第三十一話 タケルの怒りと、バスケの試合。
次の水曜日の朝、タケルからメッセージが来た。
「今日は、視聴覚準備室に来て。」
「わかった。」
短く返信をして、私はふうっと息をついて、学校へ向かった。
そして、昼休憩、タケルに言われた通り、私は視聴覚室のほうへ向かう。そういえば、始業式にここの廊下まで、天野くんに連れて来られて、髪を切ったことをとがめられたな、と思いながら、私は視聴覚室のドアをあける。いつもはカギがかかっているはずの視聴覚室の奥の準備室、ドアに手をかけると、なんの抵抗もなく、すうっと空いた。ごちゃごちゃと機材の置いてある空間の奥に、やっぱりタケルがいて、そして今日も寝転んでいた。
「カギ、かけておいて。」
タケルに言われる。私が側に行くと、タケルは起き上がった。解放感のある屋上と違って、密室なせいか、なんとなく空気が重苦しくて気詰まりだ。
「はい。」
私は恒例になっている、おかずの詰まったタッパーをタケルに渡す。
「ありがとう。」
タケルはにっこりと嬉しそうに受け取った。
「今日のおかずは、なに?」
「んー、豚の生姜焼きと、ミートボールと、あとはいつもの卵焼きとかいろいろ。」
「楽しみー。」
場所は変わっても、いつもと変わらないタケルの笑顔。嬉しそうにタッパーのふたをあけて、おかずを頬張りはじめる。
「そういえばさ、日曜日、ひさびさにうちの高校の体育館で公式戦やるから、楓、見に来てよ。」
タケルに言われる。
「そっか、わかった、見に行くよ。楽しみだね。」
私はお弁当を食べながら、応じる。帆乃夏たちもどうせ見に行くんだろうし、一緒に見ればいいだろう。
「七月のN高戦、楓見に来てただろ。」
不意に言われて、私は驚く。
「え?気づいてたの?」
「気づいてた。つうか、傷ついた。なんで対戦相手の応援席にいたわけ?楓。」
あの時の、衝撃を受けたような表情で、こっちをじっと見据えていたタケルの顔を思い出す。
「もしかして…あの時びっくりしたような顔して、こっち見てたの、私に気がついたから?」
おそるおそる私は聞いてみる。
「そうだよ。……俺、一応目標にしてたっていうか、俺がある程度バスケで名を上げて、学校で名前が広まれば、楓も見に来てくれるんじゃないか、とか思ってたとこあるから。」
そんなことを考えてたんだ…、タケル。
「もし、楓が平気でバスケの試合を見れるようになるってことは、それは、楓が立ち直ってるってことだろうし、そうしたら俺、楓とこんな風に、昔の話ができるようになるんじゃないかって思って、がんばってたとこもあったし。」
「そっか、そんなふうに考えてくれてたんだね、タケル。」
「それが、まさかの対戦相手の応援とかって、どういうこと?とか思うじゃん。頭の中、大混乱だよ。」
そっか…あの後、タケルはすごく調子崩して、一時はN高にリードを許してたもんな…。
「ごめん、紛らわしいことして。友達がN高の選手とつきあってて、一人で観戦するのが心細いって言うからあっちに座ってただけで、特にN高を応援してたわけじゃないんだけどね。」
「監督に怒鳴られて、目が覚めて、それでこんちくしょう、って悔しくなった。いくら対戦相手の応援でも、俺が活躍すれば、嫌でも楓の目に入るだろうって思って、あの後はメチャメチャ気合入れたわ。」
「うん、大活躍だったね、タケル。よく覚えてるよ。」
「でも、俺が誰かってことは、微塵も思い出さなかったわけね。」
「ごめんなさい。ほんと申し訳なかったです。二度とアウェイ席で観戦いたしません。」
平身低頭でひたすらタケルに謝ると、タケルはぷっと吹き出した。
「まあ、そんなところも楓らしいよ…。まったく駆以外、見えてなかったもんな。」
「あは、うん、そうなんだけど、でもタケルも顔、変わりすぎだよ。」
「背が伸びたら、こんなもんじゃないか?きっと駆だって、俺とおんなじように背が伸びて、もし生きてたら、あの時とは全然別の顔になってるかもよ?」
「そうか…そうなのかもね。」
…太郎は高校の制服を着て現れるけど、べつにあのころの駆と変わった様子はない。あくまでも、私の記憶の中の駆の姿で、太郎は登場してくるだけで…。
