第34話 姉妹のこれから 3
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「痛みはありませんか?」
玲奈の問いかけにも少女の反応はない。
転んだ際にできた膝の怪我は跡形もなく消え去った。
少女が見た初めての魔法だ。痛みが引いたことよりも、その興奮が勝る。
「凄い! 魔術師様なんですね!」
「……元気になったようでよかったです」
玲奈は少女の言葉を否定も肯定もせずに微笑む。
立ち上がった玲奈は辺りを見回す。
キースは村人の重い荷物を運び、オスカーは的確に指示を出し、皆を中央に集め、安心させるような声をかけていた。
風向きを考慮し、人々をより安全な場所へと避難させているのだ。
もう治療が必要な人がいないことに玲奈は内心で安堵のため息を溢す。
「……よかった」
初めは緊張で震える手をかざし、村の人々に向き合っていたが、次第に玲奈も落ち着いて治癒できるようになっていった。
かすかな疲労はあるが、心地の良いものだ。
玲奈は妹の仁奈の方へと視線を向ける。
「お姉ちゃん!」
「無事、終わったのね」
「うん! とりあえず、周辺の木は濡らしておいたから、こっちに火が向かって来ても大丈夫!」
仁奈はオスカーの指示で周囲の木々を水で濡らした。
大量の水が必要となるのだが、仁奈にはそう難しいことではない。
能力が注目を集める仁奈だが、生活魔法も人並外れた力を持っているのだ。
乾燥した木は燃えやすく、湿った木には火が付きにくい。ロビンやルイージが火を消化してくれると仁奈達は信じているが、村の人々にはより実感できる安心が必要なのだ。
「ニーナ様ー‼」
ロビンが手を振りながら、仁奈達の方へと走って来る。
師匠であるルイージはゆっくりと歩き、ロビンは笑顔でぶんぶんと手を振りながら駆けてくる。
「ニーナ様、聖女様! もう安全です! あとは僕と師匠が――」
「ロビン!」
オスカーが大声で声をかける。
びくりと肩を竦ませたロビンだが、自らの失言に気付いたのだろう。パッと口元に手を当てる。
しかし、それは既に遅い。
周囲の村人からはざわめきが広がっていく。
『聖女』それは特別な意味を持つ言葉――それを聞き逃す者は少ない。
「聖女ってあの聖女様のことかい?」
「まさか! 聖女様がいるなんておとぎ話じゃあるまいし……」
「でも、あのけったいな乗り物は空を飛んできたんだよ? あれはどう説明するのさ」
騒然としていく村人達に玲奈の顔はどんどん青ざめていく。
聖女と呼ばれてはいても、玲奈自身にその自覚も自信もないのだ。
期待を込められた人々の眼差しに玲奈は一歩後ずさる。
そのとき、仁奈が玲奈の前へと足を踏み出す。
「……皆さんの治療のためです!」
「仁奈……?」
両手を精一杯広げ、まるで玲奈を守るかのように立った仁奈は村人に話しかけ続ける。
「聖女様は皆様をご心配され、王都より我々を伴い、危険を省みずこちらに参ったのです!」
ざわめいていた人々が仁奈の言葉に驚き、黙り込んだ。
次の瞬間、周囲からはドッと歓声が沸く。
「聖女様が自ら……⁉」
「空を飛んでいらっしゃるなんて、流石聖女様だね」
「あれはキース様ではないか? セイリスの民であられるキース様だぞ」
聖女が現れ、危険が及ぶ地域に訪れたことに感動と興奮の声が上がる。
一方の玲奈は人々の声に狼狽えるばかりだ。
「い、いえ、これは……!」
異世界ケータリングは妹の仁奈が始めたことである。
仁奈の信頼でキースやロビン達も協力してくれたのだと言いたい玲奈だが、当の妹は満足げに笑っている。
「はい! 聖女様の想いが私達をここに連れてきたんです」
「仁奈……!」
慌てる玲奈だが、くるりと振り向いた仁奈はいたずらが成功したかのような笑みを浮かべる。
「嘘ではないでしょ? お姉ちゃんが助けたいって一緒に願ってくれたんだもの」
なんと言っていいか迷ううちに、村の人々は聖女だとすっかり受け入れてしまったようだ。
失言をしたとしょんぼり肩を落とすロビンの背を、オスカーが気にするなと言うように軽く叩く。
「ところで、あなた様は……?」
「わ、私ですか……? えーっと……」
問われたものの仁奈はなんと答えて良いのか迷う。
聖女、魔術師二人、騎士であろうオスカーに、セイリスの民であるキース。そんな中、頭にバンダナを巻いてエプロン姿の自分をなんと紹介すればいいのだろう。
わかりやすく聖女の妹だと言おう――仁奈がそう思ったそのときだ。
