第六十五話 匠と、江野へ。
駆のお墓参りに行こうか、と言ったのは、匠だった。クラス会から二か月近く後のこと。
「もうすぐ彼岸だし、俺のいない間、駆くんに楓を守ってもらわなくちゃ。」
と匠は言う。匠は、四月から交換留学で、一年間日本を離れて、ミラノの美大へ行く。夏季休暇は長くあるけど、その間はイギリスで語学の習得を目指すらしい。つまり、一年間、海外と日本で離ればなれになるわけで、匠は、留学の準備を進めながら「行きたくねえっ!」と何度もうめいてた。
「でも、今行かなきゃ、一生後悔するよ?」
私が言うと、
「わかってる。でも、楓を一年ほったらかすなんて、俺、耐えられない。楓は三年になったら、もっともっと忙しくなるっていうのに、そんな楓を放置する自分が許せない。」
匠はブツブツ言っている。
「子どもじゃないんだし、大丈夫。太郎やサボ太郎たちと、ちゃんと匠の帰りを待ってるから。それより、日本に比べて治安はどこも良くないから、私の心配より自分の心配して。」
「俺は大丈夫だよ。」
「あと、煙草は禁止。」
「はいはい。」
「返事が軽い。全く信用できない。」
「吸いません。」
「ほんとかなあ…。」
そう言うと、匠は私を抱きしめる。
「俺は、一年離れるっていうのに、楓が平然としてるほうが不安だよ。二年近くも一緒に暮らしたのに、そんなに俺の存在がちっちゃいのかなーとか気になる。」
匠はため息をつきながら、そう寂しそうに言う。
「寂しいけど、前も私たちは一年離れてたことあったじゃない。あの時よりも、今のほうが寂しくない。だって、今は、お互いのこと、分かり合えてるから。」
そう言って、私は匠を見て、にっこりと笑って見せると、匠は安心するどころか、ますます切なそうな顔をする。そして、
「ここにいると思っても、いなくなるのが楓だからな。」
なんて言う。……ずいぶん信用されてないもんだな、とは思うけれど、それだけ私が匠にかつて負わせた傷が深いっていうことだろうな、と反省する。
「ネット環境さえ整ってれば、いまは世界中どこにいても、連絡は取り合えるから、あんまり心配しすぎないで。」
そう言って慰める。
「顔が見れるぶん、前よりマシなんだろうけど、楓をちゃんと抱きしめて、ぬくもりを感じて、そして描けないと、顔だけ見れても、俺、生殺し。」
匠の言い分を聞いていると、まるで離れて置いていくのは、私のほうみたい。
「帰ったら、またいっぱい、甘やかして、ね。」
しょうがなく、私は匠にとっての殺し文句を使う。けれど逆効果みたいで、匠の悶々とした気持ちはますます増してしまったらしい。そして、留学も間際になって、突然、匠はお墓参りとか言いはじめたのだ。
三月の初めの日曜、私たちは江野駅に降り立つ。江野は、都心部と違い、風が強くて、駅のホームで、少し身体が震えた。今年の冬は暖冬で、いつもよりも春が来るのが早いけど、私たちが住んでるところよりも、ちょっと北になるこの場所は、少し肌寒い。
「寒い?楓。」
匠が心配そうに言って、身体を引き寄せてくれる。
「大丈夫。もうちょっとしたら、気温も、もう少し上がると思うし。」
私はそう言う。ここに帰ってくるのは、タケルと緑のコートへ行った、あの日以来。護岸工事でつぶされる、って言ってたタケルの言葉が本当なら、あの思い出の緑のコートは、もう無いかもしれない。
駅前の花屋で、私たちは駆のお墓へ供える花を買う。……あの日、お葬式の時、私は駆の死が受け入れられなくて、駆に花を捧げることができなかった。その罪滅ぼしに、精一杯綺麗な花を選ぶ。
「駆くんのお墓の場所、知ってるの?」
「知らない。江野にいる時は、行く気もしなかったし。」
「そっか。じゃあどうするの?」
「駆のお母さんに聞くしかないよね。」
「……そっか。」
「駅から直接行くんじゃなくて、小学校に行ってからでもいい?せっかくだから通学路、歩きたい。」
「いいよ。」
駅から十分ほどの小学校に向かう道すがら、匠は街の風景をあれこれ観察している。
「なんか、のどかでいいな、この辺。」
「そうだね。暮らすのに不便てほど田舎でもないし、かといって都会じゃないから緑が豊富で、いいところだったよ。」
そう言いながら、久しぶりの江野の空気を吸う。小学校の前に立つと、古びた鉄筋コンクリートの校舎は、あまり変わっていなくて、懐かしさで胸がしめつけられる思いだ。私と駆と、そして、タケルの母校。
ここに来ると、駆のことだけじゃなくて、いやでもタケルのことも思い出す。駆と一緒にやんちゃをしていたタケル。
「駆、小学校四年の時、蛙嫌いの担任の先生の引き出しに、蛙いっぱい入れて、すごく怒られたらしい。」
「へえ、そうなんだ。小学校の男子がやりそうなイタズラだね。」
匠は、楽しそうな笑い声を立てる。タケルから聞いた駆の思い出、とも知らずに。申し訳なさで、私の胸がちくりと痛む。
校門に背を向けて、かつての、私と駆の家路へゆっくりと足を進める。交通量の多い県道から、やがて道は逸れて、山沿いの道へ行く。
