第二十五話 太郎の暴挙
夏休み、最後の日は水曜日だった。太郎は午後から現れた。
「今日は何するの?楓。」
「今日は、髪を切るよ~。」
私はリビング一帯のものをどけて、大きな姿見を持ってきた。首にタオルを巻いて、雨合羽を着る。これが私の散髪スタイル。
「ねえー。お母さんが美容室行けって言ってたよ?なんで行かないの?」
「美容室代がもったいない。そんなお金があったら、観葉植物の栄養剤が買える。」
「えー、そんなものどっちだっていいじゃん。それよりちゃんとお洒落しなよ。女子高生のくせに。」
……そうだよね、サボテンにはほとんど肥料はいらない。太郎がそう言うのも無理はない気がする。
「太郎にはいらなくても、他の子たちにはいるの。少しでも節約して、今から秋にかけて、しっかり栄養分やらなくちゃ。」
「ふうん…。」
不満げな太郎には関わらないで、私は髪の毛を切る準備をする。まずは霧吹きで湿らせて…。と思っていたら、私の真後ろに、太郎がいつの間にか浮かんでいた。
「太郎?何?そこにいられると邪魔なんだけど。」
私は鏡越しに、太郎に言うと、
「うーん、僕もお手伝いしようかな、と思って。」
そう言って、太郎はひとすくい、私の後ろ髪を取り上げた。
「別にいいよ…。」
と言いかけたその時、ざくり、と髪が切られた音がした。気がつくと太郎の右手には、ハサミが握られていて、左手にはひとふさの私の髪がだらりと垂れていた。
「ちょっと……。」
私はあまりのことに、あっけに取られる。急いで姿見で確認すると、後ろ髪のちょうど真ん中のところが、肩が出るくらいの位置までばっさり切られていた。
「バカー!!!!!なにやってんのよ!!!!」
私の身体が、怒りで震える。こんなに短くしたら、自分では切れやしない。
「ははっ。これでどうやっても美容室に行かないといけなくなったね。今日は僕、外出してるよ、バイバイ楓、また来週。」
そう楽しげに言った太郎は、リビングの窓を開けて、パッと外に飛び出て、瞬間、姿が見えなくなった。窓辺に鋏が落ちて、私の切られた髪が窓からあおられた風でふわふわと舞った。
怒りに震える手で、私は携帯を握り締めて、近くの美容室を探した。四時からの予約が無事に取れて、私は震える手のまま、リビングの窓辺に落ちた髪の毛を掃除した。
太郎、絶対許さない。いままでおとなしくふわふわ浮かんで、私の話を聞いてるだけだったのに、いきなりこんな暴挙に出るなんて、いったい何を考えてるんだろうか…。来週の水曜日、太郎が来ても、絶対また、窓から追い出してやる。当分、顔も見たくない。私は決意のこぶしを握りしめた。
ほぼ一年ぶりの美容室は、わりと空いていた。後ろで一つにまとめていた髪を下ろすと、美容師さんはぷっと吹き出した。
「これ、どうされたんですか?」
「弟にやられました。」
私は家で考えていた言い訳を口にすると、美容師さんは声を立てて笑った。
「ずいぶん、年の離れた弟さんがいらっしゃるんですね。」
ちくしょう、太郎のヤツ、駆の身体を使って、こんなイタズラやるなんて、許せない。私はそう思うが口に出せず、美容師さんにすべてお願いして、与えられた雑誌を一心不乱に読みはじめた。
「……はい、カットは済みましたよ、シャンプーに行きましょうか。」
美容師さんの声で、私は雑誌から目を上げて、鏡をじっと見て、衝撃を受けた。ばっさりとショートボブになった私は、中学入学の時以来の長さになっていた。
あの頃、私はショートボブの前髪を分けて額でピンで留め、どんなふうにしたら、駆の目に可愛く映るか、そんなことばかり考えていた。
「長いのもお似合いでしたけど、短いのもすごくキュートですよ。お客様にとってもお似合いです。」
そういうありきたりのお世辞に言葉を返すことも忘れ、私は無言でシャンプー台に向かった。
美容室から出て、のろのろと家路につく。
太郎は、もしかして、あの頃の私を思い出せって言う意味で、髪を切ったんだろうか。…そんなことしたって、駆は帰ってこないのに。私の頬に、涙がひとつぶこぼれたが、私はそれをぬぐう気もせず、マンションのエレベーターのボタンを押した。
始業式の日、学校に行くのは気が重かったが、行かないわけにもいかないので、しょうがなく私は登校する。秋に入ったばかりで、残暑が厳しいって言うのに、やたら肩のあたりがすーすーする。ちくしょう、太郎め、今度あったらただじゃおかない。精霊って、いったい何に弱いんだろう。火?水?私はむかむかしながら電車に乗った。
