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第三十二話 タケルと緑のコートへ

 水曜日、約束通りの時間に江野駅に着くと、タケルは改札の前で待っていた。

 私は、改札の前から、じっとタケルの顔をじっと見つめた。……よかった、きょうはタケルの顔が、ちゃんとタケルに見える。こないだは、タケルが駆の真似なんてするから、タケルと駆がダブっちゃったけど、今日は大丈夫。

「お帰り、楓。」

 タケルは、にっこりと笑って、出迎えてくれた。

「ただいま。」

 私も笑顔で、タケルに応える。二人で並んで歩くと、やっぱりタケルはものすごく背が高い。

「初めて並んで歩くけど、タケル、すごい背が高いね。」

「そっか?まあ、一般人にしたら、そうだけど、これぐらいバスケやってたら普通だよ。」

「何センチ?」

「187。」

「全然普通じゃないし。」

 そんな会話をしながら、駅前の通りを歩く。商店街にかかると、私は懐かしい風景に、目を奪われる。

「うわあー、懐かしい、このドーナツ屋さん、まだあったんだ。」

 赤いテントの看板の、油の匂いのする店先が郷愁を誘う。

「そ、珍しいよな、今どき個人店のドーナツ屋なんて。」

「だよねえ。なぜかドーナツ屋なのに、コロッケとかも売ったりしてて。」

「時々、駆と買い食いしてたな、このコロッケやドーナツ。」

「そうなんだ…。いいなあ。」

 懐かしさに、きゅっと胸が締め付けられる。

「一個買っていく?」

「買う買う!私は、黒糖ドーナツにしよう。」

「じゃあ、俺はコロッケにしよう。」

 素朴な紙袋に一個ずつ入れてもらって、歩きながら食べる。

「楓、歩くの遅っ。」

「だって、歩きながら食べるの、慣れてないもん。」

 私は、一口かじるごとに、一歩立ち止まらないといけないから、どうしても遅くなる。そんな不器用な私を見て、タケルは笑い声を立てる。この間の、試合の時のスターが発するようなオーラは消えて、ただの小学校の同級生に戻ったタケルがいる。そのことに私は安心する。

 やっと食べ終わって、私はまたタケルとちゃんと並んで歩く。タケルは、ネットに入れたバスケットボールを持っている。

「やっぱりボール持参なんだ。」

「せっかくバスケのコートに行くんだから、やらなきゃつまんないっしょ。」

「オフの日もバスケって、ほんとタケルはバスケ好きなんだね。」

「ああ、俺はそれしか無いから。バスケ以外無能だから。」

 タケルは明るく笑う。コロッケやドーナツ買ったり、寄り道してゆっくりしながら行ったから、川につくまで、二十分ぐらいかかった。

 河川敷の道に差し掛かると、タケルはちょっと黙って、そして言った。

「俺さ、ずっと、楓に言いたかったことがあって…。」

「言いたかったこと?」

「うん、今日が二人同窓会、最後の日だから、ずっと言えなかったけど、今日は言っとく。あそこに着いたら。」

 なんだろう…。タケルの真剣な顔が気にかかったけれど、後で言ってくれるって言うから、焦らず待とうと思った。

 やがて、緑の木々に包まれた、河川敷のコートが姿を見せた。あの頃と何も変わらない…、いまにも、駆が現れそうな気がした。

「かえでー。」

 駆が呼ぶ声が聞こえる気がする。

「絶対見とけよ!次も決めてやる!」

 駆が、ちょっと欠けた前歯を見せながらコートの中で笑うのが見えるようだ。……やっぱり、はにかんだような太郎の笑顔とは全然違う。キラキラとした屈託のない、駆の笑顔。

 駆、駆、私、ここに帰って来たよ、タケルと一緒に。私の目から、涙があふれ出す。口から泣き声が漏れるのも、止めることはできない。

 タケルは、何も言わず、そっとベンチに私を座らせてくれた。そして、首に巻いていたスポーツタオルを貸してくれる。私が落ち着くまで、タケルは何も言わず、ただ一緒に座っていてくれた。

 涙を流れるままに任せる時間が、しばらく過ぎ、ようやく、私は、顔を上げることができた。

 タケルが貸してくれたタオルで、涙をぬぐう。タケルの汗のにおいが、少しついていたけど、全然気にならなくて、むしろなんだか懐かしい感じがした。

「ありがとう。」

 私は笑顔で、タケルにタオルを返した。

「はは…、顔真っ赤。泣きすぎだって。」

 タケルは笑った。その笑顔に救われる思いだ。何も言わないでも、私の駆への思いを、理解してくれている、貴重な友達。

「タケル、私に言いたいことって、何かな?」

 私は清々しい気分で聞いた。

「あー、うん……。」

 私の気分とは対照的に、なんだかタケルは気まずそうに口を開いた。

「前に、『なんでこのタイミングで声かけてきたの?』って、楓、聞いてきたよな?俺に。」

「うん。」

 入学当初から、私のことに気づいていたのに、二年生も半ばになってから、声をかけてきたタケル。いまだから、大丈夫だと思って、とか言ってなかったっけ?

「あれ、ほんとは理由があって…。前に、梅崎のこと、断ったじゃん、楓。」

「うん……。」

 タケルと梅崎くん、友達だもんね。そのことと関係してるの?

