九話
暗い洞窟には可愛らしい声が反芻し、全体的に響いていた。
泣き止んだ柊は自分の過去を話してくれていた。短い間だとしても本人にとっては長く、充実した母親との時間と、それ以降、自分がどう思いどう生きてきたのかを。
「お母さんはいつも凛としていて、私はそんなお母さんに憧れてました。だから、あの子達には弱い姿を見せないように、頑張ってきたんです」
「そうだね」
過去といっても、柊の過去話では、柊の視点で何かをしたという話をするにはかなり後になるだろう。
いくら物心着くのが早くても子供に出来ることはあまりにも少ない。
「父の姿も、顔もよくわかりません。でも、お母さんの顔はずっと焼き付いてます。……料理が上手で、裁縫も上手で、遊ぶのも上手で、失敗なんかひとつもありませんでした」
「……」
神聖視された母親の話。
当然と言えば当然なのだろう。
柊の中の母親は【英雄】となっている。いや、ならざるを得なかった。
周りが口々に言うのだから。
「……お腹にあの子達を宿していても、お母さんは私と遊んでくれて、それなのに私は少し我儘になってしまって……お母さんを困らせてしまっていました」
拭えない後悔だと、そう言わんばかりの声で口にする柊。
我儘がいけないと、子供がそう思ってしまうことほど悲しいことはない。
確かに度の過ぎたものであればいけないが、愛を欲する我儘ならば、幾らでもしていいだろう。
「……」
「? 大丈夫?」
「……っ、はい」
柊の口が閉じてしまう。
ふと見てみると、ほんの少しだけ身体が震えていた。
小刻みに、そしてなぜか可哀想と思ってしまうくらいに。
「大丈夫だよ。私は全部受け止めてあげるからさ!」
「……っ。そう、ですね。……あなたはチョロいですからね」
「えぇ〜! そんな言い方はないじゃんかー!」
こちらの気休めの言葉に、柊はクスッと笑いながら少し毒づいてきた。が、それくらいには気が楽になったのだと察せれた。
それから一拍置いて、柊は話し始めた。
「……あの日が、私が見た母の最後の姿でした」
「っ」
「里が魔獣の大群に蹂躙されていく光景を、私たちはただ見ていることしかできませんでした」
それは一度酒呑から聞いた話だった。
たった一人、魔獣の群れに立ち向かい里の人々を、我が子達を救った一人の英雄の話だ。
「そんな時、お母さん一人だけが立ち上がりました……みんな絶望していたのに」
その時の光景を鮮明に覚えているのか、柊の言葉の端々には悔しさが滲んでいて、拳は血が出るほどに強く握られていた。
「……その時の鬼族はただの飼い犬でした」
「え?」
「牙を捨てた飼い犬です。過去の栄光も、巫女の威厳すら地に堕ち、ただその日その日のいつ崩れるかわからない平穏な日々を矜持する平和の傀儡だったんです」
それは柊の思いだろう。
あの時動けなかった自分の次に憎み、恨んだ鬼族という種族にたいする柊の思い。
そうならざるを得なかった過去があったとしても、自分の身を守る術すら放棄した自分達に対する思い。
「だからっ、お母さんだけがっ……」
柊の感情が爆発寸前に達する。
痛いほどに気持ちがわかる。
わかるから、違うと思ってしまう。
「お母さんだけですっ、里のみんなのために自分を……っ。どうしてっ! あの時、他の人達は立ち向かわなかったんですか……⁉︎」
それはただの八つ当たりだった。
当時の自分は何もできない子供で、無力が過ぎた。
戦えない十分な理由だった。だから、その理不尽への叛逆の心は他所へ飛び火する。
「お母さんだけが、勇敢に、果敢に魔獣に立ち向かったっ。【英雄】として最後まで勇敢に……」
「っ」
「里のために、全力で傷付いても立ち向かって……そうして、お母さんは本物の【英雄】になった……」
「……」
「毅然と魔獣を屠って、凛然と、烈々に戦って……」
「……」
「お母さんはそうやって、【英雄】のまま倒れたんです」
「―――違うよ」
「……ぇ?」
自然と口から言葉が漏れていた。
それは柊の中の母親像をぶち壊すための第一声。
神格化されてしまい、英雄なんて肩書きに雁字搦めにされ、その意思すら大義と綺麗事の前に潰えされた、作られた偶像をぶち壊す第一声。
「本当にそうなのか?」
「……それは、一体」
英雄として、格好良く、凛然と、毅然と? そのどれもが的外れだ。
「柊のお母さんは、本当に英雄だったの?」
「っ‼ それはっ、どういう意味ですか!!」
唐突な全否定の言葉に、柊は少しだけ面食らったもののすぐに憤慨した。
当然だ、自分の母親を愚弄されたのだから。
「そのままの意味だよ。本当に英雄だった? 英雄として終わったの?」
「っ、あなたならっ、分かってくれると……っ」
「分からないよ。だって絶対に間違ってるからね」
「っ‼︎」
憤慨する柊は立ち上がって指をビシッと向けてきては、憎悪と殺意の混ざったような目で睨んできた。
気付けない、気付きたくない。
だから気付かせるのが、自分の仕事なのだ。
「柊。これは絶対に忘れちゃダメだよ? ……どこの世界にもね、自分の子供を背に守ってる人は、絶対に【英雄】にはなれないんだよ」
「―――っ」
その言葉を聞いた瞬間に柊の身体から力が抜けていった。
「本当に英雄として戦ってた? 格好良く戦ってた? 凛然と戦ってた? 毅然と戦ってた?」
それのどれもがあり得ない。
「柊。柊のお母さんはね、多分―――」
答えを言おうとした瞬間だった。洞窟の壁が爆砕したのだ。
そして動き出すのがあまりにも遅過ぎた。
洞窟の壁が爆砕し、岩石が飛んで降ってくる。
避けるスペースなんてありはしない。
だから咄嗟に出来ることとすればそれは、ただ一つ。
柊を守ることだった―――。
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