第二十四話 夏休み、両親の帰宅
夏休みに入って、しばらくすると、両親が帰ってきた。休暇だっていうのに、お父さんは、接待だの本社の人への顔見せだとか、なにかと忙しそうで、あまり家にいない。
お母さんとは、ゆっくり話をする。
「ちょっと、植物増やし過ぎじゃない?」
お母さんに眉をひそめられる。
「リビングと自分の部屋しか置いてないから、許してよ。私の唯一の楽しみなんだから」
私が笑って言うと、お母さんはまじまじと私の顔を見つめる。
「あなたが笑顔になったの、久しぶりに見たわ。」
「そう…。サボ太郎のおかげかな?今年、初めてサボテンが花をつけたんだよ。」
私はそう言って、また笑った。
「もう花は枯れちゃったけど、写真撮っておいた。後で見てよ。」
そう言うと、お母さんはため息をついた。
「まあ…、あなたが一人でも元気そうで良かった。あなたもあちらの国へ連れて行きたかったんだけど、実際に行くと、なかなか治安が悪くてね…。それに、日本人学校の評判もあまり良くなくて、受験を控えたあなたを連れて来なくて良かった、てお父さんとも言ってたのよ。」
「そっか。私は一人でも大丈夫だよ。ちゃんとやってる。
私がそう言うと、お母さんはうなずいた。
「明子も、聡の部活の世話が忙しくて、なかなか気にはなっても、あなたの様子を見に来れないって行ってたけど、この様子だと大丈夫そうね。成績も落ちて無いようだし、このまま引き続き、頼むわね。」
明子っていうのは、お母さんの妹。明子おばさんの息子の聡は、野球部に入って週末ごとに試合らしくて、おばさんは毎回、その応援に行っているらしい。
「任せといて。留守はしっかり守ります。」
私が言うと、そうそう、とお母さんが言葉を続ける。
「ひとり暮らしだからって、お友達をたくさん呼んで、大騒ぎしちゃダメよ、ご近所のご迷惑になるから。」
「大丈夫だよ、こんな植物だらけの部屋、誰も呼べないよ。」
「それもそうね。」
そう言ってお母さんも笑顔になった。…まあ、天野くんは毎週絵を描きに来てはいるんだけど、あの時夕飯を一緒に食べて以降は、相変わらず絵を描く時間だけ滞在するだけで、さっさと家路につく。彼の受験する大学は相当な狭き門らしいので、多忙、っていうのは本当らしい。
お父さんの休暇最後の日、私は空港まで両親を送りに行った。
「髪、だいぶ伸びたわね。そろそろ美容室行きなさい。」
搭乗前のお母さんにそんなことを言われる。
「うん、夏休みが終わる前には行くよ。」
私はにっこりして嘘をつく。両親が海外に行って以降、美容室の前は素通りだ。この長さだったら、いつでも自分で切れる。お母さんはため息をついて、私の頬に触れる。
「駆くんが亡くなってから、あなたの笑顔を見ることも無くて、心配してたんだけど、今回の休みでは、やっと笑顔が見られて良かった。あなたもやっと立ち直ったのかもね。」
「私はいつでも大丈夫。お母さんも元気でやって、お父さんもね。」
「おいおい、私はついでか。」
お父さんが情けない声を出すので、私たちは声を出して笑って、笑顔でさよならを言うことができた。
空港から電車に乗って家に帰ると、太郎が待っていた。
「そっか、今日は水曜日か。夏休みだから、曜日の感覚忘れてた。お久しぶり、太郎。」
「お帰り、楓。」
太郎は今日も笑顔で浮かんでいる。
太郎は、両親がいる間、当然のように姿を見せなかった。死んだはずの駆が、宙にぷかぷか浮いて現れたら、お母さんは卒倒するに違いない。太郎のせいでお母さんに入院でもされたら、私も困る。でも、もう私は太郎の顔は駆に見えない。太郎は太郎だ。ただのサボテン野郎だ。
「ご両親と、笑顔で話せてよかったね。」
太郎に言われる。
「そうだね。太郎のおかげだよ。」
「僕の…っていうより、どっちかというと、天野くんのおかげって言った方がいい気もするけど。」
「じゃあ、まあ、二人のおかげかな。」
……確かに、あの日、二人でカレーを食べた日から、天野くんと私はそれぞれに決意を確かめ合い、私も吹っ切れたように笑えるようになった気もする。
「笑顔は結構なんだけど、相変わらず、恋の匂いはまったくしないよね、天野くんと楓。」
「そりゃそうでしょ。相手を作らない同盟だから。私たち。」
私はにっこりする。
「それじゃあ、僕、困るんだけどな…。」
「いいの、私は駆しかいらない。いい加減しつこいよ、太郎。」
「ちぇっ。」
太郎はくるっと宙返りして、空中で腕組みする。
「僕も何か、作戦をひねらないとな…。」
つまらないことを考え始めた太郎に背を向けて、私は夕飯の準備を始めた。
夏休み最後の日曜日、天野くんは窓辺のグリーンカーテンを背景に、私を描く。
「夢見がちな感じで、上を見上げて…視線はあのへんね。」
天井近くに下げているポトスの鉢を指さしながら、天野くんは今日も細かい指示をする。斜め前に椅子に腰かけて、天野くんは、さらさらといつものごとく鉛筆を紙に走らせる。
「どうだった、ご両親、元気にしてた?」
「うん、とっても。あと二年は帰れないだろうから、元気でやれって言われた。」
「へえ、来年は受験なのにほったらかしか。あんたの親。」
「信頼されてますから。そろそろ予備校考えたら、とは言われたけど…。」
私はくすくすと笑う。
「特に難関狙うわけでもないし、今の成績で、推薦でも入れるところで、なんでもいいし、私も。手に職きちんとつけられさえしたら。」
「なるほど。ゆるくてうらやましいな。」
「天野くんは狭き門だから大変なんだよね?」
「そうだよ。二年から予備校びっちり行って、それでも現役で通る人間がほとんどいない、って世界。」
「すごいなあ。」
私はため息をつく。
「……で、夏のお楽しみはしたの?」
「ああ、やりましたよ。今年はなかなか若いおねえさんが来てくれて、良かったよ。」
「………へえ。」
「あ、いま毛虫を見るような目で俺を見ただろ。視線はあっちだ、バカヤロ。言っておくけど、今年は描いただけだからな。」
「どうだか。」
「いつもの公園の似顔絵描きの恰好して行ったから、美味しそうにも見えなかったらしい。助かった。」
「何が助かったよ。それにおいしそうって何よ、ばーか。エロ魔人。」
「なんで描いただけでエロ魔人だよ、ボケ。視線がずれてるぞちゃんと見とけよ。」
天野くんはあれからなかなか、口が悪くなった。ま、これが彼の普通だったのかもしれない。
「『寝とくだけでいいのー?超ラッキー!』とか言って、ベッドに寝そべってバラエティ見ながら、ゲラゲラ笑ってるおねえさんを描いて来ましたよ。後で見せてやろうか。」
「結構です!」
「ただのアートじゃねえか。何エロい想像してんだよ、ムッツリ女。」
「ムッツリ女とは失礼な、エロ魔人め。」
……最近は、いつもこんな会話だ。わりと楽しく一時間過ごせるから、リラックスタイムと言えなくもない。太郎はどうも、こんな私たちの関係が不満なようだけど…。