「そっか…駆がもし高校生だったら、私の知ってる駆の顔をしてないのかもしれないね。」
「そうだよ。楓だって、久々に会ったら、ずいぶん変わって見えたし。」
「そっか。髪も伸ばしてたしね。」
「…でも、髪型をあの頃のままにしてみると、全然変わんないな、楓。特に、笑うようになった今は。」
懐かしそうにタケルは目を細めて、こっちを見てくるので、私はなんとなく照れくさくなってそっぽを向く。
「ま、楓がまったく俺を覚えてないのがよくわかったから、いつまでも蟻地獄みたいに待ってても無駄だな、と思って、声かけたんだけどさ。思った以上に普通に喋れて、良かったよ。」
「そっか…。私もタケルと話せて、懐かしくて、楽しかったよ。」
いつまでも、こんな時間が、続けばいいって思っていた。駆の思い出を共有できる、楽しい時間が。でも、そういうわけにもいかなくて。
「ねえ、タケル、今日でもう、こういうの、いったん終わりにしようか。」
私は話を切り出す。
「え?何を?」
驚いたように、タケルは目を上げる。
「こうやって、週イチで、二人で同窓会みたいなのするの、もうやめよう。タケルが、水曜日、いつもいなくなってるの、学校でもう噂になってるみたい。特定の女の子と会ってるんじゃないかって。」
タケルは、いったん黙り込んで、低い声で言う。
「…だから、俺、その女の子が楓ってばれないように、細心の注意を払ってたんだけどな。」
「タケルさ、この昼休憩のために、四時間目の授業だけじゃなくて、午後からの授業も全休してたんでしょ?そういうの良くないよ…。特定の曜日の、特定の授業に出ないって。水曜日って指定した私も悪いんだけど。」
ため息をつきながら、私は言った。
「私、タケルといっぱい駆の話できて、楽しかった。タケルもそう思うから、この時間を大切にしてくれたんだよね?誰にもわからないように、前後の時間を休んでまで。でも、やっぱりこんなの不自然だよ。なんにもやましいことはないけど、二人きりで会うってことは、いろんな憶測を生むし、傷つく人もいると思う。タケルは人気があるから…。」
ダン!!!という大きな音がした。突然、タケルが力いっぱい壁を殴ったのだ。その音に、私はびくっとする。
「…俺、楓と一緒に喋ったり、メシ食ったりするの、すげえ楽しかったよ。楓は、俺を特別扱いしないし、ただの小学校の同級生って見てくれるし、すごく気楽だった。俺、芸能人でもなんでもないのに、なんで、気の合うヤツと、週に一回、喋ったりするだけのことを、そんなに制限されないといけないんだよ?」
タケルの言ってることは、正論だ…でも。
「タケル、同窓会だったら、いつでもできるよ。半年ぐらいして、ほとぼりが冷めたら、声かけてよ。同窓会って、年に何度もあるもんでもないでしょ?同じ学校だし、いつでも会えるんだからさ。」
タケルは、しばらく何か考えているふうだった。
「楓、中学の近くの、大きな川があるじゃん、あの河川敷に、バスケットコートがあったの、覚えてる?」
急にタケルが話を変え、私は身体がかっと熱くなる。
「覚えてる…。」
忘れもしない、緑の中の、思い出のバスケットコート。あの水曜日、あの緑のコートで、私は駆に「好き」っていう予定だった。
「あそこさ…、もうちょっとしたら、護岸工事でつぶされるらしい。」
「え……。」
私は、頭が真っ白になる。駆との思い出の詰まった、あの緑のコートが、無くなってしまう…。
「俺ら、よく土曜日とかにあそこに寄って、みんなで3on3とかしてたから、懐かしくて…。あそこが無くなるって聞いて、残念でさ。」
「うん……私も残念。」
「来週の水曜日、うちの学校、創立記念祭で、休みじゃん?バスケ部もオフだし、あそこに最後に一緒に行ってみない?…それを、最後の同窓会にするからさ。」
もう、無くなってしまう、緑のコート。古びたストリート用のバスケットゴールが懐かしい。いかにもそこは、私たちの最後の同窓会にぴったりの場所に思えた。
「わかった、行く。」
「うん、日曜日の、俺の試合も忘れないで。…来週の水曜日、江野駅の前で、俺、待ってる。時間は、また連絡するけど、午後からでいいかな?」
「うん、両方、必ず行くから。」
私は、固く誓って、タケルに別れを告げて、視聴覚準備室を後にした。
