第16話 二人の朝定食 2
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与えられた華美な自室で、玲奈は深いため息を溢した。
貴族や教会の上層部などとの会食にうんざりしているのだ。
聖女と言われ、着る服もこちらの世界に合わせたものになったが、その生活は高位の立場の者と合う時間に費やされている。
空いた時間は聖女としての所作や振る舞いなどで終わる。
「ねぇ、聖女として他にすべきことはないの?」
耐えかねた玲奈の言葉に、お付きのメイド二人はぶんぶんと強く首を振る。
「聖女様が存在しているだけでこの地には平穏が訪れるのです。その恩恵を受けているにもかかわらず、ご負担をかけるなど……!」
金の髪を持つ少女アンナは貴族の生まれである。
そんな彼女の意見は王城にいる多くの者と一致するのだろう。
「聖女様のお気持ちは嬉しいです。ですが、聖女様がいらしたのは数百年前ですし、皆さんもどうすればいいかわからないのかもしれませんね」
「ジュディ……! もう少し言い方があるでしょう?」
一方、ジュディは母が平民出身らしくアンナよりくだけた言葉や表現になる。
そのぶん、玲奈としては助かるのだが、よくアンナにたしなめられていた。
「聖女様のお手を煩わせるわけにはいきません。聖女であるレイナ様の存在、それ自体が奇跡であり、救いです。今後、近隣国にもそのご降臨を伝える予定だそうです」
降臨、というとまるで神のようだが玲奈を見るアンナの瞳は尊敬の色しかない。
初めは聖女という立場の自分を政治的な利用するのではと、玲奈は危惧していた。
貴族や教会の重鎮と会うのにも微笑みながら、警戒をする日々だったのだ。
しかし、玲奈を前に王ですら、涙を流した。会う者皆が、ただ感激し、敬うのだ。
周囲の者も丁重で玲奈を気遣う対応。自分自身と妹の安全のため、警戒を解くつもりはないが、精神的な疲労はたまるばかりだ。
「……聖女様は少しお疲れのようにお見受けします。休まれますか?」
「えぇ……。少し一人になりたいわ」
ジュディの気遣いを玲奈は素直に受け入れた。
予定されたスケジュールが厳しいわけではない。
出会う者皆に、特別視される状況への疲労だ。
玲奈自身、自分が聖女なのかはわからない。けれど、この世界に来てからというもの自分自身の中から力を強く感じる。
「……聖女の力、なのかしら」
仕事での疲労、荒れた手も今では治っている。
精神的な疲労は感じるものの、肩こりなど以前よりあった疲労感は消えてしまったのだ。
一人になった玲奈はベッドの上で読書をし始める。
こちらの文字も読めるのは玲奈にとってありがたい。
文化やマナー、この国の歴史までも様々な情報を残った文献から知ることができるのだ。
「っ! 痛っ!」
紙で切った指からじんわりと血が滲む。
大きなけがではないが、こういった傷は地味に痛むものだ。
じっとその傷を見つめていた仁奈――だが、そのとき信じられない変化が玲奈の目に飛び込んできた。
血が滲んだその傷はすうっと消えていくのだ。ハンカチで傷を拭えば、跡形もなく傷が消えたことがわかった。
「消えた……? これは……聖女だからなのかしら」
初めて実感した聖女の力らしきものに驚きつつ、本を置くとサイドテーブルの観葉植物に目を留める。
ごめんなさいと小さく呟くと、玲奈はその葉を小さくちぎる。
ちぎれてしまった観葉植物を葉を添えながら、先程と同じようにじっと見つめた。
すると、ちぎれたその葉がまるで何の問題もなかったかのように、元に戻っていくではないか。
「……治ったの? もし、これが他の人にも使える能力なら……私にも誰かを救えるのかしら……」
玲奈が思い起こすのは亡くなった母のことだ。
痩せていく母に何も出来なかったあの日の自分が、玲奈の中で今も消えない。
「今の私なら……」
聖女としての力が誰かの救いになるのでは――そんな小さな希望が玲奈の胸に宿るのだった。
*****
シンクレア夫人との面談当日、オスカーやロビンは案じて着いていこうかと仁奈に何度も提案してくれた。
キースもそう主張したが、これはただの興味本位からではと仁奈は思う。
しかし、招かれたのは仁奈だけなのだ。
そこに他者を連れていけば、始めから信頼関係を崩すことになるだろう。
「――ここが夫人が行ってらした部屋……」
シンクレア夫人は王城の一室を仁奈との面会に提案した。
王都にある自宅ではなく、王城であることに驚いた仁奈達だが、これには少々事情がある。
まずは聖女の妹である仁奈を王城から出すことへの安全上の懸念、そしてシンクレア夫人と王妃との信頼関係にある。
なんでも王妃が自らの立場に悩むとき、シンクレア夫人が親身になって支えたのだという。
