第15話 二人の朝定食
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突然の女性の登場に仁奈はもちろん、オスカー、そしてロビンも表情が引き締まる。
変わらないのはキース、そして大型犬だけだ。
その犬は女性を見るなり、しっぽをぶんぶんと振って走っていく。
「あ、危ない……!」
オスカーが慌てて駆け寄ろうとするが、それより早く女性に犬が飛びついてしまう。
しかし、女性はくすりと艷やかな笑みを浮かべると優しく犬の頭を撫でる。
「……ウチの子がお世話になったみたいね」
「シンクレア夫人の愛犬でしたか……!」
オスカーの言葉に頷くとシンクレア夫人は優しい手つきで犬の頭を撫でる。
王城の庭を自由に走り回っていた犬がどうやら高位貴族の愛犬だったらしい。
それで追い出されても王城に入り込めるのかと、納得する仁奈だが、オスカーとロビンの表情には緊張が走る。
シンクレア夫人の愛犬を勝手に連れ回していたと思われても仕方のない状況なのだ。
実際にはなぜか毎回犬のほうが着いてきているのだが、そう説明する雰囲気でもない。
そんな空気を壊すようにのんびりとしたキースの声が響く。
「まぁまぁ、アレクシスちゃん。もう夜も遅いし、事情を話すのは今度でいいかな?」
アレクシス、姓ではなく名で呼んだキースに驚きが走るが、夫人は呆れたような視線をキースに向けるだけだ。
「まったく……気安く名前で呼ばないでほしいわ。まぁ、でもあなたの言うことも一理あるわね。いいわ、今度時間を用意していただけるかしら」
「もちろんだよ」
再び夫人の視線がキースに向けられるが、肩を竦めると愛犬と共に去っていく。
犬は一度仁奈達のことを「またね」というかのように振り向くと、シンクレア夫人と共にいそいそと歩き出す。
すると、ふいにシンクレア夫人が立ち止まり、くるりと仁奈達のほうへと振り返る。
「――あぁ、そうだわ。勘違いしているようだけど、私が話したいのはそのお嬢さんよ」
「……わ、私ですか⁉」
突然の指名に仁奈が驚きつつ、自分自身を指差す。
それを見たシンクレア夫人はにこりと笑う。
妖艶ともいえる美しい笑みだが、仁奈が戸惑いと緊張で困ったように頷くだけだ。
「えぇ、ぜひお話をしたいわ。よろしくね」
再び背中を向けると大型犬と共にシンクレア夫人は去っていく。
オスカーもロビンも気遣うように仁奈を見つめるなか、キースだけが楽しげに笑う。
「大変な人に興味を持たれてしまったね」
言葉とは裏腹にどこかわくわくした響きで言うキースだが、仁奈は突然の申し出にただただ顔を青くするのだった。
*****
翌日、皆で集まるのはロビンとルイージの研究室だ。
平民出身の魔術師である二人の研究室は、他に訪れる者もなく、会話をするのにはちょうど良いのだ。
今日の話題は昨日のシンクレア夫人のことである。
「キースさんはお知り合いなんですよね? どんな方なんですか?」
高位貴族であろう夫人の申し出を断るのは難しいだろう。そう予測した仁奈はせめて、事前にどんな人物か情報をと必死である。
オスカー、そしてロビンも案ずるような表情でキースの言葉を待つ。
「うーん。元々、高位貴族の生まれなんだが商業でも成功しているんだよ。夫を亡くされた後も、影響力は変わらず貴婦人達の憧れでもあるみたいだよね」
キースの言葉を補足するようにオスカーが口を開く。
「当初は貴族が商売をするなどという声も強かったようだ。しかし、領地経営もまた商売であると一蹴なさったそうだ。身分だけではなく、人望と商売での資金もあり、一目置かれるご夫人だな。おそらく、聖女であられるニーナ嬢の姉君ともお会いしているだろう」
キースの説明より、より詳細なオスカーの説明はありがたいのだが、輝かしい貴婦人の情報に仁奈は圧倒され、ため息がこぼれそうな気持ちである。
だが、今の会話で仁奈が気になった点がある。姉玲奈のことだ。
「あの……姉は、どうしているんでしょう。会いに行っても留守だと言われ、顔をみることもできなくって……。それだけ忙しいんでしょうか?」
仁奈の疑問にオスカーは眉間に皺を寄せる。
聖女は象徴的な存在であり、まだこちらの世界に来たばかりの彼女が公の場に出るという情報は騎士であるオスカーも得ていない。
それにもかかわらず、妹の仁奈にも会えないとはオスカーも初耳であった。
「……現在の聖女の役割は象徴的なもの。いらっしゃるだけでその御力が発揮されると考えられているんだ。おそらく、会食や礼拝などで不在なのだとは思うが――」
「そうですか……」
気落ちしたように目を伏せる仁奈を見て、オスカーは少し考え込む。