日曜日、私はタケルとの約束通り、タケルのバスケの公式戦の応援のため、高校の体育館へ足を向け た。予想通り、帆乃夏たちはもう見に来ていて、応援席の一番良さそうな場所に陣取っている。私は後ろのほうでこっそり見ようと思っていたんだけど、帆乃夏にすぐ見つかった。
「珍しいねー。ひとりで観戦?」
「うん…。ちょっと気分転換。この間のN高戦、結構面白かったしね。」
「そっか、こっちきて座りなよ。」
帆乃夏に誘われて、一番前の席の端の方に座る。
「帆乃夏、えらいね、毎試合応援に来るの?」
「毎試合、ってほどじゃないよ。地方遠征とかは、なかなかね。見に行ける範囲では見に行ってるけど。」
「そっか。凛音も横断幕とか作って、すごいよね。」
「凛音は彼氏の応援だもん、それぐらい普通でしょ。」
帆乃夏は笑いながら言う。
「でも、私もただのファンだけどさ、凛音の応援の気持ちだけは負けないよ?ほら、見て?」
帆乃夏に、手作りっぽい応援フラッグを見せられる。
「これをね、試合中掲げるんだよ。応援してもらってるって思うと、選手も頑張れるかなって思うからさ。」
フラッグには「GO GO 荒川 Fight!」という文字とともに、可愛いハートマークがいっぱい散らしてある。
「すごいね、こんなの作ってあげるんだ…。」
私は驚く。
「うん、そりゃさ、私はマネージャーの小松さんみたいに、直接協力してあげることはできないけど、こうやって、近場の試合はできる限り足を運んで、応援してあげることが、少しでも力になってるんじゃないかって思って、来てるわけだし。」
「そっか…。」
ファンに愛されてるんだな…タケル。
「…だから、ぽっと出の『水曜日の恋人』なんかには、絶対負けないよ!」
帆乃夏の目がきらりと輝き、私は黙りこむ。
ぽっと出かあ。確かに、私この間までタケルのことを知りもしなかったわけだし、昔からタケルの応援してくれてる子にとっては、突然現れた小学校の同級生なんて、目障り以外の何物でもないだろうな。やっぱり二人きりの同窓会、終わりにしてよかったんだ。タケルには申し訳ないけど…。
「荒川くんもあれだけ実力あるんだったらさ、きっと実業団とか、プロ選手とか、そういうの目指すんだろうし、私、そうなってもずっと応援するつもりなんだよね!高校の時からのファンとか、貴重じゃない?」
「うん、えらいと思う。きっと、選手だってそういうファンは大事だよ。」
そんなことを話していたら、それぞれのベンチに、選手が入ってきた。とたんに悲鳴のような大歓声があちこちから聞こえる。「荒川くーん!」とか「タケルさーん!」とか、こっちの席のほとんどは、タケルに人気が集中してるみたい。タケルも、手を振って声援にこたえる。
すらりとした長身に短髪、整った容姿がユニフォーム姿によく似合い、これで実力が伴ってるんだから、そりゃ人気もでるよね。かったるそうに屋上で寝転んでいるタケルの姿とは違い、タケルの表の顔は、まさにスター選手の卵といった風格で。
帆乃夏はさっき見せてくれたフラッグを両手で掲げて、一生懸命アピールしている。タケルは手を振りながら声援に応え、そして、こっちを見て、にっこり笑った。
「見た?見た?今、荒川くん、こっち見て笑ってくれたよね!旗に気づいてくれたかな?」
帆乃夏は心底嬉しそうだ。
「きっと気づいてくれたと思うよ、良かったね。」
私も笑ってそう答える。
試合は、緊迫感を持って始まった。対戦相手には、二メートル近いんじゃないかっていうぐらい飛びぬけて大きい外国人留学生の助っ人がいて、やはり身長差があるから、簡単にボールを奪えないっぽい。
タケルもかなり背が高いんだけど、やっぱりその留学生に比べたら、ちょっと高さでは劣る。けど、タケルは速さがあって、パス出しとかも素早いので、隙を見ては得点を積み重ねていく。
試合は拮抗したまま、三回目のインターバルを迎えた。最後のクウォーターに向かう選手たちに、マネージャーらしき女の子が、なにか声をかけている。あれがタケルの彼女と言われている小松さんだろうか。