「ここまで来るとね、近所に同級生がいなくて、私と駆だけしか通らない道になるから、小学生だった駆は、やっとここに来たら私に声かけるの。」
「へえ。」
匠は、そんな話も楽しそうに聞く。
「かえで、一緒に帰ろうぜー。」
あの時の駆の声が聞こえる気がする。ランドセルのふたをきちんと閉めてなかった駆。チビだった駆。全部全部、懐かしい。
「走っても走っても、駆には全然追いつかなかった。学校で一番、足が速かったの。」
「そうか、うらやましい。俺は平気で女子に負けてた。」
「匠らしい。」
私は吹き出す。
「匠はどんな小学生だった?」
「絵ばっかり描いてた。」
「今と変わらないね。」
「あとは本読んでた。基本、おとなしかった。どっちかっていうと、いじめられる方だったかも。女の子が俺を守ってくれてた。」
「そっか。いかにも匠。」
小さなころの匠の話を聞くのも楽しい。全然駆と真逆で、それが面白い。
「駆は、運動会で一番目立ってた。」
「そっか、俺は、運動会の準備のほうでは目立ってたぞ。応援横断幕の絵を描いたり、ポスター描いたり。」
「なに聞いても匠らしくて、笑える。どうせ手伝ってくれるのは女子ばっかりなんでしょ?」
「そうだよ、なんでわかる?」
「高校の時から、そうだった。」
私が笑うと、匠はつまらなさそうな顔をする。
「いくら女の子がたくさん寄ってきても、本命は寄ってくるどころか、見向きもしないし、つらかったけどな。」
「はいはい。」
「軽く流すなよ。」
匠がブツブツ言うけど、照れくさいからって、わかってほしい。やがて、鬱蒼とした杜に囲まれた、小さな神社が姿を見せた。
「さっき話した、蛙のイタズラして駆がたくさん怒られた日、駆が、家に帰りたくないって、ぐずぐず言うから、私たち、ランドセルのまま、ここでずっと遊んでた。」
「そっか、行ってみる?」
「うん。」
神社の周りは、年経た大木が、甍を包み込んで守るように立っている。
「へえ、すごい木。樹齢何年ぐらいになるんだろうな、この木たち。」
「どのぐらいになるんだろうね。夏の早朝、ここでカブトムシやクワガタ取るからって、興味もないのに駆に付き合わされて、私、眠かった気がする。朝からどんどんドア叩いて、『かえで、クワガタ取りに行くぞ』とか言って、すごく迷惑だった。」
「あはははは。」
「そのくせ、一匹も取れたためしがない。」
「ここ、ドングリ拾えた?カブトムシやクワガタって、あれだろ、くぬぎの木に付くんだろ?」
「くぬぎなんて、ここで拾ったことも見たこともない。……駆がそんな論理的に動くはずないよ、バカなんだから。」
初恋の子に失敬な口をきく私を、匠はじっと見つめる。
「やばい、ここで楓描きたい。ちょっとそこへ座って。」
突然、匠はそう言い始めた。
「もう、花がダメになっちゃうよ。」
私は文句を言うけど、
「切り口に水含ませてあるから、もうちょっと大丈夫だよ。三十分で終わる。」
そう言いながら、スケッチブックを鞄から取り出す匠。言い出したら匠は聞かないので、私はため息をついて、古びたベンチに腰かける。さらさらと鉛筆を紙に走らせながら、匠は私に質問する。
「楓、中学の時はショートボブだったって言ってたけど、小学校の時は?」
「今よりは少し短い髪を、二つ分けにして垂らしてた。」
「そっか。」
ほかにも、匠は、小学校の頃の、駆と私の思い出を、絵を描きながらいろいろ話をさせる。……結局、三十分と言いながら、もう一時間近く経とうか、というころになって、匠は、「できた。」とささやいて、スケッチブックを私に差し出した。その絵を見て、私は息が止まりそうになる。
匠が描いたのは、この神社の前で、小学生の頃の私と駆が、揃って笑顔を見せている絵だった。駆の右手は、虫取り網が握られていて、そして左手は、しっかり私の右手をつかんでいる。
「……なんでこんな絵、描けちゃうの?私の小学校時代の顔も知らないくせに。」
私はそう言って、涙をこぼす。
「ここで、楓が駆くんのことを話してるのを聞いてたら、小学生だった楓の顔が見えたんだよ。」
匠はそう言って優しく笑う。絵の中の駆の笑顔は、あの頃と同じ、屈託なくて、背もちゃんと私よりも小さめに描いてある。
「……でも、私、駆と手なんてつないだこと、ないよ?」
私がそう言うと、
「でも、小学生の駆くんは、きっと楓と手をつなぎたかったと思うよ。」
匠はそう言って、私の手を取る。
「だって、俺が小学生の時に、楓に出会ってたら、きっとそう思ってただろうからね。」
そう言って、私の手を引いて、匠は私を立ち上がらせる。スケッチブックを、丁寧に鞄に入れると、匠は私と手をつないで、神社の階段を降り始めた。
「さ、早く駆くんに会いに行こう。お昼時にかかると、駆くんの家の人にも迷惑かかるから。」
自分で時間を遅らせておいて、匠はそんなことを言いながら、匠と私は、駆の家に急いだ。




