40.お泊まり会の夜・二
隣の賓客室から響いてくる騒音は、時間が経つほどひどくなっていた。
何か柔らかいものが壁にぶつかる鈍い音に、床を駆け回る足音、それを押し殺そうともしていない笑い声。こちらではせっかくシャルシアが真面目にダルクとの出会いを話してくれていたというのに、壁一枚向こうでは、どうやら男子たちが別の意味でお泊まり会を満喫しているらしい。
「あいつら~……!」
とうとう我慢できなくなった私は寝台から立ち上がった。様子を見るだけのつもりだったのに、メローネたちまで面白そうについてきたため、結局は女子五人揃って隣室へ押しかけることになった。
扉の前まで来ても、騒ぎはまるで収まる気配がない。
私は勢いよく取っ手を掴み、そのまま扉を開け放った。
「ちょっと男子! 何やってんのよ!」
叫んだ、その瞬間だった。
視界いっぱいに白いものが迫ってきたかと思えば、次の瞬間には顔全体が柔らかなものに包まれる。羽毛の詰まった高級そうな枕が真正面からぶつかり、間の抜けた音を立てて床へ落ちた。
「ぶっ……!」
何が起きたのか理解するまで一瞬かかった。
恐る恐る顔を上げると、賓客室の中では男子たちが揃って固まっていた。寝台の掛け布は乱れ、枕はいくつも床へ転がっており、どう見てもつい先ほどまで全力で枕投げをしていたとしか思えない。
そして、私の顔面へ枕を直撃させた張本人らしいカインが、投げ終えた姿勢のまま青ざめていた。
「ゲッ!! ミッケ……」
「ゲッ、じゃないわよ……」
こめかみが引きつる。
こっちは真面目に話していたのに。
「あんたたち~~!!」
怒鳴りながら部屋へ踏み込もうとしたところで、すっと私の前へ人影が滑り込んだ。
エターナだった。
彼女は片手で私を制し、そのまま男子たちへ静かな紫の瞳を向ける。声を荒らげたわけでもないのに、先ほどまであれほど騒がしかった部屋から、すっと音が消えた。
「あなたたち、静かになさい」
その声音は淡々としていたが、逆らおうという気を起こさせない妙な迫力がある。
エターナは一度だけ私を振り返ると、まるで重要な議題を説明するような顔で続けた。
「これは大事なことなのよ。馬鹿なミッケに、いろいろ分からせるための会なの……分かった?」
「ちょっと、エターナ!?」
なんで私まで一緒に攻撃されているの。
けれど私の抗議は完全に無視され、男子たちはエターナの視線を受けながら、揃ってこくりと頷いた。
「よろしい」
それだけ言って、エターナは静かに扉を閉めた。
これで終わりかと思った、その数秒後。
彼女は無言のまま、再び扉を開ける。
すると向こうでは、まさに次の枕を投げようとして腕を振りかぶっていた男子たちが、一斉に動きを止めた。
エターナと目が合った瞬間、彼らは示し合わせたように枕を寝台へ戻し、そのままものすごい勢いで布団へ潜り込む。
あまりにも露骨だった。
エターナはしばらく無言で室内を見渡したあと、今度こそ扉を閉める。
「馬鹿たちは放っておきましょう」
その言い方に、今度ばかりは否定する者はいなかった。
◇
私たちは再び自分たちの賓客室へ戻り、それぞれ寝台や椅子へ腰を落ち着けた。
壁一枚向こうは、不自然なほど静かになっている。
本当に寝たとは到底思えないけれど、少なくとも今度は騒がないつもりらしい。
エターナは自分の寝台へ腰掛けると、膝の上で両手を組み、先ほどまで男子たちを一睨みで黙らせていた人とは思えないほど落ち着いた様子で口を開いた。
「では、次は私ね」
どうやら今度は、エターナとアベルの話らしい。
「アベルとは、八歳の頃からアカデミーで同じクラスだったの。私は特待生として入れてもらっていたわ」
「特待生?」
「ええ。私は一度読んだ文章を、ほとんどそのまま記憶できるの」
「す……すごい……」
思わず素直に感心してしまった。
私なんて難しい本を数頁読んだだけで頭が重くなるというのに、一度読んだものを覚えられるなんて、とんでもない能力である。
「その力を評価されていたから、普通の授業にはほとんど出ず、図書館で本を読むことを許されていたの。専用の小部屋まで用意されていたわ」
聞けば聞くほど、同じアカデミーへ通っていたとは思えない。
私が感心していると、横からシャルシアが口を挟んだ。
「ミッケ、言うとくけどな。普通科いうても、名前ほど普通やないで?」
「え?」
「身分による差別や区別をなくそういう建前で『普通科』って名前になっとるけど、実際は貴族向けの教育が中心や。うちはそこには入られへんかったから、実務科やったんよ」
「そうなんだ……知らなかった……」
また一つ、知らないことが増えた。
この前エターナから「愛し合う以前に貴族の基礎知識が必要」と言われたことが、じわじわ効いてくる。
そんな私へ若干呆れたような目を向けたあと、エターナは話を戻した。
「……続けるわよ」
彼女は少しだけ姿勢を正し、昔を思い出すように視線を落とした。
