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この小さな花があの海に届きますように  作者: 富田 来蔵 / Kizō Tomita


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第23話「明日への元気と力」

日の光が強くなり始めたころ、

水面がきらきらと揺れていた。


やさしい水音が耳に満ち、

胸の奥に溜まっていたものを、少しずつほどいていく。


航はプールサイドに腰を下ろし、

ゆっくりと息を整えた。


「……まずはストローク練習か。

それとも、軽く流すか」


200メートル。

流しで軽くウォームアップする。


午前の早い時間、

ひんやりとした水温に体が少しずつ馴染んでいく。


50メートルのスカーリングとキャッチアップを、各4本。


水中で手のひらを小さく動かし、

水をつかむ感覚を確かめる。

どれも基本の動作だが、フォームを整えるには欠かせない。


「……まだ、ちゃんと覚えてるな」


細かく考えなくても、

体が自然と順序を思い出してくれる。


メインは200メートルを6本。

休憩を2、3分はさみながら、少しずつスピードを上げる。


息は弾むが、乱れはない。

スマートウォッチを見ても、心拍は高すぎない。


「今日は、このくらいにしておくか。

まだ余裕はあるな」


ダウンに、平泳ぎで150メートル。

水面を見上げながら、ゆっくりと泳ぐ。


そのころ、村上家の台所では、

響が食材の準備をしていた。


「たのモー!」


少し気の抜けたエミリーの声に、

思わずジャガイモを落としかける。


「エミリー、こんにちは。

それ、うちのバカ兄が“そう言え”って言ったでしょ」


「うん。面白いから言ってみた」


にこっと笑うエミリー。

響は、日本語がすっかり自然になったことに感心する。


「お兄ちゃんもバカだからねー。

本気にしちゃだめよ」


「うん、わかってるよー。仁だモン」


二人は台所へ移動する。

仁も顔を出したが、響に一言叱られ、二階へと逃げていった。


「それじゃ、始めようか。

今日は肉じゃがと豚汁ね」


まな板に向かい、じゃがいもとにんじんを切り始める。


「エミリー、じゃがいもは一口大。

包丁の持ち方、ちょっと違うかな」


響がそっと手を添える。

エミリーも真似をして包丁を握った。


「アメリカのキッチンナイフと少し違うのね。

日本のはよく切れるネ。指、気をつけなくちゃ」


二人で具材を切っていく。

響のほうが手慣れていて、自然とペースが速い。


エミリーの野菜は少し厚めだった。


「この野菜は、薄く切ったほうが味がしみやすいの」

「私のは豚汁用。エミリーのは肉じゃが用ね」


鍋に油を熱し、玉ねぎを炒める。

甘い香りが台所に広がった。


「うん……いい匂い!」


エミリーの目が輝く。


「次は豚肉。

軽く炒めてから、じゃがいもとにんじんを入れるの」


「フライパンは一緒ネ。

焦がさないように気をつける」


砂糖、しょうゆ、みりん、だしを加える。


「弱火で20分。

落とし蓋をして、コトコトね」


「日本のしょうゆってスゴイ。

とてもいい匂いがするネ」


「次は豚汁。さっと作っちゃおう」


こんにゃくを下茹でし、水気を切る。

具材を入れて、軽く炒める。


「大根が透き通ったら水。

それから味噌としょうゆ、だし。

料理酒を少しだけ」


「ほんとは、だしもちゃんと取ると深みが出るけど、

時間がかかるからね。忙しいときは時短も大事」


「へえ……日本の料理、奥が深い。

でもアメリカの料理も早くて、たくさん作れるヨ

パーティにもってこいなの」


「今度、教えて。興味あるの」


「うん、まかせて。今度うちに来てネ」


煮込みがひと段落したころ。


「こんにちわー。お邪魔します」


航が玄関から入ってくる。

仁はハンドグリップをシャカシャカ鳴らしながら出迎えた。


「エミリー、お兄ちゃんたちの分お願い」


響は皿に料理を盛り、一階の日本間へ向かう。

そこには、少し疲れた表情の誠が布団に横になっていた。


そっと料理を置く。


「おじいちゃん、食べてね」


誠は目を開け、弱々しくも微笑む。


「ありがと……今日も美味しそうだねぇ」


「ゆっくり食べて。

またあとで来るから」


居間には料理が並び、

湯気が立ちのぼっている。


「いただきます」


箸を合わせ、他愛のない会話が始まる。


「今日はどうだった、航」


「調子、戻ってきたみたいだ」


仁がテレビの話題を振ると、

航は箸を止めて耳を傾ける。


「へえ、そんな内容だったのか」


「日本の番組、面白いネ」

エミリーがにこにこ笑う。


「エミリー、どう? 口に合う?」

「うん! すごく美味しい」


航はふと窓の外を見る。


「……こういう時間って、いいな」


小さな幸福が、胸の奥にじんわりと広がった。


午後の光が部屋に差し込み、

湯気の中できらめく。


壁に飾られた、

誠おじいさんと響乃おばあさんの写真も、

静かに微笑んでいた。


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