第67話 対峙
ふむ、結婚……。
私は過去に一度だけ結婚をした事がある。
相手はもちろん、前世で出会ったクロエだ。
私の相手は、クロエ以外に有り得ない。
だが、私は鳥肌が立ってしまった。
その官能的な微笑みは、先程までの清純な雰囲気を一つも感じさせない。
鈴のような声色は、湿った空気にかき消された。
演技だ。
この聖女は、演技をしている。
それも、空気を一変させる程卓越した見せかけの技術。
未だかつていただろうか。
情婦が誘う声を真似た聖女。
日常的に人を騙していないと身に付かないだろう技術。
その不気味さに、思わず身震いをしてしまった。
……呑まれるなよ、イザベラ。
「その似合わん演技はやめろ」
不機嫌を顕にする私に、聖女はおどけた顔を見せた。
「あら、渾身の告白だったのに。ざんねんです」
「……随分と口調が砕けたな」
コイツ、本当に聖女か?
まるでさっきまでとは別人と話しているような感覚を覚える。
「ええ。貴女に会いたくて会いたくて、焦がれ過ぎてしまいました。しかし、私は正式な聖王国の聖女ですよ、安心してください」
何だと?
聖女も私と会いたがっていた?
………………何故?
「初めまして、イザベラ・ルシアン・アストリア様。ミスティテラ神聖王国にて、聖女の位をいただいています、ルミナスと申します。以後お見知りおきを」
穏やかに微笑んだ聖女は、深々と頭を下げる。
「あぁ。知ってると思うが、私も自己紹介しておこう。アストリア王国の第一王女であり、魔王討伐を成してきたイザベラだ」
相手はこの魑魅魍魎共の巣で高い地位を維持してきた怪物だ。
聖女というレッテルを貼られていても、それに染まる事のなかった強い精神力の持ち主。
油断ならない相手だ。
目的が分からんから、特にな。
「えぇ、お待ちしておりました」
まただ。
待っていたアピール。
どうやら、何故だ?と聞いて欲しいらしい。
「何故、待っていたんだ?」
仕方なく聞いてやる事にする。
その瞬間、聖女は口を横に広げ、核心を放つ。
「それはもちろん、この国を壊してもらう為ですよ」
壊す?
この国を?
…………聖女が?
「どうしてお前が?世話になってるんだろう?信仰を忘れたか?」
そう慌てたように聞くと、聖女はまた嬉しそうに顔を綻ばせた。
「質問を返すようですが……信仰とはなんでしょう?」
ようやく聖職者のような問答をしてきたな。
国を壊すと直前に言ってなければスルーしてしまうような質問だが。
「知らんな。生まれてこの方、信仰などした事は無い」
「ふふ、そうでしょう。実は、私もなんですよ」
「は?」
穏やかに微笑まれた。
聖女が信仰を知らない?
聖女なのに?
「私は、ただのセラフィエルの駒です。私自身に信仰がある訳ではなく、生まれてからずっと、セラフィエルの神託を伝える為の道具だという事です」
「おいおい……」
それは……なんだ。
つまり、聖女はセラフィエルと現世を繋ぐための存在なだけ。
本人にセラフィエルを崇める心などありはしない。
何故、こんな奴が聖女に?
いやそもそも聖女とは何だ?
…………落ち着け。
混乱を自覚している。
冷静に考えたら、そんな事よりもっとまずい事があるだろう。
聖女に信仰心が無かった場合に、この聖王国にとって致命的な事態になる。
「私に信仰心が無いという事はつまり……」
「つまり、神託はお前の思うがままという事だ」
聖女はセラフィエルに対して信仰心が存在しなければならない。
なぜなら、セラフィエルは自分の言葉を聖女にのみ伝えるからだ。
聖女はセラフィエルの言葉を人類に伝える義務がある。それは信仰心があれば自然と伝わり、疑う余地が無くなる。
当然、その神託を疑う人間などいる訳が無い。
「お前、嘘をついたのか……?」
まさかと思い、そう聞いてみた。
「……はい!」
聖女は一拍置いた後、狂ったような笑顔でそう答えた。
こいつ、ヤバい。
戦略級の爆破術式よりもとんでもない代物だ。
冗談じゃなく、こいつの一言で国が傾く。
それができる力を持っている。
私の暴力よりも余程タチが悪く、途方もない力だ。
微笑みの絶えない腹の立つ顔がこの国、ひいてはこの世界の命運を握っているかもしれない。
いや、おい。
まさか。
こいつが嘘をついてるかもしれないと考えると、一つだけ信じ難い事がある。
「あの神託、全てがお前の嘘だったりするのか……?」
もしそうなら、正気の沙汰ではない。
だが……。
「よく分かりましたね!その通りです、嬉しい!」
まるで子犬のように喜びを表現する聖女。
身を乗り出し、自然と笑顔になる顔を抑えられていない。
「……」
私は絶句した。
って事は、つまり。
「お前、ふざけてるのか?」
あの神託をわざわざ宣言したのはこいつだ。
セラフィエルじゃない……!
