第六十四話 不機嫌な匠
佐山くんと喋っていると、「ちょっとごめん。」と後ろから声をかけられた。振り向くと、匠だった。
「なんだよ、天野。」
佐山くんがいぶかしげに眉をひそめる。
「俺も、望月さんと喋りたいから、代わってもらっていい?」
匠はそう言って、佐山くんを強引にどかせてしまった。
「……なによ、匠とはここで喋らなくったっていいじゃん。」
私が小声で言うと、匠は不機嫌な顔をして、私の横に座り込む。
「携帯、貸して。」
と、片手を出されるので、
「あ、匠の携帯?」
と、ごそごそとカバンを探ろうとすると、
「ちがうよ、こっち。」
と、テーブルに置いてある私の携帯を、さっと取り上げる。そして、私の携帯の新規の連絡先一覧を勝手に見て、
「なんだよ、増えてる女子は大崎だけで、あとは全部男じゃねえかよ。」
と、ブツブツ言っている。
「全部ブロックしてやろうか、こいつら。」
「ちょっと、やめてよ。見るのはいいけど、勝手に操作するのはなし、って言ってるでしょ。」
私は小声で匠に抗議する。
「わかってるよ。つか、楓の馬鹿。」
そう言いながら、匠は私の携帯を離さない。そこへ、絵里がやってきた。
「あっ、匠くん、携帯持ってないっていって、ちゃんと持ってるじゃん!私と連絡先交換してよ。」
「ん?」
匠は、王子様スマイルをたちまち顔に貼り付ける。
「これは、僕の携帯じゃないよ。僕は嫉妬深いからね、彼女の携帯チェックとかしちゃう、嫌らしい男なんだよ。絵里ちゃん。」
「か、彼女?」
絵里の顔が青ざめる。
「彼女って、どういうこと?『誰とも付き合わない』匠くんじゃなかったの?」
絵里の手がわなわなと震えているのが見える。わあ、絵里って、まだ匠を諦めてなかったんだ。絵里の目が涙をためてギラギラしているのが見えて、私はそっと目を伏せる。
「はい、楓、携帯返す。」
そんな絵里の前で、匠はそう言って、わざと私に携帯を返すので、私は血の気が引く。
「まさか、彼女って、望月さんなの?………どこがいいのよ、こんな地味な子の!」
絵里の鋭い目つきが、私に飛んで、私はいたたまれなくなる。私の隣に座る凛音は、くくっと笑った。
「諦めなよ、絵里、楓とあんたじゃ、根性が違う。……あんたは、匠くんの絵をを支えるために、医者になれる根性があるわけ?」
「ちょっと、凛音。」
私は慌てる。
「なによ、私は泣きながら電話してきた、高三の秋を忘れてないわよ。『医者になって、売れない画家を支えたい』って、はっきり言ったわよね?楓。」
凛音の言葉に、私は何も答えられず、真っ赤になる。
「え、そうなの?楓。俺、全然、そんなの聞いたことないんだけど。」
匠が驚いたように私の顔を見るので、赤くなった顔を見られないように、顔をそむける。絵里は、私を涙ながらに、にらみつけて、
「私、もう帰る……。」
と言った。そんな絵里に、追い打ちをかけるように凛音は、
「会費、ちゃんと置いて行ってよ。」
というと、絵里は震える手で、財布から札をつかみだして、テーブルに叩き付けるように置くと、店を出て行った。
「往生際の悪い女。」
ぼそっと凛音が言った。幸い、隅っこだったから、今のやり取りはほとんど誰にも聞かれていなかったようで、絵里が帰ったことも、誰もあまり気づいていなかった。
「……でもさ、楓。俺、別に楓に養ってもらおうとか、全然考えてないからな。」
匠に言われる。
「知ってる。だから、今まで言わなかったのに。凛音の馬鹿。」
私は熱くなった頬を両手で押さえる。匠は、じっとこっちを見ている風だったけど、突然、
