第三十三話 見えない気持ち、消えた太郎。
「おいで、楓。一緒にやろう。」
そして、私の手を引いて、立ち上がらせた。首にかけたタオルで、私の顔についた涙をぬぐう。
一緒にやろう、と言われて、私は戸惑った。こんな混乱した状態で、なんだってバスケットをやらなくちゃいけないんだろう。
「私、バスケットの経験、ほとんど無いんだけど…。」
「そう?アイツと一緒にここでやらなかった?」
「駆は、私に、いつも見せてくれてただけ。」
「そうなんだ。一緒にやると楽しいのに。やろうよ、楓。」
ボールを二、三度ついて、タケルはボールを両手で持って胸の前で構える。
「チェストパス。体育の授業で習ったよね?ほら、こうやって、押し出すようにパスする。あそこから、あのゴール前まで、パス交換しながら、一緒にやってみよう。」
そして、ゆるやかに始まったパス交換。さいしょはゆったりだったけど、だんだん早くなってきた。
「もっと早く!もっと手を素早く動かして!」
タケルの声が飛ぶ。もちろん、初心者の私には、結構手加減してくれてるっていうのは分かるんだけど、それでもついていくのに精いっぱいだ。
我を忘れるように、のめりこむように、私たちはパス交換とシュートに打ち込んだ。平日の昼間だから、ギャラリーは誰もいなかった。私たちは二人、ただひたすらにパスを交換して、ドリブルして、走って、シュートを打って。幾度も、幾度も繰り返した。
なんで、私はこんなに夢中で、息が上がるほど、バスケをやってるんだろう。タケルに乗せられたから?それとも、駆とやりたかったから?頭のどこかに疑問が湧くけれど、そんな余裕も無くなるほど、身体が疲れて、座り込みたくなった。
「ね、ちょっと休憩しよ、タケル。私、もう、無理…。」
タケルはこの程度じゃ、息も弾まない。そして、私を見てにっこりと笑う。
「じゃあ、今度は敵味方に別れよう。楓、ドリブルして。それ、俺狙うから、取られないようにして。」
なんで、タケルは私を休ませようとしないんだろう。私はのろのろと慣れないドリブルを始めた。
「いただき!」
あっという間に私の手からボールをかっさらったタケルは、鮮やかなシュートを決める。
「次は、俺がドリブルするから、楓、取ってみなよ。」
…なんのために?わからないけど、もう頭が動かなくなっていた私は、こちらに向けて、わざとボールをさらすようにドリブルしているタケルのもとへ向かう。
一生懸命取ろうとするんだけれど、タケルのドリブルは、右に左に小刻みに移動して、ちっとも取れない。躍起になって取ろうとして、私は足がもつれて、倒れかかった。
「危ない!」
タケルが片手で抱きとめてくれた。その瞬間、ボールが地面に転がり、そして、私はタケルに抱きしめられた。
「好きだ、楓。」
そう言われた次の瞬間、タケルの唇が、私の口に落ちてきた。
突然キスをされた衝撃と、タケルの言葉への驚き、そして極限まで来た疲労のせいで、私は膝から崩れ落ちそうになった。そんな私を、タケルはそっと抱きかかえて、バスケットコートの脇にあった木陰のベンチへ横たえた。そして、私の上にそっと覆いかぶさり、二度目のキスをした。
金縛りにあったように、私は何も抵抗が出来なかった。タケルは、何度も何度も、愛おしそうに私の唇に自分の唇を重ねた。そして、合間に、
「楓、好きだ、大好き。」
と言葉を繰り返す。
私は何も答えることが出来ず、ただ、疲労からくる荒い息しか唇から漏らすことが出来ない。息を整えないといけないのに、タケルはそれを許さない。何度も熱いキスを繰り返され、酸欠状態になったのか、私は頭がぼーっとしてくる。酸素を吸い込むために口を開くと、すかさずタケルはそこに舌を入れてくる。
