第25話 貝のコキーユと英雄 5
『ジュリとエレナの森の相談所』コミックス1巻が8/5に発売です。
桜内美優先生が描く本作、どうぞよろしくお願いいたします。
王城の一角に用意された部屋で、聖女玲奈と賢者ショウとの会話は和やかに進む。前回の祝宴で二回目、今回で三回目となる二人の会話はお互いに馴染みのある東京の話題だ。
「では、動物園や博物館には聖女様も行かれたのですね。……アメ横もまだありますか?」
「えぇ、今もございますよ」
二人以外には使用人だけということもあり、会話は以前より弾む。
懐かしさからか、賢者ショウの表情もにこやかである。
「では東京タワーは? オリンピックで日本はメダルを取りましたか?」
故郷の会話は尽きることがない。玲奈もまた、聖女としてではなく一人の女性として自然に会話できるのが新鮮だ。おそらく、それは賢者ショウも同じなのだろう。
同じ世界であっても、今と昔の違いで会話は途切れることはない。
お互いに会話を楽しむ有意義な時間だ。
菓子として出した仁奈が作ったカステラも、賢者ショウは懐かしいと喜んでくれたのだ。
しかし、そんな会話を続ける中、賢者ショウの表情が一瞬だが暗くなる。
何か無作法があっただろうかと思う聖女玲奈の視線に気付いたのだろう。ショウが微笑みかけた。
「いや、大変素晴らしい。懐かしい味と話題、久しぶりにこんな充実した時間をすごせました。聖女様には感謝しかありません」
「では、なぜ……失礼しました」
会話が弾んだ気安さから、つい玲奈は理由を尋ねてしまう。
そんな玲奈に賢者ショウが気を悪くした様子もなく、恥じるような笑みを浮かべる。
少しの間、二人に訪れた沈黙、それを破ったのは聖女玲奈でも賢者ショウでもない。ドアを叩くノックの音だ。
「あ、おそらく料理が運ばれてきたのだと思います」
「料理……貝のコキーユですね」
賢者ショウの表情が明るさを取り戻す。
彼がキースに打ち明けた長年の希望を、聖女の妹である仁奈に伝えてくれたのだろう。
ワゴンと共に運ばれてくる料理に、賢者ショウは期待を隠せない。
目の前に静かに置かれた貝のコキーユは焼き色も美しく食欲を誘う。
「では、いただきましょうか」
スプーンを手に取り、賢者ショウが貝のコキーユを口に運ぶ。
同じようにスプーンを持つ玲奈だが、緊張しながら賢者ショウの表情を見つめてしまう。妹である仁奈が作った料理、それがどう評価されるか気が気でないのだ。
しかし、賢者ショウの表情は曇る。
それに気付いた聖女玲奈もまた、肩を落としてしまう。
「いえ、味は大変良いのです! 今まで食べた貝のコキーユの中で最も思い出の味に近い。なにより、そのお心遣いを嬉しいですし、今日は充実した一日でした」
「……妹もその言葉を喜ぶと思いますわ」
そう言って微笑む聖女玲奈だが、先程までの笑顔とは違い、かすかに悲しみがある。彼女を失望させたことに、罪悪感を覚えつつ、賢者ショウは目を伏せる。
「……そもそも、思い出の味を再現するのは困難なのかもしれません。もう戻れない過去を私の記憶が美化してしまう――そんなこともあるのでしょう。もうこの歳です。こちらで過ごした時間のほうが長いというのに」
「…………賢者様」
思い出の中にある味というのは確かに記憶として完全なものとは言えない。
そのときそのときの自分の心や、時代によっても味覚は変わるものなのだ。
しかし、17歳という若さで異世界に来た少年が、支えられていたのもその記憶や思い出の味なのではないか。
玲奈にはそう思えてならないのだ。
そのとき、再びノックの音が聞こえ、玲奈もショウもドアのほうへと視線を向ける。今度は一体誰が何の用で訪れたのだろう。料理は既に運ばれている。
お茶の追加であろうかと思う玲奈達の前に現れたのは、良く知る人物だ。
「失礼します。異世界ケータリング、手料理版です!」
「仁奈!? それにキース様まで……! どうしたんですか? 一体……!」
仁奈とキースがなぜか料理のワゴンを押して、部屋に入ってきたのだ。
驚く玲奈だが、仁奈はテーブルの上にある貝のコキーユの皿に目を移す。
「先程の貝のコキーユはいかがでしたか?」
「あぁ、美味しかったよ。今までで一番、あの味に近いかもしれない」
そう言う賢者ショウだが、皿の中にはまだ貝のコキーユが残ったままだ。
仁奈が傷付くのではと心配で見つめる玲奈だが、なぜか仁奈の表情は嬉しそうである。
「でしたら、もう一度私にチャンスを頂けませんか?」
「チャンス? どういうことだい」
仁奈の料理に不備があったわけではない。
思い出の料理を作るのは難題であったと賢者ショウも当然知っているのだ。
少なくとも、仁奈の作った料理に不満のない賢者ショウと姉の玲奈は仁奈の言葉に不思議そうな表情になる。
仁奈の言葉にキースが皿を二人の前に並べていく。
「せっかくニーナが作ったんだし、こっちも食べてみてくれないかい」
「……仁奈」
小さな声で玲奈が話しかけるが、仁奈の眼差しは賢者ショウへと注がれる。
その横顔は姉の玲奈が思うより、ずっと大人びている。
ずっと守らねばと思っていた妹は家を出たいと言い出した。
小さかった妹は大人になっているのだと、今さらながら玲奈は気付いたのだ。
「……どういう趣旨かはわからないが、冷めてしまうのも心苦しい。頂いてみよう」