「ケータリング! ケータリングと言って、この子は食事を届ける重要な任務を行っています!」
隣に立った玲奈がそう説明する。
「は、はい。今日も皆さんに食事をご用意する予定なんです!」
三度目の歓声が沸く人々の中には、安堵のためか涙を流す者までいる。
それを見た仁奈は急いでキッチンカーへと走り出すのだった。
「うん、大丈夫です。完璧ですね」
先程、玲奈が行った治癒を魔術師であるロビンとルイージが確認していく。
問題ないとの言葉に玲奈はほっと息をつく。
「これだけの人に治癒を行えるなんて、治癒専門になれちゃいますね」
魔術師より立場が上の聖女である玲奈だが、ロビンの言葉にはにかむように笑う。
形だけの聖女より、人を治癒する能力を認められたほうがずっと玲奈にとっては喜ばしい。看護師になりたいという夢を持っていた玲奈なのだから、その想いも一層だ。
「お姉ちゃんもロビン君も休憩しよう!」
仁奈にそう呼びかけられ、玲奈とロビンは周囲を見回すと皆は食事中である。
食欲をそそる香りが漂い、人々の表情も安心したのだろうか、柔らかい。
仁奈の手にはトレイがあり、皿が二つ用意されている。
「僕はもう少し確認してきます! 皆さんは先にどうぞ!」
そう言ってロビンは駆けていく。
残された姉妹は顔を見合わせると、切り倒された木の上へと腰をかけた。
「はい、これ。私にとっては懐かしい料理なんだ」
「――雑炊?」
深い丸皿の中にはよく見慣れた料理、雑炊が入っている。
調味料も豊富にあるスラフェスだ。いつもの通り、仁奈が作った雑炊は懐かしい味がすることだろう。
熱が伝わり、ほんのりと温かい器を両手で玲奈は包み込む。
人参、キャベツ、ひき肉と家にある材料だけで作った雑炊だ。
「うん。リゾットがあるから、こっちの人も食べやすいみたい! ……お姉ちゃん、覚えてる? 私が初めて作った料理が雑炊なんだよ」
「……あぁ、あのときね。ふふ、懐かしい」
そう言って玲奈は口元を緩める。
それはまだ仁奈が小学生の頃の話だ。
学校から帰ってきたら、米を研いで炊いておく。これが仁奈の日課であった。
玲奈が帰宅してから、米を用意しては夕食が遅くなってしまうからだ。
しかし、ある日仁奈が炊き加減を間違えたのだ。
「帰ってきたお姉ちゃんに泣いて謝ったんだよね。そしたら、大丈夫って笑って野菜を切って雑炊にしてくれて……安心したなぁ」
仁奈も野菜を洗って、手伝った。小さな作業だが、一緒に料理を作った自信は仁奈に料理への興味を持たせるには十分なものだった。
もっと違う料理を作って、姉に喜んでほしい――仁奈が料理を好きになったきっかけなのだ。
「うん、美味しい。なんだか安心する味ね」
そう言って笑う姉の横顔を仁奈はじっと見つめる。
今ならあの日、言えなかった想いを伝えられる気がした。
「私ね、仕事も私のことも頑張ってくれるお姉ちゃんの負担を減らしたかったんだ」
「えっ……」
スプーンを持つ玲奈の手が止まる。
キッと姉の玲奈の眉が上がるが、その目には怒りではなく悲しみが浮かぶ。
「――私は仁奈を負担に思ったことなんて一度もないわ……!」
「お姉ちゃん……」
姉の表情に仁奈はなんと言っていいかわからず、戸惑う。
家を出よう、そう決めたのは姉の負担を減らし、自立したい――そんな想いからだ。それが最善だと仁奈は信じて疑わなかった。
しかし、姉の想いを聞いたのはこれが初めてだ。
「仕事で疲れて帰っても、仁奈がいつも出迎えてくれた。本当に遅くなるときにはテーブルの上にメモを残してくれて……。おにぎりやインスタントのお味噌汁のチューブを置いてくれたりもしたよね」
慣れない仕事、学校へと当たり前のように進学していく友人達、仕方のないこととはいえ、玲奈の心は揺れた。
そんな玲奈を支えてくれたのは他でもない妹の仁奈なのだ。
「仁奈のおかげで頑張ってこれた。だからあの日、仁奈に出ていきたいって言われて正直ショックで……」
「私は、お姉ちゃんに迷惑かけてるって思って……だから、早く自立して負担を軽くしなきゃって――」
雑炊の入った器を玲奈は地面に置くと、仁奈の左肩へと手をまわし、そっと身を寄せる。触れた箇所から、玲奈の温もりが伝わり、仁奈の目にはじわじわと涙が溜まっていく。
相手を想うがゆえにすれ違っていた姉妹はようやくお互いの気持ちを知る。
くすぶっていた煙を消すかのように、仁奈の作った料理の心地よい香りが辺りには満ちていくのだった。
あと1話、続きます。




