再会、そして名前
それから、数日後。
いつも通りの帰り道。
特別なことは、何もないはずだった。
店のドアを押す。
小さな弁当屋。
最近よく寄るようになった場所。
「いらっしゃいませ——」
その声で、足が止まる。
カウンターの向こう。
見覚えのある顔。
「……あ」
向こうも、気づいたらしい。
一瞬、目を見開いて——
すぐに、やわらかく笑う。
「この前の」
雨の日。
軒先。
走った帰り道。
「ああ……」
言葉が、少し遅れる。
ほんの数日前のことなのに、
ずいぶん前のことのように感じる。
「よく来るんですか?」
彼女が聞く。
「最近、ここで済ませることが多くて」
「そうなんですね」
それだけの会話。
でも、どこか自然だった。
会計を済ませる。
袋を受け取る。
そのとき。
「……あの」
呼び止められる。
振り返る。
少しだけ、迷うような間。
「この前は、ありがとうございました」
あらためて言われて、少しだけ戸惑う。
「いや、別に……」
それ以上、言葉が出てこない。
短い沈黙。
それから、彼女が小さく続ける。
「私、佐藤です」
——美咲。
その名前が、すっと入ってくる。
「……田中です」
短く名乗る。
それだけで、十分だった。
美咲は、軽く頭を下げる。
「また、来てくださいね」
営業の言葉のはずなのに。
どこか、少し違って聞こえた。
「ああ」
それだけ返して、店を出る。
夜の空気が、やわらかい。
袋の中の弁当は、まだ温かい。
そして。
ほんの少しだけ——
胸の奥も、温かかった。
(……美咲、か)
名前を、心の中で繰り返す。
不思議と、しっくりきた。
それが、すべての始まりだった。




