第四十六話 校長室での話し合い。
理事長の目の前に置かれたソファーに校長先生とタケルが対面して座り、そして、ソファーと理事長の座る席の間に、剣道部の先生に、後ろで手を押さえられたさっきの先輩が、真っ青な顔をして立っていた。私は、タケルの隣に座るように指示され、保健の先生とともに、そっとソファーに腰を下ろす。
「これは……痛々しいな。」
校長先生が、私の顔を見て顔をしかめる。
「早速で悪いんだが、君を襲って暴力をふるったのは、そこの生徒で間違いないか?」
校長先生に尋ねられる。
「はい……間違いありません。」
私はちらっと先輩の顔を見て、すぐに顔をそむける。
「俺じゃねえよ!」
押さえられた手を抜こうと、必死で先輩がもがく。
「見苦しいぞ!さっさと認めろ!」
剣道の先生に一喝され、先輩は真っ青な顔をして、動きを止める。
「同意の上だよ!それが直前になってその女が暴れるから、ちょっと手が当たったんだよ、それだけだよ!」
先輩は叫ぶ。
「ちょっと手が当たっただけで、あんな傷を女の子が負うか!」
先生に一喝され、先輩は「違うんだよ…。」と、ぶつぶつつぶやきながら、おとなしくなった。
「さて、同意の上、とあいつは言ってるが、望月さんの意見は?」
「同意の上のわけ、ありません。美化委員の先生に呼ばれている、とうそをつかれて、用具室の前まで連れてこられたんです。」
私は頬を押さえながら、そう証言する。
「違うよ!その女はビッチなんだよ!誰とでもそんなことやってるんだよ!」
またも先輩は叫ぶ。
「いい加減にしろ!」
とうとう剣道の先生は怒りだして、生徒の頭を一発殴った。
「いってえ…。なんだよ、暴力教師!」
「きみ、暴力はやめなさい。」
理事長の声が飛ぶ。剣道の先生は、理事長に向かってぺこりと頭を下げ、さらに先輩の手をねじりあげて強くつかむ。
「……で、荒川くんはその報復に、彼に暴力をふるった、とそういうことかね?」
「暴力など振るっていません、先輩のもとへ、事実を確かめに行っただけです。」
タケルは冷静に答える。
「俺の胸倉つかんでつるし上げたじゃねえか。」
先輩は真っ青になって叫ぶ。
「ああ、ちょっと目線が低いので思わず持ち上げてしまいました、失礼しました。」
タケルは平然と答える。屈辱的な言葉に先輩は黙り込む。
「ともかく、そこの生徒が望月さんを襲い、その報復に、荒川くんが向かった、ということで間違いないかね?」
「報復ではなく、話し合いのつもりでしたが。」
「……ともかく、その、彼女が襲われる現場を君は見たのかね?」
「いえ、僕は見ていませんが、目撃者はいます。2-1の天野です。」
タケルの口から、天野くんの名前が出て、私は思わず肩を震わせる。
「天野くんが、まだ学校に残っているようなら、彼も呼んできてくれたまえ。」
理事長が指示をして、教頭が慌ただしく校長室を飛び出す。天野くんは本来、もう予備校に向かっている時間のはず。だから、もう学校にいないはず。というか、もう帰っていてほしい。これ以上、こんなことに天野くんを巻き込みたくない。
私の願いはむなしく、天野くんは校長室に連れてこられた。校長先生の隣のソファーに座るように指示され、対面に座る私にちらっと目を向けて、すぐにその目を伏せて、天野くんは腰かけた。
「きみは、望月さんがこの生徒に襲われているのを目撃した、ということだが、それは事実かね。」
理事長に天野くんは尋ねられる。
「はい。事実です。彼女が助けを求める声が聞こえたので、僕が駆けつけたら、頬を腫らした彼女を、その男が用具室に押し込もうとしていました。それを僕が止めました。」
天野くんは小さな声で、はっきりと証言する。
「用具室という場所はどこにあるのかね?」
理事長の問いに校長先生が答える。
「3-6の教室の前の廊下を右に曲がった奥ですが、ちなみに天野くんは、なぜそこを通りかかったのかね。」
今度は校長先生に天野くんが尋ねられる。
「はい、三年の先輩に、似顔絵のデッサンを依頼されたので、教室まで描かせてもらいに行っていました。」
