乗せてやってみる」


秀樹の右腕に負担をかけぬよう、

誠は慎重に押し上げる。


英一はフックで衣服を引っかけ、

外れないよう、ゆっくりと持ち上げた。


上がり切ったところでフックを外し、

欄干に引っかけ、右手を伸ばす。


「――この手をつかめ、秀樹!」


秀樹の左手と、英一の右手が固く握られる。


渾身の力で引き上げられ、

二人は仰向けのまま甲板に転がった。


下から誠も上がり、

束の間の再会を喜ぶが――


「悪いな誠。

 秀樹を救護所まで連れて行ってくれ。

 甲板後部だ。頼んだぞ」


まだ救助を待つ者は多い。

英一は、救助と治療を同時にこなすしかなかった。


「わかった。英一も、無理をするなよ」


誠は秀樹に肩を貸し、甲板を後にする。


英一は救助を続けながら、負傷者を治療する。


海の闇は、

まだ月明かりに悲しみを隠したままであった。



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