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やり直しの終わりに  作者: カンヌワルト
第2章1995年
6/43

最初の分岐(ギャンブルの誘い)

 昼休み。


 事務所の空気は、どこか緩んでいた。


 弁当の匂い。

 テレビの音。


 誰かの笑い声。

 ——昔と、同じ。




「なあ田中、今日ヒマか?」

 その一言で、背中が強ばる。


 振り返る。

 同僚の顔。


 覚えている。

 このあと何を言うかも、全部。


「新しくできた店、行ってみねえ?」

 来た。

 喉が、ひくりと動く。


 あの日。

 ここから始まった。


(行くな)

 頭の中で、声がする。


(行ったら終わりだ)

 でも。


「ちょっとだけでいいって。仕事帰りにさ」

 軽い口調。

 何気ない誘い。

 悪意なんて、ひとつもない。


 だからこそ、怖い。

(大丈夫だろ)


 別の声がする。

(今回は違う)

(前はたまたま崩れただけだ)

(少し遊ぶくらい——)


「……いや」

 声が、思ったより小さい。


「今日は……やめとく」

「なんだよ、付き合い悪いな」

 笑われる。


 軽く肩を叩かれる。


 その距離感が、やけに近い。

(これくらいでいいだろ)

(別に毎日行くわけじゃない)

(ちゃんとやめれば——)


 頭の中で、言い訳が増えていく。

 息が、少し荒くなる。


 あの夜。

 光。

 音。


 揃った瞬間の感覚。

 ——忘れられない。


 指先が、わずかに震える。

「田中?」


 呼ばれる。

 顔を上げる。

 同僚は、ただ不思議そうにしているだけだ。


 何も知らない。

 これから起きることも。

 起きたことも。


 勇は、ゆっくりと息を吐いた。

「……悪い」


 今度は、はっきりと言う。

「行かない」




 一瞬の沈黙。


「……マジで?」

「ああ」


 それ以上、言葉は続かなかった。


 同僚は肩をすくめる。

「まあいいけどよ」


 それで、会話は終わった。


 でも。

 勇の中では、終わっていなかった。


 手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。

 心臓が、まだうるさい。


(行かなかった)

 頭の中で、何度も繰り返す。

(行かなかった)

 それだけのことなのに。


 胸の奥が、妙に重い。


 そして、ほんの少しだけ——

 安堵する。


「……これでいい」

 小さく、呟く。


 誰にも聞こえない声で。

「これでいいんだ」



 その言葉を、何度も自分に言い聞かせるように。


2部2話

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