だが、オスカーが答えを出すより先にキースがぱっと表情を明るくし、オスカーの肩を抱く。
怪訝な表情を浮かべたオスカーだが、キースはにこにこと仁奈に提案をする。
「じゃあ、こうしよう。オスカーに手紙を渡してもらうんだよ。騎士にも色々あってね、彼は高位貴族の生まれだけが属する第一騎士団なんだよ。まぁ、花形とも言えるし、お飾りとも言えるよね!」
「……なんでまたそう問題になる表現でおっしゃるんですか」
「でも君だって現状に思うことがあるから、怒らないんだろう?」
うんざりした顔でオスカーは自分自身の額を押さえるが、キースの言葉を否定する気はないようだ。
キースはまったく気にしていないのか、名案だろう? といった表情で仁奈に笑いかける。
オスカーは気を取り直したように頭を振ると口を開く。
「まぁ、そういう事情だ。あなたの姉君に会う機会もあるだろう。聖女とはいえ、あなた達は姉妹なのだ。言付け、あるいは手紙など交流を持つべきだと俺も思う」
「あ、ありがとうございます! 助かります……。私も環境に慣れるのでいっぱいいっぱいで……きっと姉もそうだと思うんです」
実際に会うことが出来ずとも、手紙をやり取りすることで姉の状況は把握できるだろう。日本語で書く文章であれば、お互いに本人が書いたものだとすぐにわかるのだ。
子どもの頃はテーブルの上にメモを置いて、やりとりをしたものだが、改まって手紙となると気恥ずかしさもある。
だが、こちらの世界に来る前に少し言い合いをしてしまった姉妹にはちょうどよい交流の形にも仁奈には思えるのだ。
「うんうん、よかったよかった。でね、話は変わるんだけどこれを見てほしいんだ」
そう言ってキースが見せたのは一枚の紙だ。
「えっと、異世界ケータリング? あ、読める! こっちの文字も読めるんだ……」
突然のキースの行動に驚く仁奈だが、もう一つ驚いたのがその紙に書いた文字が読めることだ。仁奈にはそのまま日本語で書いてあるようにしか見えないのだ。
しかし、オスカーやロビンもその紙を動じずに見ているため、言語と同じように文字も翻訳されているのだろう。
言葉だけではなく、文字も読めるのは仁奈にとっては朗報である。
「ん? あぁ、そうか。異世界から来た者は必ずその国の言葉や文字がわかるんだよ。だってほら、私達も今までこうして会話してきたわけだしね」
「なるほど……読めるのは知らなかったです。じゃあ、読書とかもできますね!」
仁奈の言葉にキースが頷くと、ロビンが嬉しそうに笑う。
「キースさんは王立図書館の代表管理者なんです。ここで困ったことや知りたいことがあったら、本でも調べられますね」
「そう、私の知識を生かすにはふさわしい役職だね」
得意げなキースだが、オスカーは渋い表情だ。
「どこに行っても問題を起こすので、王立図書館が押し付けられたというのが正確かと……難儀なことです」
「だって、どこもつまらないんだよ? 王立図書館も禁書以外は読んでしまったし、退屈でね。そんなとき、君達姉妹が来てくれたんだよ! いやぁ、嬉しいね」
嬉々として話すキースにオスカーとロビンの呆れた視線が注がれる。
キース自身の言葉で彼が優秀でありながら自由気ままな人物だということが十分に仁奈にも伝わってきた。
「私としては聖女よりニーナだよ! その能力がどんなときに発揮されるのか、その制限はどこまでなのか。これから探る必要があるよね」
興味津々といった様子のキースだが、ほぼ好奇心であろう。
だが、自分の能力を把握するのはこれからこの世界で仁奈が生きていくには必要なことでもあるのだ。
「まだわからないことだらけですが……。助けを求める人のところに行ける――そんな能力を生かしたいと思っています」
仁奈の言葉にオスカーとロビンは口元に笑みを浮かべ、キースは白い歯を見せる。
「じゃあ、能力をもっと使いこなせるようになったらこの紙を城下に撒こう! 助けを求める者を救う不思議な者達! 神秘的で愉快だからね」
「……今はまだダメですよ?」
嬉しそうなキースにオスカーがくぎを刺す。
もちろんだというように頷くとキースはチラシをしまい込む。
肩を竦めたオスカーだが、気を取り直したように仁奈のほうを見た。
「まずはシンクレア夫人への対応だな。最低限の作法など、グレタに教わるといい」
「そ、そうでした……。夫人とお会いするのもありましたね……」
意識することなく使える能力と違い、高位貴族の夫人との時間のほうが仁奈にとっては大きな課題に思える。
両手で自分の頬を押さえながら、仁奈は今頃、聖女と呼ばれた姉はどれほど大変なのだろうと案じるのだった。
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