そう言って賢者ショウは再びスプーンを手に取ると、貝のコキーユを掬う。
焼き色も綺麗なソースはなめらかで、貝ともうまく調和していた。先程、口にしたものと全く同じであろう貝のコキーユを賢者ショウは口に運ぶ。
だが次の瞬間、彼の瞳が大きく見開かれる。
「……これだ! この味だ……!」
賢者ショウの言葉に向かいに座る聖女玲奈は驚くが、妹の仁奈はぱっと明るい表情を浮かべる。
「良かった……! こっちが正解だったんですね。先程の味が近いとおっしゃっていたので、こちらだとは思っていたんですが……安心しました!」
「どうして……、どうしてわかったんだい?」
驚いた賢者ショウは二つの皿の貝のコキーユを見比べる。
見た目はどちらも綺麗に焼き色のついた料理で、その違いはわからない。
そんな彼の向かいに座る聖女玲奈が口を開く。
「もしかして、味噌? こっちには味噌が入っているんじゃない?」
姉の言葉に仁奈はにっこりと微笑む。
「正解! ほんの少し、ソースにお味噌が入っているの」
「味噌? 洋食なのにかい?」
戸惑う賢者ショウに仁奈は頷く。
「はい。そちらには醤油を少し入れているんです。洋食を食べやすく感じるように、馴染みのある調味料を入れているんじゃないかと思いまして。特に味噌は牛乳の臭みを消してくれるので」
「そうか……そうだったのか」
そう呟く賢者ショウの頬には涙が伝う。
深い皺は彼がここで長い歳月を過ごしてきた証だ。
重い立場、それゆえに背負うもの、悩みを打ち明ける相手は彼にはいたのだろうか――仁奈はふとそんなことを考える。
仁奈にはキース達、異世界ケータリングで力になってくれる人々がいる。
そして姉の玲奈も仁奈にとっては家族であり、頼りになる存在なのだ。
しかし、聖女である姉にとっての自分はどうであろう。
家を出るきっかけになった想いを今また、仁奈は抱いている。
賢者ショウを納得させる料理を作った仁奈は喜びと共に、長く続いたであろう彼の孤独にも気付く。
自分が作った料理が誰かの心を動かした一方で、賢者ショウと聖女である姉の立場の重さを重ね、胸が締めつけられる想いになる仁奈であった。
*****
「仁奈さん!」
庭園でケータリングカーを出す練習をしていた仁奈に声がかかる。
その声は賢者であるショウのものだ。
こちらに向かって歩いてくるショウに仁奈は大きく手を振り、彼を笑顔にさせる。
賢者であるショウに無邪気に手を振るのは仁奈くらいであろう。
気安い態度がかえってショウには心地よいのだ。
「今、ケータリングカーを出す練習をしていたんです。いつか自分の意志で出せるようになるといいんですけど……」
「わふっ!」
犬のガブリエルと一緒に練習する姿は公園にいる大学生のようだ。
賢者ショウはその立場を忘れさせてくれる仁奈にひそかに感謝する。
「……君の力は特別だね」
「いえ、ケータリングは使い方が限られていますし……」
ケータリングは自分で使いたい時ではなく、助けを求められて働く能力なのだ。
もっと自由に使えないものかと仁奈は今、自分の能力と向き合う日々だ。
「今まで各地を回り、多くの人々と出会ってきた。でも、この孤独を埋めることは出来なかったんだ。でも、君の料理がそれを変えた。一皿の料理が心を満たしてくれる――それは特別だよ」
賢者ショウが認めた能力、それはケータリングの力ではなく料理と向き合ってきた仁奈の努力そのものだ。
賢者ショウが願う懐かしい味を、仁奈は自らの利益にかかわらず探し出してくれたのだから。
「聖女である君の姉君、そして特殊な能力を持つ君、近くに理解しあえ、支えあえる人がいるのは転移者にとっては幸運だよ。何かあれば、私にも相談していいからね」
「……ありがとうございます!」
先に異世界に訪れ、苦労を重ねたであろう賢者ショウであれば、仁奈や玲奈の悩みや不安も理解してくれることだろう。
祖父のような温かい賢者ショウの微笑みに、仁奈もまた笑顔を返すのだった。
「賢者ショウが評価したのか……」
聖女と賢者の会食、そこで用意された食事を賢者ショウがいたく気に入ったとの情報は既に王城の者達に知られていた。
貝のコキーユの隠し味は料理長にも共有され、今後は王城でも提供されるだろう。
聖女を召喚した自分達以上に注目を浴びる存在、それが聖女の妹仁奈だ。
聖女の妹である彼女は、セイリスの民キース、騎士のオスカー、魔術師であるロビンまで味方につけたと魔術師達からは見えているのだ。
貴婦人方から信頼を集めるシンクレア夫人に続き、賢者までもが彼女の支援を申し出たのだ。
「奇妙なチラシまで王都に巻きおって……!」
ケータリングカーという奇妙な乗り物で王都から離れた場所に現れ、人々を救う。それは本来魔術師である自分達に許された行為だ――そう彼らは信じているのだ。
「我らの力を今一度、見せつける必要がある! 飛行船を、飛行船を飛ばし、我らの存在を見せつけるのだ!」
筆頭魔術師ケイシーの言葉に他の魔術師達も高揚したように賛同を示す。
聖女の妹仁奈、その転移は予定外のものである。
そんな彼女の存在がスラフェスを揺るがす事態に発展するとは、まだ誰も気付いてはいないのだった。
皆さんには思い出の料理、ありますか?
料理を食べるとそのときのことを思い出したりしますね。
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