そこに、なんの感情もわかなくて、無抵抗な人形のように、タケルにされるがままに口づけを繰り返していた。どれぐらいの時間がたったのかわからない頃、やっとタケルは私の身体の上から立ち上がった。
気がつくと、薄い夕闇が、バスケットコートを包んでいた。
帰り道、ずっとタケルは私と手をつないでいた。最後の同窓会が、まさかこんな終わり方をするとか、思ってもみなかった。タケルの気持ちがわからなかった。タケルも私も無言で…。
でも、タケルは、ずっと私の手を強く握り締めていて、振り払うなんてできなかった。駅に着くと、タケルはやっと手を離してくれた。
「ごめん、今日は、ここまでしか送れない…。ほんとは家まで送ってあげたいけど、今日は実家で、久々に夕食食べるって約束したから…。親とか兄弟が楽しみに待ってるし。」
「だいじょうぶ…。」
私はぼんやりと答える。
「天気、悪くなってきたね。傘、持ってきた?楓。持ってないなら、コンビニで買ってやるけど。」
「だいじょうぶ。」
私は、何も考えず口を動かす。タケルは、不意に私の頬に触れて、強い瞳でじっと私を見る。
「今日は、驚かせてごめん。でも、俺、本気だから。」
不意に、ぞくっと背中に寒気がした。そういえば、私、バスケして汗をたくさんかいたんだった。季節は十月も半ば。日中は暖かいけれど、夕方になると急に冷え込んでくる。
「じゃ、また、学校で。」
タケルに言われる。
「うん……また。」
私はなんとなく答えるけど、今日で同窓会、終わりなんだよね?また、ってなんだろう。疑問は感じるけど、口に出すことはできなかった。タケルの視線を感じながら、背を向けて、改札を通る。
駅のホームは風が強くて、おびただしく汗をかいた私の身体は急速に冷えていく。電車に揺られながら、混乱した頭を整理しようとするけど、うまくいかない。そうだ、今日は水曜日、太郎の現れる日だから、太郎に相談しよう。タケルは何を思って、私にキスをしたのか…。太郎にだってタケルの気持ちはわからないかもしれないけど、私はただ、太郎に聞いてほしかった。
駅を出ると、雨が降りはじめていた。秋の冷たい雨が、私を濡らすけれど、傘を差すことも忘れて、ぼんやりと歩いた。早く帰って、太郎に会いたい。駆とタケルと、私の関係を一番よく知っている太郎に…。
「お帰り、楓。」
いつもそう言って、水曜日に私を待ち受けてくれる太郎は…。
今日は、私を出迎えてくれなかった。
「太郎?どこ?」
いつも能天気にふわふわ浮いて、のんきな顔して宙返りしてる太郎は、どこにいるの?
寝室や、いるはずのない両親の部屋、バスルームや納戸なんかも見てみたけれど、どこにも太郎の姿は見えなかった。私は、ソファーへうずくまって、膝を抱えて顔を伏せた。しばらくこうしてたら、太郎が、現れてくれるかもしれない。冷え切った身体を抱えて、私は太郎を待ち続けた。
太郎は、その日、とうとう姿を見せることは無かった。
そのまま、ソファーで太郎を待ったまま、一夜を明かした私は、ぞくぞくとした寒気で目を覚ました。汗をかいた体で、雨にまで濡れて、私の身体はとうとう悲鳴を上げたようだ。急いで部屋着に着替えて、体温計で体温を測ってみると、38.1度と示していた。やってしまった。完全な自己管理不足だ。私は下唇を噛む。
携帯電話は、バッグの中で充電が切れていたので、充電をしながら電源を入れてみると、タケルから無事に家に着いたか心配するメッセージが複数入っていた。
「ごめん、携帯の充電切れてるのに気付かなかった。無事に家にはついたけど、今日は風邪ひいたみたいだから、学校休むね。」
すぐに既読がついて、返信がある。
「昨日、やっぱり傘持ってなかったんじゃない?だから買うって言ったのに。熱は高い?」