罪の無い村民を虐殺し、それを黒死病の対策だと言わんばかりに病の収束を望む聖王国の有り様。
コイツだ。
全ての元凶は、やはり聖女だった。
「……心地よい殺意です。ようやく私を見てくれましたね」
「あぁ?」
私を見てくれた?
「正しい怒り、正しい心、正しい慈悲、正しい殺意」
今の聖女には、謎の気迫がある。
こやつの話を聞かなければならない。
そんな気がしてくる。
「貴女は、いつまでも正しい。それが私を、ひいてはセラフィエルを殺す」
吸い込まれそうな程透き通った瞳が、混乱した私の双眸を凍ったように見つめる。
「ッ!」
私がセラフィエルを狙っている事が知られている。
気づかれていた!
いや、この聖女は特別だ。
ただ一人この世界でセラフィエルの寵愛を受け、その声を伝える権利を持つ。
その権利を行使するかは置いておくとして、あの女の思想を理解している可能性がある。
……殺すか?
「あぁ、あぁ!私を殺すのですねイザベラ!貴女にはその力がある!その権利がある!永く続くこの世の最期に刻まれるのは、貴女が与える傷跡なのです!」
聖女は豹変した。
上気した頬、粘つく言葉、全てが理解の外にある。
私は今までの会話でこいつを少しも理解できていない。
目的も、死にたがりの理由も、私の事を知っている事も、何も理解できていない。
ただし、普通ではない事は確かだ。
聖女と認められるだけの異質さを感じる。
それだけは理解できる。
「セラフィエルに対して抱えるものがあるように見えるな。……まるで死んで欲しいと願っているように」
「死んでほしいとは、少し違うかもしれません。この世界を救いたい、それだけです」
私がセラフィエルを殺す事で、世界が救われる。
そして、それを確信している?
やはりどうにも理解できんな。
殺すのはやめだ。まだ分からん事が多過ぎる。
私は率直に思った事を話すことにする。
「そもそもお前、私が魔王討伐を達成した事を確信しているな?何故だ」
「え?あぁそれは簡単ですよ」
簡単?
「我が国に侵入した魔人と秘密裏に接触して聞き出しましたから。当然消滅させましたけど」
「あぁ」
そういう事か。
魔王が死んだ事は必ず魔人に伝わる。
魔力的な繋がりが消失するらしい。
魔王の脅威は分からずとも、討伐された事の証明はされる訳だ。
そして、この聖女は魔王の脅威を正しく理解している。
私をここまで重要視しているんだ。魔王討伐の難易度を分かっていないと厚遇はできない。
「一つ、私からお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、何だ?」
一拍置いて、聖女の口は開く。
この女……顔だけは整っている。
まぁ、あのセラフィエルと瓜二つだからな。神が創ったような顔というか、神の顔だ。
そんな事を思ってしまったからだろうか。
「私の顔、セラフィエルにそっくりでしょう?」
「……何の話だ?」
心臓を直接握られたような感覚に陥る。
こいつ、どこまで何を知っているんだ。
「ふふ、誤魔化さなくてもいいですよ。イザベラ様、貴女はあのセラフィエルと対峙した事があるのでしょう?」
……おかしい。
こいつがそれを知る訳が無い。
セラフィエルが神託で言った可能性があるか?
いや、ありえないだろう。
『私イザベラと戦ったよ』
そんな神託がある訳無い。
大体、戦ったのはアーサーの時だ。転生した事そのものを見抜かれた事はあるが、初対面の聖女に見抜かれる程ボロを出したつもりは無い。
だが、何故か確信している。
「……」
「……」
お互いの視線が交差する。
聖女の表情は銅像のように動かない。
それでも、認める訳にはいかない。
私はセラフィエルに見られている。
だが、嘘を言えば見抜かれそうだ。
「……これだけは言っておく。私イザベラはセラフィエルに会った事も、見た事も、もちろん対峙した事も無い」
ここまでが限界だ。
伝わるかどうかは分からんが、これ以上は言えん。
「…………そうですか」
納得してくれたようだ。
嘘は言ってない。
セラフィエルと色々あったのはアーサーだ。
イザベラじゃない。
聖女は考え込む様に手を顎に当て、私の顔を覗き込む。
なんだ、これ以上は本当に何も無いぞ。
ひっくり返しても小銭すら出ない。手間賃としてオルフェンに全部くれてやったからな。
「ま、ひとまずそれで納得しましょうか」
こいつ……。
仕方が無いとばかりに表情を崩す聖女に、心底腹が立った。