小柄で、きれいな巻き髪の女の子が、タケルからタオルを受け取りながら、なにか耳にささやくと、タケルもその子を見て、しっかりとうなずいて、なにか言葉を返した。あんな真剣な目をしたタケル、見たことないな。
そして、タケルは、声援の飛ぶ観客席のほうをくるりと振り向いて、指を一本立てた。そして、こっちを見上げて口を開いた。
「次は、ぜってー俺が決めてやる!」
タケルは大声でそう叫んで、にやりと笑った。緊張感がちょっとほどけて、観客席は笑いに揺れる。
「なに?あれなんかのマンガのセリフ?荒川くんがあんなの言うの、初めて聞いた!」
帆乃夏も笑い転げている。私も笑おうとしたけど、うまく笑えない。
私には、わかった。あれは、駆の真似だ。駆が、緑のコートで3ポイントシュートの練習しているとき、調子が悪い時は、なかなか決まらないこともあった。それで、私が駆をからかったり、「もう帰ろうよー」とか言うと、駆はこっちをくるっと振り向いて、指を立て、
「次はぜってー決めてやる!見とけ!楓!」
って言っていた。駆の口癖だったに違いない。きっと普段の練習でも、駆はあんなふうにタケルに言って、そして…。タケルは、この大事な試合の時に、私に、駆の真似をして見せた。どうして…?知らず知らずに、私の目が涙でにじむ。
第四クウォーターは、涙で揺れて、よく見えなかったけど、宣言通り、タケルの大活躍で、うちの高校の勝利で幕を閉じた。
「良かったね!」
帆乃夏は興奮して、いきいきした顔で、観客席から立ち上がった。そして、私の顔を見て、にっこりして言った。
「泣くほど感動した?楓。」
「うん、そうだね、すごく良かった。」
「ふうん…楓もこれでバスケにはまるんじゃない?良かったら一緒に応援しようよ!」
帆乃夏はそう言ってくれる。
「そうだね、それも悪くないかも。」
私はぼんやりと答える。試合後の選手の出待ちをする、という帆乃夏に別れを告げて、私は体育館を出た。
……タケルは、なんだって、駆の真似なんかして見せたんだろう。そのせいか、なんだか最後のクウォーターは、タケルが駆にダブって見えてしまった。もし、駆が生きてたら、あんな風に軽やかにドリブルして、素早いパスを繰り出して、鮮やかにシュートを決めていたんだろうか。今日のタケルみたいに。物思いにふけりながら、私はマンションのエントランスをくぐって、自分の家の階まで向かった。
天野くんは、やっぱり変装姿のまま、玄関扉の前で待っていた。
「…今日は出かけるから、来ないでもいいって言ったじゃない。」
私はそういいながら、カギを開ける。 天野くんも当然のように私について部屋に入ってくる。そして、私の顔をじっと見て、頬に触れる。
「あんた…今日は泣いただろ?」
「ほっといてよ。だから、今日は描いてほしくないんだけど。」
私は触れてくる天野くんの指から、顔を離すようにそむける。
「どこに行ったの?なにがあった?」
心配そうに天野くんが尋ねてくる。
「バスケの試合見てきた。ちょっと駆を思い出して、涙が出ただけ。」
「駆くん、バスケやってたんだっけ。」
「そう。」
「…前に試合見に行ったときは、泣いてなかったよな?どうして今回は泣くの?」
天野くんの妙な記憶力が嫌だ。
「ほっといてよ、今日はもう帰って。」
泣き顔なんて、描かれたくない私は、つっけんどんに天野くんに言った。
「今日が嫌なら、水曜日がちょうど休みだから、水曜日に来るけど…。」
天野くんが言う。
「水曜日は、小学校の同級生に会いに、地元に行くから、無理。」
私は答える。
「このあいだ、駆くんの写真を見せてくれた同級生?」
……なんで、この人はこと細かに、そんなことまで覚えてるんだろう。
「そうだよ、悪い?」
「別に…。じゃあ、やっぱり、今日、描いて帰る。今日は描いたら、すぐ帰るから、ちょっと座ってて。」
天野くんは静かに言う。言い出したら聞かないだろうこの人に、これ以上抵抗しても無駄な気がして、私は不機嫌な顔のまま、ソファーに腰かけた。
天野くんは、いつものように髪をアレンジしたり、細かなポーズの注文もせずに、黙ったまま私の正面のソファーに座って、黙々とスケッチをして、いつもよりも早く切り上げて、帰って行った。戸締りをした後、私はソファーに転がって、しばらく動くことができなかった。




