包囲、そして崖へ
土は、思ったよりも硬かった。
スコップを突き立てても、浅くしか入らない。
何度も、何度も同じ動作を繰り返す。
息が上がる。
腕が重い。
それでも、やめられなかった。
(ここに埋めれば、終わる)
その考えだけが、体を動かしていた。
ふと、風の音が変わった。
さっきまでとは違う。
規則的で、低い唸り。
顔を上げる。
木々の隙間、遠くに赤い光が揺れていた。
(……は?)
一瞬、理解が追いつかない。
けれど次の瞬間、それが何かを思い出す。
赤色灯と車。
警察。
足が、止まる。
音が、近づいてくる。
枝を踏む音。
無線のざらついた声。
「——こちらにいます!」
誰かの叫び。
全身の血が、一気に冷える。
(なんで……)
思考が、うまくまとまらない。
ここは見つからないはずだった。
誰にも知られていないはずだった。
なのに。
周囲から人影が現れる。
ひとつ、ふたつ。
すぐに、数えきれなくなる。
「動くな!」
「田中勇だな!」
言葉が飛んでくる。
意味はわかる。
でも、どこか遠い。
勇は、ゆっくりと後ずさる。
一歩。
また一歩。
足元の土が、わずかに崩れる。
そのとき、初めて気づく。
背後には、何もなかった。
崖、振り返る。
下は見えない。
ただ、暗い空間が広がっている。
「やめろ!」
誰かが叫ぶ。
「そこから先は——!」
言葉の続きを、聞く前に。
勇は、小さく笑った。
「……なんだよ」
声が、かすれる。
「結局、こうなるのか」
視界の端で、赤い光が点滅する。
風が、強く吹く。
頭の中に、ひとつだけ浮かぶ。
10年前。
「……あのとき」
ぽつりと、こぼれる。
「ギャンブルなんて、知らなければ——」
胸の奥が、妙に静かだった。
恐怖も、焦りも、もう薄い。
ただ、疲れていた。
「神様なんて、いるならよ」
誰にともなく、呟く。
「1回くらい、やり直させてみろよ」
足を、半歩後ろへ。
地面が、消える。
一瞬だけ、体が浮く。
風の音が、すべてを飲み込む。
光が遠ざかる。
声が消える。
落ちていく。
何もかもが、離れていく。
——そのはずだった。
「結局、俺には手の中に残るものなんて、何もなかった。」
第一部完