相手の陣地に行くよりは負担が少ないが、シンクレア夫人の影響力を感じる情報で仁奈のプレッシャーも相当なものだ。
「ニーナ様でいらっしゃいますね。シンクレア夫人がお待ちです」
待っていたメイドにそう言われ、仁奈はシンクレア夫人の待つ部屋へと足を踏み入れる。王城にある一室を借りた形になるのだが、あまり広くないその部屋にシンクレア夫人がいた。
こちらを見てにっこりと微笑む姿に、大人の女性の余裕を感じ、仁奈はぎこちなく笑みを返す。
「どうぞ、こちらの席に。紅茶はお好きかしら?」
「あ、ありがとうございます……!」
椅子についた仁奈はもう少しマナーなどを学ぶべきだったかと一人で後悔をし始める。格式張った食事をする機会など今までの人生でなかったのだ。
フォークとナイフは端から使う、など基本的なマナーを必死で思い出すだけだ。
そんな仁奈の心境を知ってか知らずか、夫人はメイド達に言い渡す。
「もういいわ。二人っきりにしてもらえるかしら?」
「――かしこまりました」
予想外であったのだろう夫人の言葉だが、顔色も変えずに使用人達は去っていく。
二人きり、いやなぜか大型犬も一緒の部屋には沈黙が満ちる。
沈黙が続いた後、先に口を開いたのは夫人のほうだ。
「あなた――」
シンクレア夫人に何を問われるのかと、仁奈の肩がびくりと揺れる。
人払いをするほど、重要な話を今から彼女はするのだ。
「犬は好き?」
「…………へ? あ、はい。好きです」
答えが遅くなったのは、問われた意味がわからなかったためだ。
てっきり、自分の持つ能力ケータリングについて聞かれるとばかり思っていた仁奈なのだ。数秒、回答が遅れたのも仕方がない。
仁奈の回答に納得したように夫人は首を縦に振る。
「そう。私はね、大好き。王家よりもこの子が大事」
夫人の座る椅子の横に座った大型犬がハッハッと息をしている。
ゴールデンレトリーバーのように親しみやすい可愛らしい犬だが、王家と比較していいのだろうかと仁奈は思う。
今の発言は相当問題なのではないのだろうか。いや、こちらの価値観は自分も詳しくないのだが――そう仁奈が気にかけていると犬が鳴く。
「わふ!」
「ごめんなさいね。ちょっと待っててね、ガブリエルちゃん」
「あ、ガブリエルちゃんっていうんですね」
今までいつの間にか着いてくる大型犬をどう呼べばいいのかと仁奈は迷っていた。
名前がわかり、なぜかすっきりした気持ちになる。
「そうよ。なんでもよくガブガブと食べるから」
シンクレア夫人の名付けのセンスを疑う仁奈だが、彼女の愛情は本物らしい。
質の高そうなドレスに毛がつくのも気にせずにガブリエルを抱きしめる。
「あの……」
「今、聞いたことは一番大事なことよ。この子を好きか嫌いか、そしてこの子が好きか嫌いかで私は全てを判断するわ。その点ではあなたは合格ね」
なかなかにとんでもないことを口にした夫人だが、ガブリエルは嬉しそうに尾を振る。どうやら仁奈は第一審査をなんとか合格したらしい。
予想外の会話に目を瞬かせる仁奈だが、夫人は紅茶を仁奈に勧めると自身も一口飲む。
「あなたの力を拝見したわ。興味深いものね」
「……ありがとうございます」
まだまだ自分にとっても未知の力を褒められ、仁奈は少しぎこちなく礼を言う。
「聖女に皆、関心を奪われているけれどあなたの力も素晴らしいわ。その支援を私はしたいと考えているの。それが今回あなたをお呼びした理由ね」
「……支援、ですか」
生活魔法に長け、ケータリングという能力を仁奈は得ている。
しかし、肝心のケータリングは自由自在に出せるわけではないのだ。
支援を申し出る夫人との認識に差があってはいけないと、仁奈は正直にその点を説明する。
「正直、まだここに来たばかりで自分がどうしていけばいいかもわからない状態なんです……」
目を伏せた仁奈は改めて、この世界においての自分の立場の不安定さに気付く。
姉の玲奈は聖女であり、求められてこの地に来たのだ。
それを周囲も当然補佐していくだろう。
だが、聖女のおまけに過ぎない自分はせめて姉や周囲に迷惑をかけないように、これからの生活を考えていく必要がある。そう仁奈は考えているのだ。
「あら、だからこそよ」
「え?」
落ち込んだ仁奈に気付いているのか、いないのか。それほどまでとまったく変わらない表情でシンクレア夫人は笑う。
その目の奥にどこか優しさが滲んで見えるのは、仁奈の心細さからだろうか。
しょんぼりとした仁奈の表情を見ながら、夫人が静かに告げる。
「――私の夫も転移者だったの」
突然の告白に仁奈は軽く息を呑む。
窓の外からは穏やかな午後の光が差し込み、戸惑う仁奈と微笑むシンクレア夫人を照らすのだった。
ゴールデンレトリーバー、可愛いですよね。
今回、大型犬→ガブリエルという名前が判明しました。