天野くんが説明をする。
「天野くんは、非常に絵がうまくて熱心でしてね、大きな賞も取っている。わが校初の芸大生が誕生するんじゃないかと、荒川くんとは違った意味で、わが校の期待の星です。」
校長が説明をする。
「ほう、それは頼もしい。ところで、もうこれだけ状況証拠も揃ったのだし、彼の起こしたことは明白なようだが。」
理事長が、ちらっと先輩を横目で見やる。
「そうですね…。問題はなぜ、荒川くんが望月さんの報復に、わざわざ出向いたかということだが。暴力はふるっていないと言うことだし、じっさい、この生徒も傷一つ負っていない。だが、荒川くんは全国大会の直前だし、軽率な行動は控えてくれたまえ。マスコミにこんなことが嗅ぎつけられたら厄介極まりない。」
校長はタケルを見て、困ったような顔をして言う。
「失礼ですが、自分の大事な恋人が傷つけられて、男として黙っているわけにはいきません。僕は、自分の行動が軽率なものだとは思っていません。」
タケルは堂々と言い放ち、校長室はしん、と静まる。教頭先生はせわしなく額の汗をぬぐう。
「しかし、だね…。」
校長先生が何か言いかけたとき、タケルがかぶせるように口を開いた。
「しかも、彼は聞き捨てならないことを言いました。僕の彼女が、複数の男性と関係を持っているようなことを言いましたが、それは事実無根です。僕は彼女と、将来の結婚も視野に入れて、真剣に交際していますが、僕自身、彼女とそういった関係になったことは、これまで一度もありません。」
「そんな……嘘つくな!お前らが昼休憩、いつも盛ってるとか学校中の噂だぞ!」
先輩は叫んで、また剣道部の先生に頭をはたかれる。今度は理事長も止めなかった。
「僕たちは、そんな事実無根の噂にずっと苦しんでいます。僕以上に彼女が傷ついています。……彼女にも聞いてみてください。」
唐突にタケルに話を振られて、私は口ごもるが、言うべきことは言おう、と口を開いた。
「荒川くんが言うように、私は人生これまで生きてきて、いかなる男性とも身体の関係を持ったことはありません。必要あらば、病院で検査してもらっても結構です。」
「そんな…まさか……。」
先輩のつぶやく声が、だんだん小さくなり、がっくりと項垂れているのが見えた。タケルは再び口を開く。
「先輩のやったことは言語道断で、厳罰を求めますが、こういった事件を引き起こした背景には、そういった事実無根の噂があることを、先生方も考えてください。第二、第三の事件を引き起こさないように、噂の出所をしっかり押さえていただきたいです。彼女を守るために。」
タケルの弁舌に、校長室は静まるが、やがて、ぽんぽんぽん、とゆっくりと理事長が拍手をしている音が聞こえてきた。
「いや、実に天晴じゃないか。昨今の乱れた男女交際とは一線を画した健全さだ。そのお嬢さんも、見るからに清楚そうなのに、そういった噂があるとは実に腹ただしい。わが校の理念にも悖る。噂の撲滅を、先生方にはぜひ期待しています。早急に、具体的な対策を取るように。」
「はい……早速、明日から全生徒に聞き取り調査をはじめます。教頭先生は、全クラスの担任に通達を出してくれ」
「はい。」
校長先生の言葉に、教頭先生は、せかせかと額の汗を拭きながら、校長室を出て行った。理事長はゆっくりと席からたちあがって、歩きはじめた。
「さて、君は謹慎の上、理事会で処分が決定したら連絡が行くと思う。」
先輩に向かって、理事長が忌々しそうに言葉をかける。それから理事長は、タケルに近づいて、向き合う。
「君は、彼への処分をどうしたいと思っているかね、一応意見を聞いておく。」
タケルは先輩をじっとにらみつけて、言い放った。
「即時退学をお願いします。……消え去れ、クズ。」
理事長は苦笑して、タケルの肩をぽんぽんと叩いて、
「全国大会、期待してるよ。」
と、言った。そして、理事長は私の顔をじっと見つめて、
「長い時間付き合わせて悪かったね。すぐに病院で手当てしてもらいなさい。」
