第60話 チキンカレーと姉妹の絆
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突然、ドアが開けられたのを無礼だとは誰も口にはしなかった。
部屋に入ってきた侍従の顔が青ざめ、その緊急性を伝えていたからだ。
駆けこんで来た男がそっと宰相レイモンドに耳打ちすると彼の表情も曇る。
「大変です! 王都に向かうサーファス国の一行が長雨で緩んだ土地で足止めを食らっているようです。支援を求める者が今、王城に辿り着いたそうで……!」
告げられたのは他国からの使者達が長雨でこちらへ向かえないという連絡だ。
王城の一室で王アンドリュー、宰相レイモンド、キース、そして聖女である玲奈とキースが集まった。元々は聖女である玲奈の定期的な面談であったのだが、彼女自身の言葉で風向きが変わった。
聖女である玲奈の巡礼の旅の是非を話し合っていたのだが、どうやらそれどころではなさそうである。
「こちらに向かっているサーファス国の使者と言えば、それなりの人数になるだろう。今はどのあたりにいるか、予想はついているのか?」
王アンドリューの言葉に宰相レイモンドはすぐに報告をしに来た侍従に視線を向ける。頷いた男が口にしたのは王城に辿り着いたサーファス国の使用人からの言葉だ。
「かの国から訪れる使者は数十人、今は王都周辺の平原にいるそうです。ですが、王都までは距離があるうえ、怪我人までいるそうで――」
その言葉に王アンドリューと宰相レイモンドの眉間には深い皺が寄った。
ここから魔術師であるロビンやルイージを派遣すれば、その間は力のある魔術師がいないことになってしまう。
しかし、友好国の使者の危機に悠長なことは言っていられない。
すぐさま行動し、彼らの元へと向かわねばならないのだ。
どう動くか、誰を向かわせるか――王アンドリューが答えを出す数秒の間、部屋には重い沈黙が流れる。
しかし、その静けさを破ったのは王アンドリューではない。
凛と強い意志と眼差しを持った彼女が、今決断を下そうとしていた。
*****
「あ、姉が巡礼の旅に!? それって本当? ロビン君!」
驚く仁奈にロビンは眉尻を下げてこくりと頷く。
ロビンとルイージの使っている研究室に集まっていた仁奈達は目を丸くする。
仁奈、オスカー、シンクレア夫人の反応に対し、キースの反応は薄い。彼は既に聞いていたのだろう。
聖女でありながら治癒の能力を持つ玲奈、そんな彼女に魔術師として指導をしているロビンは先日、ある決断を打ち明けられたのだ。
「本当は伝えないつもりでしたが……僕も妹と弟がいます。逆の立場なら、知らないのは辛いと思うんです」
「……ありがとう。ロビン君」
黙っているのにも打ち明けてしまうのにも罪悪感があるはずだ。
しゅんと頭を下げるロビンに仁奈はかすかに微笑んで、彼の負担を和らげようとする。ロビンが聞いた玲奈の話はおそらく事実であろう。
不必要な嘘をつくような姉ではないことを仁奈もよく知っている。
「でも、お姉ちゃんがしたいって言って出来るものなの?」
「それは難しいだろうな。旅を共にする兵士や侍女、その選定やどのような道順で行くか。費用に聖女様の安全面など計画を立てるだけでもそれなりの日数が必要になるはずだ」
「そうよね。巡礼の旅を希望する声が大きいのはわかるけど、実際にどこから訪れるかは外交問題にもなりかねないわよ?」
オスカーやシンクレア夫人の現実的な言葉に少し安心する仁奈だが、それでも聖女である玲奈が来訪するのを望む声は消えないだろう。
「そういえば、先日私も彼女とそんな話をしたね」
「そうだったんですか⁉ なんで言ってくれなかったんですか!」
仁奈の言葉にキースは肩を竦める。
「言ったと思ったんだよ、彼女から」
「……キース様、説明が少なすぎます」
「本当にね。昔から余計なことばかり話すのに、大事なことは報告しないのよ」
オスカーとシンクレア夫人の批難を気にもせず、キースは笑みを浮かべる。
「いや、このあいだ巡礼の旅を他国から望まれているという報告を聖女にしたんだよ。彼女の反応から否定的ではないとみて、『こっちはこっちで話し合うだろうから、君は君で話し合っておくといい』そう言っておいたんだけどねぇ」
おそらく、キースとしては妹である仁奈に伝えておけという意味であったのだろう。しかし、姉の性格を知る仁奈にはわかる。
玲奈は仁奈に迷惑をかけまいと、自分で決断し、行動に移そうとしているのだ。