「ツガイ主は、伴に好かれやすいように容姿が整って生まれることが多いでしょう? アベルも幼い頃から、とても目立っていたわ」
なるほど。
今のアベルもかなり整った顔立ちをしている。大柄で無口だから近寄りがたいだけで、黙って立っていれば十分すぎるほど格好いい。
「本人は迷惑そうだったけれど、昔から女の子にはよく囲まれていたの。それで……そうね、一年ほど前だったかしら。女の子たちから逃げるために、アベルが図書館へ入ってきたことがあったのよ」
エターナの専用の小部屋まで逃げ込んできたらしく、彼女はそこでしばらくアベルを匿ってあげたのだという。
「二人で話しているうちに、なぜかツガイ紋の話になったの。私は自分にも紋があることを知っていたから、『私にもあるわよ』って見せたわ」
「それで?」
「アベルが自分の左手を確認して、同じ紋だと分かって……突然、盛ってきたの」
「盛ってきたの!?」
あまりにもエターナの口調が平然としていたせいで、一瞬意味を取り違えそうになった。
「ええ。急に距離を詰めてきて、抱きつこうとしてきたから驚いたわ」
その瞬間、私の頭には森でのカインが浮かんだ。
初めて紋が触れた直後、突然抱きしめられ、首の後ろへ左手を押し当てられた。普段のカインからは考えられないほど強い感情をぶつけられ、私が怖くなって涙ぐむまで離してくれなかった。
覚醒したばかりのツガイ主なら、そうなることもあるのかもしれない。
「ツガイ主って、左手に手袋をしていることが多いでしょう? だから、自分に紋があっても、それが誰と対になっているのか分からない場合もあるのよね」
エターナはそう説明したあと、何でもない出来事を話すように続けた。
「だから、股間を思いきり蹴ったわ」
「そこ蹴ったの!?」
「ええ」
あまりにも迷いのない返事で、そこを蹴ったことを少しも気にしていないらしい。むしろ当然の対処だったと言わんばかりの涼しい顔をしているあたりが、なんともエターナらしかった。
「でもさぁ……アベルって、そんなふうになるように見えないけど」
私は先日、馬車を襲われたときに助けてくれたアベルの姿を思い出した。
「見た目はいかついけど、実際は優しいし……なんか乙女みたいなところあるじゃん」
その言葉に、エターナはわずかに目を細めたものの、アベルが優しいという部分を否定する気はないらしく、特に反論することもなく静かに受け流した。
「まあ、それはいいわ。それが私たちの始まりよ」
「うーん……」
私は腕を組みながら、ここまで聞いた二人の話を頭の中で並べてみた。シャルシアは鎖に繋がれていたダルクを助け、その先でツガイだと知り、エターナは図書館へ逃げ込んできたアベルを匿ったことをきっかけに覚醒へ至っている。どちらも出会いの話としては十分すぎるほど印象的なのだけれど、私が聞きたかった「いつ好きになったのか」とか「どんな瞬間に胸が高鳴ったのか」といった恋バナとは、どうにも少し違っている気がした。
「シャルシアの話も、エターナの話もさ……恋バナっていうより、ただの出会いの話じゃない?」
「あら、そうなの?」
エターナが本気で不思議そうに首を傾げた。
すると、今まで静かに話を聞いていたメローネが、穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。
「恋バナというのは、きっと『胸が高鳴った』とか、『この人を愛していると思った瞬間』とか、そういうお話なのではありませんか?」
「そう! それ!」
私は思わず身を乗り出した。
「いつ好きになったとか、何されて嬉しかったとか、そういうやつ!」
「ああ、それならうちはあるよ」
シャルシアがすぐに手を挙げた。
先ほどダルクとの出会いを語っていたときより、明らかに表情が柔らかくなっている。
「ダルクはなぁ、ほんま一生懸命うちを気遣ってくれるんよ。口数少ないし、ぶっきらぼうやけど、うちが疲れとったらすぐ気づいてくれるし、困っとったら何も言わんでも手ぇ貸してくれるし」
そこまで話したところで、シャルシアは少し照れたように頬へ手を添えた。
「それにイケメンやし! 何されても胸キュンキュンするんよ」
「おぉ……!」
ようやく恋バナらしいものが出てきた。
私が感心している横で、メローネも微笑ましそうに頷き、今度はエターナへ視線を向けた。
「では、エターナさんはどうなのです?」
その瞬間、部屋中の視線が一斉にエターナへ集まった。さっきまであれほど淀みなく話していた彼女は珍しく言葉を止め、紫の瞳をわずかに逸らしたまま、何かを考えるように黙り込む。頬を赤らめるわけでも、困った様子を見せるわけでもないのに、その沈黙だけが妙に長く感じられた。
やがてエターナは何事もなかったかのように姿勢を正すと、いつもの落ち着いた声で答えた。
「…………問題ないわ」
私は思わず眉を寄せた。
――何が!?




