靖難の変②
朱棣は馬を走らせていた。
「張玉を失ってしまった」
朱棣が呟く。
――燕王よ。このまま一進一退を続けていては、いずれは朝廷に飲み込まれてしまいますぞ。
高毅は声をかけてみたが、朱棣には聞こえない。反旗を翻してから、既に二年が経とうとしていた。朝廷は全国から兵を募ることが出来るが、燕王軍は援軍が期待できない。英気を養う暇さえないのだ。このまま小競り合いを続けていては、将や兵が削られ、士気が低下し、燕王軍は不利になるばかりだった。
「このままでは、朝廷の思うがままだ」
高毅の言葉が聞こえた訳ではないだろうが、朱棣には状況が飲み込めていた。馬を止めると、馬上で目を閉じ、草原を渡る風を暫く嗅いでいた。
やがて、目を見開くと、「攻めて出る!」と叫んだ。
朱棣は軍に戻った。
ここで朱棣は乾坤一擲の大博打に打って出た。全軍をもって長駆、首都南京をつくのだ。朱棣は軍を進発させた。
滹沱河で政府軍を撃破すると、途中の城には目もくれずに南下を続けた。
戦は三年目に入っていた。
宿州で再び、政府軍と激突した。戦況は芳しくなく、食料が欠乏、奇襲にも失敗してしまい、一時は北へ撤退することが検討されたが、決戦を挑み、辛くも政府軍を打ち破ることに成功した。破れた政府軍は霊璧に逃げ、再起を図るが、燕王軍はこれを撃破した。
これが転機となった。
洞ヶ峠を決め込んでいた各地の兵が燕王軍に馳せ参じ始めたのだ。
勢いに乗った燕王軍は南京に押し寄せた。
王都の守備兵は門を開いて燕王軍を迎えた。
建文帝は自ら宮殿に火を放って自害した。
ついに朱棣の天下がやって来た。
皇帝、永楽帝となった朱棣は明の国力を充実させた。北京に遷都すると、北方民族を追い払い、鄭和に命じて大艦隊を世界に派遣した。鄭和による大航海は都合、七回も行われ、明の国威を世界中に知らしめた。
そして、永楽帝は草原にいた。
永楽二十二年、モンゴル族が襲来したとの報を受け、永楽帝は自ら軍を率いて出陣した。親征だ。わざわざ親征を決めたのは、この時、王朝内で最も有能で経験豊富な武将と言えば、永楽帝だったからだろう。
ネメルゲン河の辺にモンゴル族がいるとの情報を得て駆けつけたが、モンゴル族は逃げ去った後で、周辺を捜索してもその姿を見つけることが出来なかった。
親征は空振りに終わった。
軍を引き返すことになったが、楡木川まで来たところで、永楽帝は病を得た。
仰臥したまま動けなくなってしまった。ある日、「今日は気分が良い。馬を引け」と永楽帝が言い出した。周囲は止めたが、永楽帝は聞かなかった。
馬の背に跨ると、草原を駆けた。
――陛下。お元気そうで何よりです。
「うむ。今日は気分が良い」
――私の言葉が分るのですか?
「分かる。草原に来れば、風の神の言葉が聞こえるような気がしていたが、今日ははっきりと聞こえる」
――私は風の神などではありません。
「風の神でなければ何者だ?」
――高毅と申します。秦始皇陛下の時代に風となって、この世を漂い続けております。
「ほう~そうか。二千年もこの世を漂い続けているのか?」
――もうそんなになりますか。
「我が世はどうだ?」
――貞観の世を凌ぐご盛況振りかと思います。
「そうか。貞観の世を凌ぐか。唐太宗も帝位を簒奪した人であったな」
――はは。やはり気にしていなさったのですね。
「当然だ。だが、最早、どうしようもない」
――武則天が現れねばよろしいのですが・
唐太宗の死後、後宮にいた武氏により一時、唐は天下を奪われている。武氏は中国史上唯一、女性として皇帝の位についている。
「武則天より心配なのは、漢王のことよ」
漢王、朱高煦は永楽帝の次男だ。皇太子の高熾は幼い頃より体が弱く、また肥満体型であった為、永楽帝は廃嫡を検討したことがあった。
次男の高煦は父に似て長身で巨漢、戦では常に父の傍にいた。
永楽帝が崩御すれば、父を真似て高煦が帝位を簒奪するかもしれない。実際、永楽帝の後を継いだ高熾は洪熙帝となったが、僅か一年で崩御している。後を孫の宣徳帝が継いだ。すると、叔父である朱高煦は父を真似て反乱を起こした。だが、反乱は宣徳帝により鎮圧されている。
――皇太子は聡明なお方。皇太孫は壮健で英明なお人です。
「そうだ。だから朕は皇太子を廃嫡しなかったのだ・・・」
永楽帝が黙り込む。
――陛下。いかがなされた。
「ココが・・・迎えに来たようだ」
永楽帝の宿敵だったモンゴル族の王、ココテムールのことだ。
永楽帝は馬上で死んだ。




