第22話「飛び立つ前の時間」
外の太陽が午後の光を少しずつ弱めるころ。
「もう、羽黒も日本も、引き返せないところに来ていたのかもしれない」
誠は深呼吸をひとつして、艦の過去の話をいったんやめた。
机の上の設計図や作業道具に目を落とし、次の指示を出す。
「二人とも、一角獣の組み立てをしてくれ。
翼と胴体の接合は慎重にな、いいな」
響が小さく頷き、航も手元を整える。
外の風が窓から差し込み、午後の光は机の上で柔らかく揺れる。
「よし、あとはニスの塗装だけだ。もう問題はないだろう」
そう言って、誠は静かに伸びをする。
ふと頭の中に、羽黒の沈没の様子が浮かぶ。
あまりにも過酷で熾烈な情景に、思い出すことをためらった。
高校生の二人に、こんな話をしていいものか――
誠は迷う。
「今ではないな」
そう、聞こえないようにそっとつぶやいた。
「わしはちょっと休む。何かわからないことがあったら、また呼んどくれ」
「長い時間ありがとう、おじいちゃん。体は大丈夫?」
「ああ、もう大丈夫だ」
誠は軽く頷き、部屋を後にした。
航たちは分担して筆と小刷毛で塗装を進める。
たてがみや尾に透明なニスを塗り重ね、奥行きを与えていく。
響は繊細な羽や装飾を少し書き足しながら、マボガニー色のニスをムラなく塗る。
塗装した本体を上から吊るすと、作業はひと段落した。
「ただいまー」
その時、仁が帰ってきた。
階段を駆け上がり、部屋に飛び込む仁は、目を輝かせてユニコーンを見つめる。
「よお、航!来てたのか。作業は順調か?」
そこには、鳳凰の羽を持つユニコーンが、
今にも飛び立ちそうな姿で凛として誇っているように見えた。
「よくできてるじゃないか、響。良かったな」
「うん、航がこの羽、作ってくれたの」
「これ、もうユニコーンじゃなくてキメラじゃないか?」
仁がおどけて突っ込むと、
「ユニコーンだ!」
「ユニコーンです」
二人が同時に反論した。
「わかった、わかった。ユニコーンにしておくよ。
でも意外と航って器用だよな。今度、プラモ一緒にやらないか」
そう言って、コンビニ袋に入ったポテチや駄菓子、飲み物を見せる。
「そうだ、二人とも俺の部屋にこい、一緒に食うぞ」
「えー、お兄ちゃんの部屋、変にマッチョだから苦手なんだけど」
といいつつ、渋々移動する二人。
廊下のバーベルをよけながら、仁の部屋に入った。
仁の部屋の壁には、海外のボディービルダーのポスターや、
細かい筋力トレーニングのスケジュール表が貼られている。
さらに、テレビの画面がやけに騒がしかった。
人間の形をした筋肉同士が、理由もなく殴り合い、
車が常識を置き去りにして走っている。
カーブも重力も、気合でねじ伏せる世界だ。
仁はそれを当たり前の顔で見ながら、ポテチの袋を開けた。
「航、最近調子良さそうだな。だいぶ筋肉が戻ったじゃないか」
「ああ、飯がうまい響のおかげかな」
ちょっと小声で答える航。
響はテレビの内容が気になっている様子だ。
「お兄ちゃん、なんで普通の車が空飛んでるの。落ちたらぺちゃんこだよね」
「あー、それはそういうもんだ、ちゃんとパラシュートがついている」
響はあまり納得していない顔で続きを見つめる。
仁は航を見ながら、少し真剣なまなざしを向ける。
「物事は気合と根性だけじゃ通らないことがよくある。
まずは体だ。体を作るのは食べ物だ。食べられることを大事にして食え」
「それはお前も気づいてるはずだ。
体ができりゃ、悩む前に動けるようになる」
「やっぱり、何年たっても仁には敵わないな。本当の兄貴なら良かったな」
響は横でくすっと笑う。
「お兄ちゃんがいっぱいになっちゃうし、それはちょっとやだな」
「おーおー、二人ともお熱いこった。頑張れよ」
響は一瞬だけ仁をじろりと見て、やれやれという顔になる。
「……それでさ。エミリーとはどうなの?
こないだ、ずいぶん堂々としてたけど」
「まあ、あいつらしいってもんだ。ちょっと危なっかしいところもあるけどな」
「それはお兄ちゃんも一緒でしょ、ほんとに似てるんだから」
「俺とエミリーがか?そんなに似てるか、だいぶ違う気がするが」
「そうだよね、美女と猛獣だし」
「そうな、熊さんだしな」
「おまえらなー、夫婦漫才かこれは」
ひとしきり笑いが起こった。
そして、思い出したように仁が響に顔を向ける。
「そうだ、エミリーから響に伝言だ。日本の料理、教えてくれってさ」
「え、私に……どうしてかな」
「最近俺に弁当作るんだけど、レパートリーが少ないんだと。
俺は十分なんだけど、エミリーがどうしてもだってさ」
響は首をかしげながらも、どこか楽しそうだった。
「わかった、私もアメリカの料理ってほとんど知らないし、興味もあるし」
「そう伝えておくよ。実は俺もほんのちょっとだけ、日本食があった方が助かる」
「お兄ちゃんは食いしん坊だからね」
それを横から見ていた航は、ちょっとだけ暖かい気持ちになった。
それは、夏空の優しい夕暮れのように。