「その時、言ったんだって?『私は中学の時からの人が好きで、その人に片思いしてる、次に会ったら告白したい』とかって。」

「言った…。」

 確かに言った。私のゆるぎない気持ちだから。

「梅崎が、不思議そうに言うんだよ。『次に会ったら、絶対告白したいとか言うくせに、一人で生きていくために、理系を選択したとか言うんだぜ?望月さん。どういう意味?』ってさ。」

「…………。」

「それってさ、駆のこと想って、ずっと一生独りで生きていくっていう意味だって、俺は思ったんだけど、違うかな?」

「そうだよ…。」

 そっか、そんな矛盾したこと言われたら、梅崎くんも混乱するよね。梅崎くん、タケルにそんなことまで話すとか、よっぽど仲がいいんだな。

「梅崎には、楓と俺が同小、同中とか言いづらくて、事情も言えないから、『相手が外国にでも行ったんじゃね?』とか適当にごまかしたんだけどさ。」

「そっか…、ごめん。わけのわからないことを言って。」

「いや、別に俺に謝らなくていいんだけどさ、楓……もうそういうの、やめないか?」

「え………。」

 私の思考は固まる。

「ていうか、やめてやってほしい、アイツのために。」

「梅崎くんのために…?」

「いや、駆のために。」

 タケルの言葉に、私は急に胸を鷲掴みされたみたいな気分になる。

「だってさ、駆は十三歳で死んじゃったわけじゃん。その十三歳の駆を想って、楓は、二十代も、三十代も、四十代になっても、ずっと独りでいるわけ?そんなのナンセンスだろ…。」

「でも、だって…、私はずっと駆が好きで…忘れることなんてできなくて……。」

「別に、無理に忘れる必要はないと思うけどさ…。」

 そう言いながら、タケルは、ネットに入れたバスケットボールを取り出して、両手で持って弄びはじめた。

「ただ、アイツを想って、ずっと一人でいたら、あいつ、楓が心配で、成仏もできないじゃん。そんなのやめて、もう、解放してやれよ、駆を。」

「なんで…?なんでそんなこと言うの?タケルが……。」

 一度は乾いた私の頬に、また涙が流れているのが感じられる。

「私が、誰を想って、ずっと独りでいようと、タケルには関係ないでしょ?」

「だってさ…。」

 タケルの声が苦しそうだ。タケルだって、ほんとはこんなこと、言いたくないに違いない。タケルは、きっと、駆の気持ちを、代弁してくれようとしてくれてるんだ、それは分かるんだけど…。

「駆、いいヤツだったじゃん、すごく友達思いで、明るくて…。」

「そうだけど…。」

 しばらく、二人で、ベンチの上で黙った。重苦しい沈黙の後、また、タケルは口を開いた。

「タイタニックって、有名な映画、見たことある?」

「……小学校の頃、見た気がする。船が沈んでいく映画だよね。」

「俺、わりと最近、DVDで見たんだけどさ…。俺、あのシーンで印象的なのが、主人公の男がさ、船が沈んだ後、好きな女の子を大きな板に乗せて、一生懸命、希望の言葉をささやき続けるあのシーンが印象的でさ、なんか、それが、楓と駆の姿に重なるんだよ…。」

 そんなシーン、あったっけ……。

「とにかく、女の子に、生きる希望を与えて、幸せな未来の姿をささやくんだよ。楽しくて、希望に満ち溢れた人生を。でも、そこに自分の姿はないんだ。自分は死を覚悟して、でも、好きな子には生きていてほしいから、とにかく希望を持つようにって、手を握り締めて、冷たい海の中で女の子に希望を与え続ける。」

「……………。」

 タケル、何が言いたいの?

「駆は、突然死んじゃったから、楓に何も言い残せなかったけど、もし、自分の死期を一日でも、一時間でも、早く覚っていたら、やっぱりあの主人公と同じようなこと、したんじゃないかと思うんだ。」

「…………。」

「楓、生きろ、生きて、自分の人生を歩め、って。」

「…………。」

「映画の中で、ヒロインの女の子はさ、その主人公の遺志を汲みとって、死んでしまった主人公の手を振りほどいて、救助に来た船に自分が生きてることを知らせて、生き延びるんだ。そして、主人公の男に言われたように、笑顔で、残りの人生を老婆になるまで生き続ける。」

「…………。」

「俺が、言いたかったことは、それだけ。」

 タケルは、ボールを持って、立ち上がった。

「無理だよっ!!!」

 私は大声で叫んで、号泣した。

「私は駆を絶対忘れないし、忘れたくないし、そんな気持ちを持ったまんま、誰かとつきあうとか、幸せになるとか、絶対無理!そんなの相手にだって失礼だよ!」

「……俺、言ったじゃん、別に無理に忘れる必要は無いって。」

 タケルの声が、優しく頭上から響く。

「楓が駆を想ったまま、他の誰かと幸せになるって、全然ダメじゃないよ。楓はそれに罪悪感を持つ必要は無いんだよ。」

 そんなことを言うのは、ほんとにタケルなの?まるで駆が言ってるみたいに聞こえる。私は涙で汚れた顔のまま、上を見上げる。やっぱりそう言ったのは、タケルだ。タケルが優しく笑ってる。

「時間はいくらでもかけたらいい。無理に忘れる必要なんてないよ。ただ、前を向いて、楓。前を向いて笑って歩いてよ。そのほうが駆だって、きっと喜ぶ。俺にはわかるんだ。」

 そして、タケルは、ゆっくりとドリブルを始めた。ドリブルをしながらゆっくりとバスケットゴールに近づき、綺麗なシュートを決めた。あの時、駆が見せてくれたプレイより、ずっと洗練された、大人のバスケット。そして、ボールを拾って、タケルはまたゆっくりと私に近づいてきた。


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