それは姉であると同時に玲奈の持ち前の責任感の強さもあった。
落ち込んだ仁奈の様子に巡礼の旅の話をしたロビンはおろおろとするが、シンクレア夫人がウィンクをする。
「こうしていても仕方ないわ。聖女様に会いに行くべきよ」
「……姉に、ですか? でも――」
「実際に本人の口から聞いたほうがいいと俺も思うが」
シンクレア夫人とオスカーの言葉に迷う仁奈を、心配するような眼差しでロビンも見つめている。
「まぁ、巡礼の旅に関してはどちらに転んでも上手くいくようにアンドリューに掛け合ってみるよ」
「……少し黙っていて?」
キースとしては親切心であるだろうが、空気を読まない発言にシンクレア夫人が嗜める。
にっこりと微笑むシンクレア夫人に背中を押される気持ちで、仁奈は玲奈の部屋を訪れることにするのだった。
事前にグレタが面会を申し込んでくれたため、仁奈は侍女のグレタと共に玲奈の部屋を訪れる。
夜は二人でお茶を飲みながら話し合うのが定番なのだが、巡礼の旅の話を聞いた今では姉との距離が広がってしまったような気持ちになる。
仁奈はついこぼれてしまいそうになるため息を静かに飲み込んだ。
「どうぞお入りください」
部屋に案内され、姉と視線を交わした仁奈はふいと目線を逸らしてしまう。
巡礼の旅に挑むという大きな秘密を伝えてくれなかったことに仁奈はショックを受けていたのだ。
そんな仁奈の表情で事情を悟ったのだろう。玲奈が口を開く。
「……巡礼の旅の話を聞いたのね」
「どうして言ってくれなかったの」
仁奈の言葉には答えずに、軽く微笑むと玲奈は席に着くように仕草で伝える。
渋々席に着いた仁奈の耳に玲奈のメイドが紅茶を注ぐ音が届く。琥珀色の紅茶も今は仁奈の関心を引かない。
「きっと仁奈は止めると思ったの。そしたら気持ちが揺れてしまうわ」
前に座る玲奈は凛として美しく清らかだ。
存在することで天変地異や不作が起きず、その土地を豊饒に導く存在という聖女。
聖女という存在に皆が期待し、多くを望むのは理解出来なくもない。
巡礼の旅というのも公平を期すためなのだろう――しかし、身勝手ではあるがそれが自分の姉であれば冷静ではいられない。
「どうして? 聖女だからってお姉ちゃんが一人で全部背負う必要はないでしょ?」
紅茶に手を伸ばした玲奈の手がぴたりと止まり、仁奈を見つめる。
「だって私以外にいないでしょう。この国だけに恩恵があるのは歪みに繋がるわ」
「で、でも治癒師の人を育成していて変化も生まれてる……!」
「それはこの国だけの話。全ての国で望むものが手に入るわけではないの。その辛さは仁奈もよく知っているはずよ」
仁奈がハッとしたように黙り込む。
求めても手に入らない苦しさを玲奈も仁奈もよく知っている。
異世界ケータリングの活動はそんな仁奈の考えに近く、チラシも含め、より多くの人に届けたいと思っているのだ。
玲奈は紅茶のカップに口をつける。
「誰かが犠牲になるかもしれないのに何もしないのは違うもの。だから私は巡礼の旅に出たいと申し出たのよ」
「それはわかるよ。わかるけど……」
理解はできる――しかし、仁奈の心がそれを拒絶してしまうのだ。
姉が言っていることは間違ってはいない。それで救われる人も国もいるだろう。
仁奈は膝に手を置いたまま、ぎゅっとこぶしを握る。そのまま、姉の顔を見ることなく口を開いた。
「じゃあ、お姉ちゃんが犠牲になるのはいいの?」
「…………私は聖女だもの」
仁奈の言葉に一瞬、目を大きく見開いた玲奈だが、動揺を隠しながら一言そう告げた。
姉の反応に仁奈は押さえていた感情が噴き出すかのように声が大きくなる。
「あたしは! あたしは嫌なの! お姉ちゃんが犠牲になるのは嫌!」
声を上げた仁奈の目には涙が溜まり、紅潮した顔からも必死さが伝わる。
仁奈のメイドであるグレタはもちろん、玲奈のメイドのジュディとアンナも胸が打たれたのだろう。姉妹を案じるような眼差しが注がれる。
「…………ごめんね、仁奈。ありがとう」
困ったように微笑む姉の玲奈の瞳もまた潤んで見えたのは、仁奈の気のせいだろうか。すっと立ち上がった玲奈は窓際に近付き、玲奈に背を向けた。
「――少し体調が優れないのでこの辺りで。お話はまたいつか」
「……お姉ちゃん」
その背中は凛々しく美しく、そしてこれ以上の会話を拒絶するものだ。
そんな姉の姿に仁奈はグレタと共に、部屋を後にするのだった。




