表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/14

二人の司馬懿②

 司馬孚は鬱々として楽しまなかった。

 宿敵、曹爽を打倒し、司馬懿は政権を掌握した。

 二年後、司馬懿が没すると、子の司馬師(しばし)が実権を受け継いだ。司馬師は敵対する者たちを次々と追放、誅殺して行った。ついには司馬師の専横を憂いた皇帝をも廃位に追い込む。そして、曹髦(そうぼう)を皇帝に立てる。ここに魏の皇帝はお飾りとなり、司馬師の意のままに動く操り人形となった。

 司馬師が若くして病没すると弟の司馬昭が権力を握った。司馬氏の天下は終わらなかった。沈着冷静、頭脳明晰だった司馬師と異なり、司馬昭は勇猛果敢な性格であり、陰謀家として世の誹りを受けることが多い。

 やがて、曹髦は「司馬昭の心は、道行く者でも知っている。朕はこのまま廃位の恥辱を受けるには忍びない」と司馬氏への反乱を企てた。

 だが、宮廷は既に司馬昭の息がかかっていた者ばかりになっていた。

 反乱は鎮圧され、曹髦は殺害された。


 司馬孚は泣いていた。

 司馬孚は齢八十歳になっていた。兄を見送り、甥を見送った。既に第一線を退いている。甥たちが政権を壟断するのを苦々しい思いで見ていた。

 表舞台に出ることなど滅多になかったが、宮廷で曹髦が殺害されたと聞いて、司馬孚は宮廷に駆けつけた。

 衛兵たちが行く手を遮ろうとしたが、「さがっておれ!」と一喝すると、衛兵たちは道を開けた。宮廷の最高位、三公となり、軍を司る大尉を勤めた身だ。皇帝亡き今、司馬孚を遮ることが出来るものなど誰もいない。

 司馬孚は曹髦の遺骸を見つけると、懐に抱き寄せて号泣を始めた。


――何故、泣いているのです?

「高毅殿か。随分と長い間、私の元に訪れてはくれませなんだ」

 悲憤のあまり司馬孚は無我の境地に達してしまったようだった。

――私は傍にいましたよ。あなたが心を開いてくれなかっただけです。

「辛い時期が続きました」

――司馬懿殿を亡くされ、司馬師殿に先立たれてしまいましたからね。

「それもありますが、皇室の現状を見るにつけ、心がしめつけられる思いが致しました」

――ああ、叔達殿は魏への忠心が厚いお方でしたね。あなたは常に控えめで、司馬懿殿を立て、陰ながら支えて来られた。司馬懿殿が亡くなった時、あなたが一族を掌握しておれば、かようなことにはならなかったでしょう。

「買いかぶりです。私は太祖(曹操)に見いだされ、皇室にお仕えして参りました。そのご恩を忘れることなど出来ませぬ」

――今時、珍しいこと。

「あの時、兄者を裏切れぬと、手を貸してしまいました。結局、恐れていた通り、我が一族が曹爽に取って代わっただけのことでござった」

――大事なことは、民がどう思うかです。曹爽が権力を握るより、民は幸せであったことでしょう。

「民が・・・なるほど。高毅殿は見ているところが違う」

――魏の皇室の衰退も、司馬氏の躍進も、民意でござろう。

 年端も行かぬ皇帝が続いたことが、魏王朝の衰微に拍車をかけたことは間違いない。一方、司馬氏は司馬師亡き後、司馬師に後継者がいなかったことから弟の司馬昭が後を継いだ。

「民意ですか」

――司馬氏と雖も民意を失えば国を失います。

「肝に銘じます」


 司馬昭は曹髦を庶人の格式で葬ろうとした。それを聞いた司馬孚は激怒し、敢然とこれに反対した。司馬昭と雖も、人望のある司馬氏の重鎮の意見に逆らうことなどできなかった。曹髦は王侯の格式で葬られた。

 曹奐(そうかん)が第五代皇帝に立てられた。司馬昭の傀儡皇帝に過ぎなかった

 その後、司馬昭は鄧艾(とうがい)鍾会(しょうかい)に命じて蜀討伐軍を起し、長年の宿敵であった蜀を滅ぼしている。

 司馬昭が没すると、子の司馬炎(しばえん)が後を継いだ。

 既に司馬氏の天下は定まっていた。

 ついに司馬炎は魏の皇帝に禅譲を強いた。皇帝が自らの不徳を理由に位を別の者に譲ることだ。司馬炎は禅譲を受けて、晋の初代皇帝となった。

 前皇帝の曹奐が宮廷を追い出される時、司馬孚は曹奐のもとに駆けつけ、「臣は死ぬまで魏の忠臣です」と涙ながらに言った。

 退位後、曹奐は陳留王に封じられ、魏の旧都、鄴に移り住んだ。移送の途中に、司馬炎は曹奐を亡き者にしてしまいたかったことだろう。だが、司馬孚が目を光らせていた。


「おおっ、高毅殿。お久しぶりでございます」

――司馬孚殿。昨日もここで、こうして話をさせて頂きました。

 司馬孚は日中、屋敷の庭にある東屋で陽を浴びながら過ごすことが多くなっていた。

「これは失礼。私も老いてしまいました。昨日のことなど、直ぐに忘れてしまいます」

――お陰でこうして毎日のようにお話できる。

「はは。昔はなかなか高毅殿とお話できなかった」

――無我の境地。そこに達した時に、私の声が聞こえるようです。

「今は常に無我の境地におります」

――昨日は諸葛亮殿のことをお話しました。

「おおっ! 懐かしい。兄者のよき敵でござった」

――諸葛亮殿ともお話をすることができ申した。

「あのお方も仙人のような方でございました。今一度、諸葛亮殿のことをお聞かせください」

――分かりました。


「あれ、またご主人様が東屋でぶつぶつとひとり言を言っていなさる」

 司馬孚邸の下人が東屋で楽しそうに独り言を言う司馬孚の姿を見つけて言った。

「そっとしておくのだ。ああしていなさる時が、一番、お幸せそうだ」

 別の下人が言う。


 司馬氏の天下となってから七年後、司馬孚は世を去った。

 更に、八年後、司馬炎は呉を滅ぼし、中華を統一した。

 三国時代は諸葛孔明の死を以て幕引きとなる感が強い。だが、孔明の死の後も、三国時代は続く。孔明亡き後、蜀を背負って立ったのが姜維だ。孔明にその才を愛され、後継者となった。孔明の衣鉢を継いだ姜維は、師の宿願であった北伐を繰り返し、国力を疲弊させ、蜀の滅亡へと繋がって行く。その様子を九十三歳まで生きた司馬孚の目を通して描いた。

 蜀の滅亡を以て三国鼎立の時代は終わるのだが、三国志演義は呉の滅亡まで描かれてある。

 天下統一を成し遂げた晋だったが、内部抗争を繰り広げ、僅か四十年ほどで、実質、滅亡してしまう。司馬氏の一族の一人が、奇しくも呉の都だった建業で即位し、晋は命脈を保つが、天下は再び戦乱の世を迎えてしまう。

 孔明の死後も波瀾万丈なのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