「傘は持ってたよ。ごめん、心配かけて。熱はたいしたことない。すぐに治ると思う、大丈夫。」
私はそう返信する。傘は持っていたのは確かだから。差さなかっただけで。
「早く良くなって。お大事に。」
それきり、タケルのメッセージは途切れた。私は毛布にくるまって、タケルのことを考える。タケルは何を考えて、このメッセージを送ってくるのか…。いくら考えてもわからない。おまけに、頭が痛い、寒気もする。熱が上がってきているようだ。
学校に連絡し、担任につないでもらう。
「すみません、今日は熱が出たので、休ませてもらいます。」
そう伝える。
「大丈夫かぁー。ゆっくり休めよ。…ていうか、おまえひとり暮らしだろう。看病してくれる親戚とか近くにいるのか?クラスのヤツ、だれか見舞いに行かそうか?」
のんきな担任の声が電話から聞こえる。私のひとり暮らしを知る、数少ない人間。
「親戚が近くにいるから、いざとなったら頼るから大丈夫です。クラスの人たちには、私がひとり暮らしって言ってないですから、頼むから黙っててください。」
「そうかあ?まあ気をつけろよ。」
たいして心配もして無さそうな担任への連絡が終わり、私は一息つく。もう少ししたら、スーパーが開店する。熱が本格的に上がって、動けなくなる前に、食料や飲み物を確保しておかなきゃ…。
午前十時ごろ、私は荒い息をつきながら、スーパーマーケットから家に帰る。重い荷物がいつも以上に心臓を刺激する。
「もう少し、もうすこし…。」
私はつぶやきながら、一歩ずつ足を進める。熱がだんだん高くなっているのが、自分でもわかる。ドラッグストアが近ければ、解熱剤でも買うのだけど、あいにく、今の私にそこまで行く元気はない。エレベーターを上がり、玄関に辿り着くと、私はしばらくへばって動けなくなった。とりあえず、重い荷物は玄関に放置して、私はソファーで毛布にくるまる。
ひとり暮らしって、気楽なんだけど、こういう時不便なんだよな…。私は痛む頭と止まらない寒気に悩みながら、しばらくうとうとしていた。いつの間にか、そこで寝てしまっていたようで、携帯電話の着信で目が覚める。
着信は、天野くんからだった。
「熱出たって担任言ってたけど、おまえ、だいじょうぶかよ?誰か親戚とかに知らせた?」
「だいじょうぶ…、それほどのことは無いって。」
私のひとり暮らしを知る、唯一のクラスメート。
「熱、いま何度?」
「何度だろ…。」
「測ってみろよ。」
「えー。」
「いいから、今すぐ測れって。」
天野くんがうるさいので、電話をしたまま、体温計を脇に挟む。
「39.7度…。」
意外に高くて、私はびっくりする。
「おまえ、それヤバいヤツじゃん。ちょっ、俺、放課後に行くけど、待てる?飲み物とかあるわけ?」
天野くんの焦った声がする。
「朝、二リットルのスポーツドリンク買って来たから大丈夫だよ。いいよ、来なくて。寝てればそのうち下がるって。」
「バカ、なんで熱出てるやつが買い出しとか行ってるんだよ、絶対行くから待ってろ。」
ああ、…言い出したら聞かない天野くんのことだ、絶対来るだろうな…。這うように玄関に行き、さっき買って放り出したままの飲み物を持ってくる。ついでに玄関のカギを開けてきた。これで天野くんが来た時に、わざわざ玄関に行かなくて済む。
今はとにかく、一ミリも動きたくない。飲み物をなんとか震える手でコップに移して飲む。キャップをしようとして、手がすべり、ペットボトルを倒してしまう。精一杯急いでペットボトルを起こすけど、半分ぐらい無くなってしまった。おまけにテーブルと床がびしょ濡れだ。動きたくはないけど、キッチンに台拭きを取りに行く。
テーブルを拭いて、そのあと、雑巾で床を拭いて…。そのまま、私は意識がすうっと遠くなっていった。




