第20話「柔らかな光のなかで」
朝のすがすがしい静かな時間。
響は道場で、いつもの朝稽古に向き合っていた。
最初の三本は外れた。
四本目の射に入ると、ふと、空気が溶けるように周囲の音が消えた。
弓弦が鳴り、矢はすっと吸い込まれるように飛ぶ。
的の上方に――トン、と澄んだ音が響いた。
「うん、中ったね。
響ちゃん、最近なにかいいことあったでしょう。いい顔になったよ」
岩崎部長がにこにこと声をかける。
「ええ、とてもいいことがあったの。今は本当に充実してる」
「頑張りなさいよ、響。大事なところで逃しちゃだめだからね」
人の噂は早いな、と思いながら響は戻る。
射法八節――足踏み、胴造り、弓構え、打起し、
引分け、会、離れ、残心――を静かに繰り返す。
ふと、航は今どうしているだろうかと心に浮かぶ。
朝稽古を終えた頃、白妻ヶ浜海岸総合施設では、
航がひとり練習に励んでいた。
「よし、この時間帯ならまだ誰も来ていないな」
水面にすっと体を沈め、泳ぎ出す。
基本的なフォームは昔と変わらない。でも最近、
前に進む力が少し強くなった気がする。
体重も少しずつ戻りつつあることに気づき、心の中でつぶやく。
「最近、飯がうまいな……あの頃は何を食べても味気なかったのに」
四百メートルを泳ぎ切り、息を整える。
あの夜、響の手を取ったことを思い出しながら――
今日は午後から模型の制作に入る。約束の時間はお昼前だ。
数本の練習を終え、プールを後にする。
「そろそろ上がるか」
村上家へ向かう途中、仁とエミリーとすれ違った。
「よう、航。最近どうよ」
「ちょっとは良い感じだ。休んだのが正解だったかもな」
「無理はダメだよ。でもそのうち練習戻ってきなさい。みんな待ってるから」
「そのうち、考えておく」
エミリーは巨大な弁当を手に楽しそうに歩いていった。
いつもの果樹園の横道を上がり、村上家の門をくぐると、
焼き魚のいい匂いが漂ってきた。
「航ちゃん、こんにちは。上がって。
ひびきー、サラダ盛った?」
「はーい、今行く。二階にもっていくね」
二階の響の部屋で、二人はちゃぶ台を囲む。
心地よい疲れの体に、白身のジュワっとした脂がしみ込んでいく。
部屋の片隅には弓道具と色とりどりのぬいぐるみ、あれは…カエルッパか?
「航、なんか顔色いいね。こないだまであまりよくなかったのに」
「最近、調子も少しずつ戻ってきた。響のおかげで飯もうまい」
「作る甲斐があるよ。そう言ってもらえると、一番うれしい」
「こちらこそだな。響も最近、明るくなった気がする」
「うん、元気が出た。最近、とても充実してる」
すべてがうまくいき始めた気がした。
実際には何も変わっていない。それでも、心は前に向き始めていた。
壁に貼られたユニコーンの絵は、まだ見ぬ空へ向かう軌跡を静かに描いていた。