「酔った、もう寝る、俺。」
と言って、突然私の膝を枕にして寝はじめた。
「ちょっと、匠、起きてよ。」
私は身をかがめて、匠の耳にささやくけど、ほんとに寝入ったのか、聞こえないふりをしているのか、匠は頑として起きない。
「どうしよう、これ…。」
凛音に助けを求めると、凛音はふっと笑った。
「照れて、甘えてんのよ、匠くん。わかってやんなよ。何年一緒にいても、楓は馬鹿だからねえ。」
と凛音に言われてしまう。ちょうど陰になってるから、ほかの人には見えにくいけど、佐山くんのあとも、男の子が、
「ねえ、望月……。」
と隣に座ろうとしては、私の膝を枕に寝ている匠に気づいて、「げ、天野……。」と、慌てふためいて去っていくことが二、三回続く。
「匠くん、先に帰っちゃったのかね?絵里もいつの間にか見えなくなってるから、もしかして、絵里にお持ち帰りされた?」
などと見当違いの声も聞こえてきて、いたたまれない。匠の頭を膝にのせて、凛音と二人で、ぼそぼそと二人で喋るだけ、というクラス会ともつかない時間が三十分ぐらい続いた後、幹事の凛音が、
「お開きだよー。会費五千円ねー。会計の紗枝に持って行って。」
と大声を出す。
「匠、終わりだって。」
匠をゆり起こすと、むくっと匠は起き上がって、寝癖を手で直す。
「えっと、会費は宮崎に払えばいいの?」
「会計は紗枝。ほら、あっち。」
と凛音が言うと、ふらふらしながら立ち上がって、入口近くの、紗枝のほうに向かう。そのあとを、私と凛音も追うと、匠が一万円札を出しているのが見えた。
「あ、匠くん、まだいたんだね。待ってね、おつり出すから。二次会も行くでしょ?」
紗枝が弾んだ声を出している。
「二次会は行かない。あとお釣りはいらないよ。二人分だから、俺と楓の。」
と匠が言っているのが聞こえ、私と凛音は固まる。
「い、や、天野くん、私、自分で出すからね?」
私が焦って言うと。
「は?彼女の分ぐらい俺に出させろよ。」
と、私を横目で睨んで吐き出すように言った匠に、そのまま手をつかまれて、店を出されてしまう。二次会に行くために店の前に固まっていたクラスメイトの間を、私の手をつないだまますり抜け、匠はさっさと早足で歩く。
「匠くんと楓?」
「ちょっ、天野と望月?いったいなにがどうなってんの?」
クラスメイトの声が聞こえるけど、匠は気にしない。
「ちょっと、匠、困る、こんなの……。」
私が言うけど、
「なんだよ。ちゃんと大崎と話せたんだろ?目的達成できて良かったじゃんよ。」
と、匠にすげなく言われてしまう。そのまま、私の手を引っ張って、駅への道を匠は急ぐ。ホームのベンチに腰掛けて、匠は大きなため息をつく。
「やっぱ、なーんも楽しくなかった。ただの時間の無駄だった。二度と行くもんか。」
匠はブツブツ文句を言う。
「せっかく、みんなと仲良くなれそうなチャンスだったのになあー。私は残念。」
私がため息をつくと。匠に頬をつままれる。
「仲良くしてたのは、男ばっかりじゃねえか。……相変わらず、女は、宮崎と大崎以外は楓に冷たいし、男は手のひら返したように楓に群がるし、あー、男ってバカばっかり。あいつら二年たっても何にも成長してねえ。」
「そう?みんな健康に不安抱えてるんだな、と思って勉強になったのに。」
「あー、忘れてた。今日の中で、やっぱり楓が一番馬鹿だった。おい、写真撮るぞ、楓の携帯出せ。」
「私の携帯で?」
不思議に思いながらも、匠の携帯を返しながら、自分の携帯電話も渡すと、携帯を上に掲げて、二人の写真を撮る匠。
