靖難の変①
草原の風が渡って行った。
燕王、朱棣は手綱を引くと、馬を止め、草原を渡る風の臭いを嗅いだ。
「ふむ。では、私にどうしろと?」
朱棣が風に向かって呟く。そして、耳を澄ませた。
――何か悩み事でしょうか?
高毅が話しかける。
高毅は草原にいた。いや、厳密に言うと、朱棣の傍にいた。
世界を席捲したモンゴル帝国は分裂し、中華の大地はジンギスカンの孫、フビライが統治する国となり、元が建国された。
元の支配は百年に及び、南方で紅巾の乱が発生すると、モンゴル族は風にように北へと去って行った。
やがて、戦乱を勝ち抜いた朱元璋が中華の大地を統一し、明を建てた。
久々、漢民族の建てた王朝だ。高毅は首都、南京を彷徨い歩いていたが、話が出来るものに出会うことは無かった。
――狡兎死して良狗烹らる。
皇帝になった朱元璋は、建国の功臣の殺戮を始めた。そのあまりの過酷さに、高毅は南京を離れた。そして、北の大地で燕王、朱棣と出会った。
面白い男だった。若い頃の野心溢れた朱元璋を彷彿とさせてくれた。
高毅は朱棣の傍にいることにした。
「それしか道は無いのか? そうか・・・」
朱棣はそう答えた。変わった男だ。風と会話をしている。
――ひょっとしたら、この男と会話が出来るかも。
と話しかけてみるのだが、返事は的外れなものばかりだ。高毅の声が聞こえている訳ではなさそうだった。
――あなたの悩みは分かっていますよ。
高毅は話しかけ続ける。
「勝てるだろうか・・・いや、例え勝ったとしても、逆賊として歴史に名を遺すことになろう」
答えになっていない。
――それでも、やらねば朝廷はあなたを生かしておいてはくれぬでしょう。
「先ずは兵を集めることだな・・・」
会話が噛み合わない。朱棣は思案に入った。
洪武三十一年(1398年)、一代の風雲児、洪武帝、朱元璋が崩御した。
乞食坊主から皇帝へと成り上がった、中国史上屈指の成り上がりものでもあった。皇太子であった朱標は病没しており、孫である朱允炆が建文帝として即位した。
朱棣は北方警備として燕王に封じられていた。燕は今の北京辺り。
朱元璋はモンゴル族の建てた元を滅ぼして明を建国した。当時、北方に逃げたモンゴル帝国の末裔たちが国境を荒らし回っていた。
朱元璋は子供たちの中で、最も資質の高かった朱棣を燕王に封じ、国境の防衛に当たらせていた。朱棣はその期待に応え、北方騎馬民族の侵攻を食い止め続けていた。
だが、その中華最強部隊の存在は、南京に都を置く朝廷にとっては脅威であり、目の上のたん瘤となっていた。
朱元璋は子が多い。二十六人の男児がいた。こういった子供たちを各地の王に封じていた為、その維持費が朝廷に重く圧し掛かっていた。
建文帝は叔父である諸王の権限を削り始めた。削藩だ。諸王の失政をあげつらい、牢に投じ始めたのだ。周王を皮切りに、斉王、岷王、代王が処分された。無論、最終的な狙いは燕王であることは明白だった。
燕王と仲の良かった十二番目の皇子、湘王が追手を前に屋敷に火を放って自害を遂げたことが燕王の心に火をつけた。
この時、反乱を恐れた朝廷は燕王より兵権を取り上げており、燕王の手には護衛の為の手勢八百騎が残されていただけだった。
――唐太宗は兄の皇太子を攻め滅ぼして帝位につきました。そして唐の隆盛を招きました。大事なのは、帝位についた後でしょう。
高毅の言葉に、「そうよ。唐の太宗も兄から帝位を簒奪してではないか」と朱棣は言った。
一瞬、高毅は自分の言葉が通じたのかと思った。
「殿下。斎王の軍は見当たりませぬ。そろそろ戻りましょう」
燕王の側近、張玉が馬を寄せて来た。
斎王とはモンゴル族の王、ココテムール(王保保)のことだ。
「張玉よ。張昺、謝貴を攻めるぞ!」
「尊命! 殿下。御決心なされたか」
「座して死するより、華々しく散ってみせようぞ」
「散るなど考えますな。降りかかる火の粉は払わねばならぬ。それだけでございます」
「よく言った」
朱棣はなけなしの兵八百騎を二つに分けると、張玉と朱能に与え、燕王の押さえとして朝廷から派兵されてきた万余の兵に向かわせた。
少数と雖も選りすぐりの精鋭だ。
燕王の部隊は、あっという間に政府軍を打ち負かし、その兵力を傘下に入れた。
朱棣は兵を連れて出撃、通州、薊州、居庸関、懐来、遵化、永平など北方の要所を、二十日余りで平定してしまった。
これに驚いた朝廷は三十万の大軍を討伐に向かわせた。これを燕王軍は真定で奇襲を以て撃退した。
朝廷軍は更に五十万もの軍勢を燕王の都目掛けて進発させた。ところが、ここでも北の都を落とすことが出来ずに、政府軍は散々に打ち破られて、徳州まで退いた。
朝廷は更に援軍を派遣し、合わせ、総勢六十万もの大軍を北上させた。
白溝河にて相まみえた両軍は、燕王軍の勝利に終わったが、燕王側の被害も大きく、朱棣は軍を引いた。この時、政府軍の追撃を受け、連戦連勝の燕王軍は初めて敗北している。
朱棣は兵を整え、東昌にて政府軍と激突したが、戦いの最中に張玉が戦死し、燕王軍は一万もの損害を出す大惨敗を喫した。
その後、小競り合いが続いたが、戦線は膠着してしまった。




