距離が縮まる日常
それから、弁当屋に寄る回数が増えた。
理由は、特にない。
近いから。
安いから。
——そういうことにしていた。
「いらっしゃいませ」
その声を聞くだけで、少しだけ気持ちが落ち着く。
「今日は何にします?」
「……いつもの」
そう言うと、美咲が少し笑う。
「もう“いつもの”なんですね」
「まあ」
短い会話。
それだけ。
でも、前よりも沈黙が気にならない。
会計を待つ間。
「お仕事、忙しいんですか?」
ふと、聞かれる。
「まあ、ぼちぼち」
「大変そうですね」
「そっちは?」
「私は、ここがメインなので」
何気ないやり取り。
深く踏み込むわけじゃない。
でも、少しずつ。
相手の輪郭が見えてくる。
ある日。
弁当を受け取るとき、指先が触れた。
「……すみません」
「いや」
ほんの一瞬。
それだけなのに、妙に意識に残る。
外に出る。
夜風が、少しだけ冷たい。
袋を持つ手に、さっきの感触が残っている気がした。
(……なんだよ)
小さく息を吐く。
苦笑する。
そんなこと、気にする歳でもないのに。
それでも、悪くないと思った。
別の日。
店に入ると、美咲が少し驚いた顔をする。
「あ、今日は遅いですね」
「残業」
「お疲れさまです」
その一言が、やけに素直に染みる。
弁当を受け取る。
「無理しすぎないでくださいね」
さらっと言われる。
特別な意味はないはずなのに。
なぜか、言葉が残る。
「……ああ」
短く返す。
帰り道。
足取りが、少し軽い。
特別なことは、何もない。
ただ。
誰かがいて。
少し言葉を交わして。
それで、一日が終わる。
それだけのこと。
それだけのはずなのに。
(……いいな)
ふと、思う。
昔なら、気にも留めなかった。
でも今は。
この時間が、少しだけ大事に思えた。
勇は、空を見上げる。
変わらない夜。
でも、その中で。
確かに何かが、変わり始めていた。