「これを楓のLINEのトップ絵に更新、と。」
「ちょっと、何してんの?」
私は匠の勝手な行動にあきれる。
「虫除けだバカ。二十歳やそこらの男が、健康に問題あるやつが、そんな何人もいるかバカ。全部楓に近づきたい口実だバカ。」
やたらとバカを連呼して不機嫌な匠。
「そんなことないよ、みんな結構、若くても身体の悩みを抱えてるんだよ、きっと。」
「楓は鉄壁バリアさえ取り払ってしまえば、無自覚の、ただのお人よしだからな。」
匠は頭を抱える。ただの心配しすぎだと思うけどな…。佐山くんから早速メッセージが入る。
「天野と一緒に帰ってたけど、まさか二人、つきあってるの?」
トップ画像まで更新されて、今さら隠すわけにもいかない。
「そうだよ。高校卒業してからだから、もうちょっとで二年かな?」
そう返信すると、
「そっか……。残念。」
と短い返信のあと、それきり連絡は途切れた。
「腰痛が酷くなって診察受けたら、また連絡してね。」
そう私は書いてみたけど、それきり佐山くんからは何も返ってこなかった。残念、て何よ。
「私は残念な女らしい。やっぱり。」
私は携帯を見てつぶやく。私の独り言を聞きとがめて、匠が私の携帯をのぞき込み、頭を抱える。
「ああ、俺も楓の頭の中身がとても残念だ。どうして医学部現役合格できる頭を持ちながら、そんなに自覚が無いんだ。明らかに今日の佐山、楓に気があっただろ?気づけよ馬鹿。」
「え?匠そんなこと考えてたから、わざわざ邪魔しに来たの?あの時。……心配しなくても、私は相変わらずただの地味女なのに。絵里の言葉、聞いたでしょ?」
「浦部みたいなケバ女に、楓の良さがわかるか馬鹿。」
駅のホームでつまらないケンカをしていたら、凛音から匠の携帯に着信が入る。
「あ?俺らのせいで、二次会の空気が重い?知るかボケ。なに喋ってもいいけどな、二度と俺らをクラス会に呼ぶなボケ。」
今日の匠は不機嫌で、相当口が悪い。さすがに私はしょんぼりする。
「ごめんね。私が行きたいって言ったばっかりに、匠に嫌な思いさせて。」
「……でも、一個だけいいことあったな。楓の隠してた、本音を聞けたこと、かな。」
匠はそう言って、にやっと笑って頭を撫でてくれた。
「でもな、楓、そんな心配、全然しなくていいよ。俺、経済的に楓に頼ろうなんて、微塵も考えてないからな。」
「わかってる。だから、一生言うつもりもなかったのにな。」
私はうつむいた。また、頬に血がのぼっているのがわかるから、顔を上げられない。
「あの時、私はたくさん、匠に助けてもらったのに、何にも私は匠にしてあげられること無いって思って、そんなことぐらいしか、思いつけなかったの。……いつか、匠が、本当に絵だけに没頭したい日が来たら、私はそれを支援する人になれたらな、って、それだけ。」
「俺が、楓に望むのは、ずっとそばにいて、描かせてくれて、俺に甘えてくれること。それだけでいいんだよ。」
「それじゃ、ただの猫じゃない。私。」
私はふくれると、匠は笑って私の肩を抱き寄せる。
「……でもさ、楓があの時、そう思ってくれてたってことは、あの離れてた一年、駆くんのことだけじゃなくて、俺のことも考えながら、勉強がんばってくれてたんだなってことが分かったのが、一番嬉しいかな。」
そう言って、駅のホームだというのに、かまわずに私の唇に自分の唇を寄せる匠。
「やば。自分で盛りつけたのに、今日の楓、きれいで可愛くて、止まんない。ごめん、今夜は寝かせてやれないわ。」
匠に耳元でそうささやかれて、私は赤くなってうなずいた。




