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第二十三話 パートナーシップ結成!

 意外なことを口にした天野くんは、食事が終わって、片づけを終えると、ソファーのほうに私を誘った。

「おいで、俺が家で描いた絵、見て欲しいんだ。」

 私が天野くんの向かいに座ると、天野くんは一枚の絵を、私に差し出した。私は、その絵を見て、息を呑んだ。そこには、水彩絵の具で彩色された、凛音が描かれていた。「似顔絵王子の似顔絵は、二割増し」と言われているあの描き方ではなく、どこか生々しい描写だった。

 絵の中の凛音は、笑っていた。可愛らしさや美しさは無く、ただ、ただ、軽薄に…。目は、ぼんやりと焦点があわず、どこを見ているのかわからないような表情で…。

「…ごめん、友達のこんな絵を見せられて、いい気はしないよね。でも、俺の目に、彼女はこう見える。悪い子じゃあないんだけど、物事を上っ面しか見てなくて、ただ、ひたすらにかしましい。」

「………。」

 天野くんの言葉に、私は絶句する。

「前に、凛音ちゃんには、一人暮らしって言わないほうがいいって、俺、言ったことあるよね?もし、彼女に一人暮らしってことを明かしたら、たぶん、凛音ちゃんは平気でここに上り込むようになる。時には彼氏を連れ込んで、パーティなんかやろうとするかもね。」

 天野くんの洞察に、私はなんと言っていいかわからない。

「別に、彼女に悪気はないと思う。彼女は、ただ、楽しく、自分のやりたいように生きてるだけだ。それが人の迷惑になるとか、あんまり考えが及ばないってだけで。そして、凛音ちゃんに知られてしまうと、あんたが一人暮らしってことが、クラス中に広まる。それって結構危険だよ?」

「……そうかもしれないね。」

「かも、じゃなくて、危険なんだよ、もっと自覚しなよ。」

 天野くんにため息をつかれる。

「ここが、クラスの女の子のたまり場になって、酒盛りとかされたり、ラブホ代わりに使われたりしたら、望月さんだって困るよね?女の子の一人暮らしを誰にも知られるってことは、そういう危険性もはらんでるんだよ。」

「……そっか、怖いね。私は、この植物だらけの部屋に人を招いたら、引かれるかと思って言わなかったってのもあるんだけど…。」

「じゃ、次の女の子の絵、見せるね。」

 次の絵は、帆乃夏の絵だった。帆乃夏の絵も微笑みを見せていたが、その微笑みは、どこか妖艶で、そして、不気味でもあった。ゆるやかに開かれた紅い唇と、少し歪んで見える頬がリアルで、独特の雰囲気を醸し出している。

「俺にとって彼女はね、友達よりも男性への恋心を優先する女の子に見える。それが一概に悪いとも言えないんだけど、そのために、友達を利用したり、陥れたり、そういうのも平気な子に見えるね。」

「……やめてよ、人間不信になりそう。」

 帆乃夏をそんな風に見たことが無かった私は、その絵から目をそむける。ちょっとミーハーで、流行ってるものに弱くて、バスケ部の荒川くんの追っかけして、バスケ部の試合見に行くときは、化粧をコテコテに盛って、そんなところもむしろ可愛らしいなと思ってたのに。

 最後に天野くんが見せてくれたのは、絵理の絵だった。天野くんにこっぴどく振られても、しつこくまだ、絵を描き続けてもらっている天野くん大好きな女の子。

 彼女の絵は、ニコリとも笑っていなかった。ひたすら、にらみつけるように前方の一点を集中して見ている。その姿がまるで…

「メデューサみたい。」

 思わず私はつぶやいた。見たものを鋭い眼光で石に変えてしまうギリシャ伝承の怪物。天野くんは苦笑する。

「ほんと、石に変えられそうに見つめてくるから、彼女には困ったもんなんだけどね。……まだまだ、内心はあきらめてもらってないようで。」

「そっか……。」

「どう思った、俺の絵?」

 そう言われて、私は返事に困る。

「すごく生々しいっていうか、確かに、こんな表情を見たような気もしなくもない。でもこんな絵を描かれてるって知ったら、凛音たち、嬉しくないし、むしろぞっとするんじゃないかな。」

「そうだろうね。」

 くっくっと顎に手を当てて、天野くんは笑った。

「これ、水彩画だけど、家ではこういうの、油絵で描いてたりする。……でも、絶対門外不出だよね。俺さ、ほんとはこういう人間のナマの表情を描くのが大好きなんだ。好きな絵としては、フェルメールの『手紙を書く女と召使』とか、マネの『草上の昼食』とかが好きなんだけどね…。」

「ふうん、知らない…。」

「ま…今度機会があれば見せてあげるよ。でもさ、俺が一番好きな画家は、物語に出てくる架空の画家なんだ。」

「架空の画家?」

「うん、O・ヘンリって小説家、知ってるかな?名前は聞いたことが無くても、『最後の一葉』の話は知らないかな?病気の少女のために、売れない画家が、壁にリアルなツタの絵を描いて、いつまでも落ちないその葉に勇気づけられて、生きる希望を取り戻すっていう話。」

「うん、なんとなく覚えてる。天野くんはそういう画家になりたいってこと?」

「いや、俺はその話に出てくる善良な画家じゃなくてね、どうやっても何をどう描いても、人間のリアルに生々しい欲望を似顔絵に乗せちゃって、依頼者を怒らせてばかりで、とうとうホームレスにまで転落してしまうっていう別の話に出てくる、肖像画描きがいるんだ。」