と言った。私は無言のお辞儀で、理事長の言葉に応えた。
部屋を辞するため、私は立ち上がろうとして、ふと目の前の天野くんの顔を見つめると、天野くんは血の気の引いた真っ白な顔をしていた。思わず天野くんに声をかけようと口を開きかけたとき、校長室にうちのクラスの担任が飛び込んできた。
「すみません、外出していまして、いま、教頭から事件のことを聞きました。」
「はい、ちょうど話し合いも終わりましたので、いまから先生に連絡して病院に向かおうと思っていたところです。……彼女、両親が海外在住で、ひとり暮らしみたいなので、私が病院と家まで送って行こうと思います。先生は彼女の保護者の代理の方に連絡してください。」
保健の先生が言った瞬間、となりでタケルが息を呑んでいる音が聞こえた。
「……ひとり暮らし?」
タケルのつぶやく声は小さくて、いろんな先生の声でざわめく校長室では、隣に座る私にしか聞こえなかったかもしれない。
「忙しいところ、君も悪かったね。」
校長先生が天野くんに声をかけると、天野くんは無言で立ち上がり、一礼して校長室を出て行った。私はその背中を、何も言えず見送る。
「すみません、少し、彼女と話せますか?」
タケルが保健の先生に断りを入れる。
「いいわよ。私が駐車場から車を出して、正門前につけるから、あなたは彼女をそこまで連れてきてあげて。」
「わかりました。」
タケルが了承すると、先生はうなずいて、校長室から先に出て行った。
「大丈夫か?楓。」
「うん。」
私がうなずくと、タケルは私を連れて、一礼して校長室を出た。
校長室前の廊下で、タケルは私に向き直った。そして、私の頭を優しく撫でる。
「ずっとそばに付いててやれなくて、ごめんな。……でも、優しくそばにいるだけが、守るってことじゃないから。」
タケルの言葉に、私は押し黙る。さっきの校長室での出来事、すべてタケルの思惑通りに進んで行った気がする。事件をきっかけに、タケルは一気に噂を打ち消すことを可能にした。
「……あれが、タケルの守り方なんだね。わざと騒ぎを起こしたんだね。」
ぽつりと私がつぶやく。
「ああ、そうだよ。今日は理事長の視察があるって前から聞いてたし、チャンスだと思った。校長は事勿れ主義だけど、理事長は疑惑があったら徹底的に究明するほうだ。理事長がいなかったら、同じことやっても、アイツも退学にまで持っていけたかどうか怪しいし、噂の払拭も難しかっただろう。」
「タケルは凄いね…。どうしてそんなことを瞬間的に考えつくの?」
「楓を守りたいから、それだけ。天野にも言われただろ?守れって。だから俺は俺なりのやり方で実行しただけだよ。」
「…………。」
「バスケに力を入れて、選手を集めているのは、理事長が今の人に変わってからだって、俺は聞いてる。それに、前から理事長は俺びいきだから。さっきだって、あの男の処分を、直接の被害者の楓じゃなくて、俺に聞いただろ?そういうことだよ。利用できるものは利用して、徹底的に排除する。」
タケルの言葉に私は黙りこんだ。タケルはそんな私を自分のほうに向かせる。
「楓、覚えておいて。俺は楓を離さないし、楓を傷つける奴や、俺らを邪魔する奴が現れたら、徹底的に排除する。梅崎だろうと、天野だろうと容赦しない。」
タケルの眼の光が強すぎて、私は正視できない。目を伏せようとすると、タケルの指が私の顎を上げる。タケルは私の目を見て、にっこりと笑った。
「楓は離してあげないけど、一生をかけて幸せにする。……だから、俺だけを見てて。」
ふわり、と優しくタケルは私を抱きしめた。瞬間、私は大事に抱えていたものが、すべて砕け散るのを感じた。自分のプライド、一人で生きると言う信念、天野くんへの想い……。
そうか、私の世界には、もうタケルしかいないんだな。駆の思い出を大事にしながら、タケルに愛されて生きるしかないんだ。
タケルは私を抱きしめて、耳元でささやいた。
「大会終ったら、いつか、楓の家に泊まりに行かせて…?」




