第31話 舞い上がる飛行船 3
※炎が上がる場面がありますので、苦手な方は飛ばしてお読みください。
「お姉ちゃん! 久しぶり!」
笑顔の仁奈に対し、玲奈は少し口元を緩めて妹を出迎える。
ジュディが研究室を訪れた理由は、姉である玲奈と時間を過ごさないかという誘いであった。
今、魔術師達は飛行船の完成式典で忙しいのか、そちらにかかりきりだ。
玲奈への監視も緩んでいるため、姉妹でゆっくり過ごすには今が良いという言葉に仁奈はすぐに同意した。
「仁奈、来てくれたのね」
そう言って笑う玲奈から仁奈はどこか弱々しさを感じる。
「うん! うわっ、このソファーふわふわだね! 私の部屋と全然違う!」
勧められ、座った仁奈はソファーの柔らかさにはしゃいでみせる。
少しでも姉の気を紛らわせたいと口にした言葉だが、玲奈の表情は陰りを増す。
なぜか気まずい空気が流れ、仁奈も落ち着かぬ気持ちになってしまう。
そんな中、音も立てずに静かに紅茶が運ばれてくる。メイドのアンナが用意してくれたものだ。
「――最近、仁奈はどうしているの? 手紙は貰っているけれど、仁奈から直接話を聞きたいわ」
紅茶をこくりと飲んだ玲奈からそう声をかけられた仁奈は、姉の言葉ににこりと笑う。
姉と話したいこと、伝えたいことはいくらでもあるのだ。
一緒に暮らしているときは時間帯がすれ違っても、わずかな時間で色々なことを話し合った。それは仁奈にとって当たり前の日常で、だからこそこうして異世界に訪れるまでその重要性に気付けなかったのだろう。
「えっと、今はケータリングカーを自分で呼び出せるようにならないかなって練習をしているんだ」
「自分で呼び出せるように?」
「うん。ケータリングの能力で車を出して、料理を食べたい人のところに行けるの。オスカーさんやロビン、キースさんも一緒にケータリングカーで移動するんだ」
仁奈は今まで何度か、ケータリングカーで呼び出され、食事を届けてきた。
困難な状況や心持ちでいる人々に食事を届ける――それは料理を届ける以上に、彼らの心に希望を灯す行為なのだ。
異世界に訪れた当初、仁奈は玲奈の聖女召喚に巻き込まれた形であった。
だが、今は自分の中で少しずつやりがいを見出している。
「お姉ちゃんは?」
「――え?」
不意に仁奈に問われ、玲奈は肩をびくりと揺らす。
仁奈は何かおかしなことを口にしただろうかと玲奈を見つめた。
「私、私は……」
妹である仁奈の言葉が理解できないわけではない。
それなのに、玲奈は言葉を忘れてしまったかのように、何を口にしていいのかわからないのだ。
仁奈が姉に声をかけようとしたそのとき、ドアの方で声が聞こえる。
「どうしたの? ジュディ」
「いえ……、犬が、犬が吠えたので……」
玲奈の問いかけにそう答えるジュディを見て、仁奈はあっと声を上げる。
「仁奈?」
ソファーから立ち上がった仁奈は、ジュディの方へと向かい、ドアを開く。
「やっぱり! 着いてきちゃったの?」
「わふっ!」
そこにいたのはゴールデンレトリーバーによく似た犬、シンクレア夫人の愛犬ガブリエルだ。
部屋の中の姉を振り返ると、仁奈はいたずらを思いついた子どものような笑みを浮かべるのだった。
「ガブリエル? おしゃれな名前ね」
おっとりしてそうな顔の犬には似つかわない名前に姉の玲奈はそう呟く。
ガブリエルは仁奈の側にぺたりと座り、まるで飼い犬のような態度である。
「うん。シンクレア夫人の愛犬で、しょっちゅう王城に来ちゃうんだって。あ、ガブリエルって名前はなんでもよくガブガブ食べるからみたいだよ」
「ふふ、シンクレア夫人がそんな名前をつけるなんて意外ね」
玲奈がくすくすと笑う姿に、仁奈はどこか安心する。
姉が落ち込む姿を見るのは久しぶりだ。それはまだ母が健在であった頃、台所で一人涙する背中を見て以来だ。
まだ幼い仁奈は気付かなかったが、あの頃から母の病は進行していたのだろう。
「……昔、家で飼うなら猫か犬かって話し合ったわね」
「お姉ちゃんも覚えてたの?」
「もちろん」
あれはまだ仁奈が幼い頃、犬を飼いたいと主張すると姉が猫の良さを主張し始めたのだ。結果、犬と猫の良さをお互いに議論しあうという実りのない時間を過ごした。
無意味な会話はなんとも楽しく有意義で、玲奈と仁奈はけらけらと笑ったものだ。
「仁奈があんまりにも本気だから、大人げなく私は猫がいい! って主張しちゃったわ」
笑って話す玲奈に仁奈は強く首を横に振る。
「そんなことないよ! お姉ちゃんだって子どもだったんだよ?」
「え……」
仁奈の言葉に玲奈は言葉を失う。
「あの頃だと15、16歳くらいだよね。今の私の3個したくらいなんだから、子どもでしょう?」
「……そう、なのかしら」
母の病をきっかけに、いつの間にか玲奈は当たり前のように背伸びをしてきたのだ。
誰かから言われたわけでもないのだが、しっかりせねばと自分に言い聞かせ、生きてきた――仁奈の言葉に玲奈はそんな事実に気付かされる。
「ねぇ、仁奈」
「なに? お姉ちゃん」
会話の続きだと思ったのだろう。仁奈は玲奈に笑顔を向ける。
「どうして一人暮らしをしたいと思ったの?」
それはあの日、異世界へと飛ばされる前に交わした会話の続き。
仁奈の瞳が狼狽えるように揺れ動く。
「そ、それはほら、バイトで遅くなったり、学校に行くのも便利だし……」
「本当にそれだけなの?」
「…………っ!」
姉玲奈の追及に仁奈は言葉に迷う。
仁奈が一人暮らしを望む理由、それはオスカー達に告げた通り、姉である玲奈の負担を減らしたいというのが主である。
姉は長い間、仁奈のために時間を使ってきた。
母が他界したときの姉の年齢、19歳となったからこそ負担を軽くしたい。
仁奈には深い感謝と共に、そんな申し訳なさもあるのだ。
しかし、それを本人に直接伝えることなど仁奈には出来ず、視線を窓へと移す。
「ねぇ、仁奈……」
だが、仁奈の目は窓の外に釘付けだ。
その目は驚きで大きく見開かれる。
「お姉ちゃん、あれ……!」
仁奈の指差す先を玲奈も振り向く。
がちゃりと誰かが食器を落とした音が聞こえたが、それに反応する者はいない。
「あれは……飛行船……?」
大きな窓に広がる青空、そこには鈍色をした飛行船があった。
雲一つない空にどんよりとした金属の塊が浮かぶ様子は、絵で描いたような現実味のない光景だ。
「仁奈、式典は今日じゃないわよね?」
「うん! それに浮かぶだけじゃないかって……だって、重い飛行船を動かすには魔力が――」
仁奈がそう言いかけたとき、飛行船がゆらりと傾く。
姉妹が見つめる中、飛行船は下に下にと沈むように落ちていく。
それは広がる森へと消え、落ちた先からは赤い炎と黒煙が上がる――飛行船が墜落したのだ。
青ざめた顔の玲奈と仁奈の瞳には燃え上がる森が映った。
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