教室に入ると、一瞬、空気が止まったように感じる、そして浴びる無数の視線。あんまり注目浴びるの好きじゃないのにな。でも、いままで胸の下まであった髪が、バッサリ肩から上のショートボブになったのだ。目立つにちがいない。
「どしたのー!!!楓、超イメチェン!!!」
大声を出して駆け寄ってきたのは、やっぱり凛音。
「あー、もう、夏、暑かったから、さっぱりしたくて。」
私は適当に言う。
「すごー、似合ってるよー!超可愛い!!」
クラスの他の女子もぱらぱら寄ってきて、お世辞を言うので、いちおうにこやかにお礼を言っておいた。すると、なにか急にみんな黙る。
「笑った、笑ったよ、楓が!」
一瞬ののち、また女の子が騒いだ。そっか。私は今まで、そんなに笑ってなかったのか…。
「何か夏にいいことあったの?楓?彼氏できたとか?」
「いやいや、できないし、てか、いらないし…。」
「またまたー、そんな超可愛くイメチェンしちゃったら、男子ほっとかないよ?」
……こういう女子のお世辞合戦て疲れるんだけどな。そこへ、日直だったらしい天野くんが、配布物のプリントを抱えて教室に入ってきた。私の顔を見たとたん、天野くんは、あっと目を見開いて、手に持っていたプリントがばさばさ落ちる。その慌てふためいた顔を見て、私はまた、ふっと笑った。
「匠くん、驚きすぎー。」
私の周りの女の子が、からかいながら、プリントを拾うの手伝う。
「楓も、せっかく可愛くなったんだから、匠くんに記念に描いてもらいなよ。」
「やあよ、断る。」
私は顔をそむけて、くっくと笑う。天野くんの驚き顔が見れたことは、ちょっと珍しくて楽しかったかな。だからって、太郎の暴挙が許せるってもんでもないけど。
「僕は嫌がる女の子を無理やり描いたりしないよ。さ、これを配るの、みんな手伝って。」
天野くんは、どの口が言うか、みたいなセリフをさらっと吐いて、王子様スマイルで、プリント配布を女の子に手伝わせはじめた。
始業式は、大ホールで全校生徒を集めて行われるので、そこでもクラスの内外から視線を浴びた気もするけど、どうせ今だけのことだ、と私は割り切ることにした。
昼休憩、いつものように凛音とお弁当を食べようとしていたら、天野くんにちょっと、と呼ばれた。
「なに?」
「先生が呼んでる、一緒に職員室に来て。」
「わかった、ちょっと待っててね、凛音。」
「はーい。」
天野くんは先に立って、廊下をずんずんと歩く。そして、コの字になった廊下を曲がって、視聴覚室の前に来た。
「……職員室じゃないよ、ここ。」
私が言うと、
「なんで髪切ったの!」
振り向いた天野くんは、なぜかものすごく怒った顔をしていた。そのまま、両肩をつかんで、視聴覚室のドアに押し付けられる。
「えー、髪を切るのに、天野くんの了承がいるわけ?」
私がニヤニヤしながら言うと、
「だって!今週は姿見を見ながら髪を梳る少女の絵を描く予定で、もうブラシまで用意してたんだよ!」
「そんなの知らないよ。」
「もう!また一から構図考えないといけないじゃん!」
天野くんが真剣に怒る顔がおかしくて、私は声を立てて笑った。天野くんは、私の短く切った髪を勝手に触りはじめた。
「短い髪って、アレンジがしにくいんだよな…。」
ブツブツと言いながら、私の前髪を触って、額を出す。
「あ、あんた額出すと結構印象変わるな。よし、やっぱり姿見を見ながら、っていうイメージで、カチューシャ持っていこう。」
「もう!学校で気楽に触らないでよ、誤解を生むでしょ?」
私は、天野くんの手をはたいて止めると、天野くんが言う
「だって、あんた俺の専属モデルじゃん。」
「そんな契約してないからね!」
私が言うと、天野くんは口をとがらせるので、その顔がおかしくて、ついつい笑ってしまった。ふと、視聴覚室から人の気配がして、私はあわてて、ドアから離れる。
「もう行こう。つまんないことで、こんなところに呼び出さないでよ。」
「今度から髪型変えるときは、前もって連絡しろよ。」
「なんの義務があって、そんなことしなきゃいけないのよ。」
そんな軽口を交わしながら、私たちはコの字型の廊下から離れた。やれやれ、誰にもこんなところを見られなくてよかった。
教室に戻ると、凛音に
「先生、なんだったの?」
と聞かれたので、
「私の提出物が見つからないからって、未提出かと思われた。探したら先生の勘違いだった、無事にあったよ。」
と説明しておいた。私が髪を切った騒動は、これぐらいで終わる予定だった。……でも、そうはならなかった。太郎の引き起こしたことは、別の大きな波を呼ぶことになったんだ。