「はあ。」

「俺は、その話を読んで、すげえ、俺もそんな画家になりたいっていうか、目指そうって思ってさ。」

 ……意味が分からない。

「天野くんは、ホームレスになりたいってこと?」

「ならねえよ。」

 天野くんは苦笑する。

「売れるような美しい絵を描くんじゃなくて、人間のナマの欲望をむき出しにしたような、リアルな絵を描きたいってことだよ。表の顔はホテルマン、裏のほんとうの自分は、人間のドロッドロの欲望を描き出すような売れない絵を描く画家。俺が目指す理想像。」

「変人すぎて、言葉もないわ。」

 私はあきれる。

「ふん、自分でも自覚してるよ。だから、俺はずっと独りでいいって言ってるじゃん。自分が不健全で変な人間だって自覚してるから、パートナーはいらないんだよ。」

 そう言って、天野くんはソファーの背に体重を預けた。

「まだ、もっとうまくなりたいな…。もっと、もっと、俺、絵を描きたい。いろんな人間を紙の上に描き出したい。」

「そっか。」

 変な人なんだけど、絵に賭ける情熱だけは、確かな人なんだよね。

「……ねえ、なんで私を飽きもせず描き続けてるの?そんなに私も生々しい欲望をむき出しにした表情をたくさん持ってる?」

 そう言うと、天野くんはぶすっとして答えた。

「逆だよ、あんた、つかみどころがなさすぎる。」

「つかみどころが無い?」

「うん、ナマの欲望っていうもんが、あんたの場合全く見えてこない。生きてんのかな、て思うこともある。そのくせ、最近は感情だけは豊かで、目には憂いがあるし…、正直、難しい。こんなに描くのが難しい人間も無いな、って思う。」

「はあ。」

 自分では良くわからない。

「凛として見えることもあれば、風が吹いたら倒れそうなぐらいもろそうな時もあるし、なんなんだろうね、あんた。」

「自分ではなにも分からないな…。多分、駆のことが関わってるんだろうけど…。」

 思わず口に出してしまって、うつむく。

「カケルっていうのは、その死んじゃったあんたの恋人か。」

「うん。片思いで、告白すらまだだったけど。」

「……梅崎には、その人のことを言って、断りを入れたのか?」

「うん、『引っ越して、もう会えなくなった』って言うふうに説明したけど。とにかく、私は駆が好きで、告白できなかったことを後悔してて、次に会った時は絶対告白する、今でも大好きだ、って言った。」

「そっか………。」

 天野くんは低い声で、次に会った時には告白する、か…と言って、ふっと笑った。

「そんなことを考えてたら、そりゃあ次のパートナーなんて考えられないなあ。あんたが生きてる間は、告白できないってことだもんな。」

「そう。だから、私は誰にも恥じないようにきちんと生きて、人生を全うして、また駆に会うことが出来たら、次はちゃんと好きって言うの。」

 天野くんの前でも、やっぱり宣言してみる。私がそう言うと、天野くんは苦笑する。

「そんなこと考えてるなんて、あんたも結構変だな。それに頑固だ。人生、先は長いぞ。気が変わったらどうするんだよ。」

「変わらないよ。私は駆以外いらない。そう決めてるから。」

私はそう言って、笑ってみせた。

「じゃ、俺とパートナーシップ結成だな。絶対相手作るなよ。」

「言われなくても。」

 私たちは顔を見合わせて、にっこりと笑った。天野くんは、いつもの王子様スマイルではなく、嘘くさくない本物の笑顔だった。

「じゃ、遅くなったし、そろそろ帰るか。」

 天野くんがソファーから立ち上がったので、

「あ、来週は描くのお休みだね。試験週間だし。」

 と、私が言うと、「あ、そうか…。」と天野くんが言った、忘れてたようだ。

「あ、あと八月は、うちの親が帰ってくるから、二~三週間、ここに来れないと思っておいて。」

 と、付け加えると「マジかよ…。」と天野くんはまたソファーに座り込んでうなだれた。その様子がおかしくて、私はケタケタと声を立てて笑った。その様子を恨めしそうに見ていた天野くんは、ニヤッと笑って、

「じゃあ、しょうがねえ、俺も夏のお楽しみをしようかな。」

「何、夏のお楽しみって。」

「きれいなおねえさんを、ホテルに呼んで、ヌードを描かしてもらうんだよ。」

 と、天野くんはニヤニヤしながら言った。

「きれいなおねえさんて…まさか…。」

「そ、そういうお店のお姉さんだよ。」

「ギャー、不潔!未成年のくせに!」

 私は真っ赤になって、両手で顔を覆う。

「基本は描かしてもらうだけだよ!……たまに俺が喰われることもあるけど。」

「やることやってんじゃん!超不潔!」

 私はクッションを次々と天野くんに投げつけた。

「イテッ、やめろ!おまえの植物に当たったら折れちまうぞ!」

 そう言われて、私はしぶしぶクッションを投げるのをやめた。

「…なにが王子様よ、エロ魔人。ファンがそんなこと聞いたら泣くよ?」

 私がブツブツ言うと、天野くんは笑って、

「うん、だから誰にも言うなよ。そしたら、俺も、おまえがバカ面して寝てる絵を公開しないで取っておいてやる。」

 と言ってきた。

「そこまでバカ面じゃないもん!」

 私が顔を真っ赤にして、もう一つクッションを投げると、天野くんは笑って片手でキャッチした。そして立ち上がり、最後のクッションを私に返すと、「じゃ、また。」と天野くんは、荷物をまとめて、玄関に向かった。天野くんを見送りに、私も玄関前に行く。

「じゃ、また来週…は休みか、再来週、来るわ。戸締り、しとけよ。」

「うん、今日はご馳走さま、あと、いろいろありがと。」

 と言うと、天野くんはニヤッとして、私の頭を一つ撫でて、扉を開けて出て行った。



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