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やり直しの終わりに  作者: カンヌワルト
第2章1995年
15/43

踏み出す前

 辞令は、あっさりとしたものだった。


「来月から、主任を任せる」

 課長の言葉。

 一瞬、意味が遅れて届く。

「……俺が、ですか」

「他に誰がいる」

 短く笑われる。


「ここ最近の仕事ぶり、見てたからな。文句なしだ」

 それだけでも、十分だった。

 胸の奥が、じわりと熱くなる。


(……やったな)

 心の中で、小さく呟く。

 昔の自分では、考えられなかった。

 逃げて、誤魔化して、

 積み上げることから目を背けていた頃。

 その延長線には、絶対にない場所。

 今、自分はそこに立っている。




 帰り道。

 自然と、足が軽くなる。

 空気が、少し違って感じる。

(……今なら)


 ふと、思う。

 美咲の顔が浮かぶ。

 店での会話。

 あの夜のベンチ。

 何も聞かずに隣にいてくれた時間。


(今なら……)

 言葉にしかけて、止まる。

(いや)

 首を振る。


 タイミングなんて、前からあったはずだ。

 ただ、自分が踏み出せなかっただけ。

 理由をつけて、先延ばしにしていただけ。

(……違う)

 ゆっくりと、息を吸う。


(今、やる)

 部屋に入る。

 電気をつける。

 静かな空間。

 鏡の前に立つ。

 そこに映る、自分の顔。


 少し疲れていて、

 でも、どこか以前とは違う。

 逃げていない顔。

 しばらく、見つめる。

(……大丈夫か)

 問いかける。


 返事はない。

 でも、目は逸らさなかった。

 軽く頬を叩く。

 ぱちん、と音がする。

 もう一度。

 少し強く。


「……よし」

 小さく、声を出す。

 痛みが、意識をはっきりさせる。


 逃げるな。

 誤魔化すな。

 今の自分で向き合え。

 それだけだ。


 深く、息を吐く。

 肩の力を抜く。

 そして。


「……行くか」

 ドアに手をかける。

 迷いは、まだある。

 怖さも、消えていない。

 それでも、足は前に出た。


 ——その一歩が、すべてを変えるかもしれないとしても。


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