4.幸せな未来のために
私は、あくまで案を出しただけである。
誰も、今すぐ取りに行けとは言っていない。
そもそも、古代遺跡のある森はアカデミーからそれなりに距離がある。今から出発して日が暮れきる前に辿り着けたとしても、戻ってくる頃には確実に辺りは暗くなっているだろう。
「行こうぜって……私も?」
「当たり前だろ」
先を歩き始めていたカインが振り返り、何を当然のことを聞いているのかと言わんばかりの顔をした。
「あんな不気味な場所、一人で行くとか嫌だし」
「…………」
私は思わず黙り込み、それから改めて、目の前に立つカインを頭の先から足元まで眺めた。
高い。とにかく高い。
同年代の男子と並んでも頭ひとつ近く抜けることがあり、肩幅も広い。アカデミーの男子制服をきっちり着込んでいてさえ、その下にしっかりと鍛えられた身体があることは一目で分かる。
銀灰色の髪に、獣人族の血を引くグレゴリー家らしい鋭い眼差し。黙って立っていれば近寄りがたいほど整った顔立ちまでしているのだから、何も知らない人間が見れば、夜の森で魔物と遭遇したところで眉ひとつ動かさず首を刎ねそうな男に見えるだろう。
その図体で、一人で森へ行くのは嫌だと言うのか。
私が何とも言えない視線を向けていることなど知らず、当の本人は至って真顔だった。
昔から妙に浮世離れした容姿をしていたカインは、年齢を重ねるにつれて、その印象がますます強くなっている。
幼い頃は、せいぜい綺麗な顔をした子どもという程度だった。ところが身体が成長し始めてからは少年らしい細さがあっという間に消え、手足も肩も目に見えて逞しくなった。まだ十六歳にもなっていないというのに、遠目には二十歳前後の青年と間違われることさえある。
やっぱり、獣人族の血が流れているから身体の成長も少し早いのだろうか。
そんなことを考えながらじっと眺めていると、さすがに視線が気になったらしく、カインが怪訝そうに眉を寄せた。
「ん? どうした?」
「ううん。なんでもない」
「なら行くぞ」
「はいはい」
小さく息を吐きながら返事をした。
どうせここで断ったところで、一人で行かせれば後から気になるに決まっている。
カインは強い。それも、私などとは比べものにならないほど強い。
けれど、それと危険な場所へ一人で行かせても平気かどうかは別の話だった。
まして、古代遺跡の周囲には今もわずかながら古い魔力が残っている。普段から人が立ち入るような場所ではなく、何が起こるか分からない森へ悪友を一人で送り出して、自分だけ寮へ戻ってのんびり夕食を食べられるほど、私は薄情ではない。
それに、ミモザが宝石花を受け取ったとき、どんな顔をするのかは少し見てみたかった。
きっと喜ぶだろう。
あの子なら、高価な宝石を買って渡されるよりも、カインが自分のために森まで足を運び、苦労して摘んできた花のほうを大切そうに抱える気がする。
そしてカインが想いを告げれば、きっと頷く。
そんな二人の姿を想像すると、自然と口元が緩んだ。
もし本当に婚約することになったら、そのときは散々冷やかしてやろう。これまで私のことを面白がってからかってきた分まで、まとめて返してやればいい。
「仕方ない。行ってやりますかぁ」
「よし!」
「ただし、帰りに何か奢ってよね」
「分かった分かった」
「その言い方、絶対忘れるやつでしょ」
「忘れねぇよ。好きなの食っていいぞ」
「言ったからね?」
いつも通りの軽いやり取りを交わしながら、私たちはアカデミーの出口へ向かった。
校舎を出る頃には陽もずいぶん傾き、空の端は薄い茜色に染まり始めていた。正門の向こうには王都へ続く道が伸び、そのさらに先に、古代遺跡の眠る森がある。
隣を歩くカインは、もうすっかり宝石花を手に入れた後のことばかり考えているらしく、ときどき独り言のように相談を持ちかけてきた。
「どこで渡せばいいと思う?」
「知らない」
「花を先に渡してから言うほうがいいか?」
「好きにしたら?」
「先に気持ち伝えたほうがよくねぇ?」
「さっきから聞いてるけど、最終的に自分で決めるんでしょ」
「まあな」
「じゃあ聞かないでよ」
そんなくだらない話をしながら歩いていたせいか、森までの道のりは思っていたほど長く感じなかった。
けれど、その入り口をくぐった途端、周囲の空気は一変した。
「いつ来ても不気味な森よねぇ」
頭上を覆う木々を見上げながら、私はげんなりと呟いた。
王都から少し離れた場所に広がるこの森は、まだ完全な夕暮れには早い時刻だというのに、奥へ進むほど薄暗さを増していく。幾重にも重なった枝葉が陽射しを遮り、その隙間から辛うじて地面へ届く光も細く頼りない。足元には湿った腐葉土が厚く積もり、太い木の根が複雑に地面を這い回っているうえ、苔むした幹には蔦が絡みつき、人の手がほとんど入っていないせいで道らしい道さえ残っていなかった。
少し気を抜けば、自分たちがどちらから来たのかすら分からなくなりそうである。
風が吹くたび、遥か頭上で枝葉の擦れ合う音が低く広がる。その一方で鳥や小動物の気配は不自然なほど少なく、静かなはずなのに妙に落ち着かない。森そのものが息を潜め、迷い込んできた私たちをどこかから眺めているような、居心地の悪さがあった。
「お前は不気味程度かもしれねぇけどな。魔力がある俺からしたら、気分最悪だぜ」
少し前を歩いていたカインが肩越しに振り返り、いかにも嫌そうに眉を寄せた。
「ふーん。そんなもん?」
「そんなもんって……お前、本当に何も感じねぇの?」
「何も。森自体は気味悪いけど」
「そういう意味じゃねぇよ」
呆れたように言われても、本当に分からないのだから仕方がない。
私には魔力がない。
少なくとも、生まれてから今日までずっとそう言われてきたし、自分自身でも魔力というものを感じた経験は一度もなかった。そのため、この森の奥に眠る古代遺跡から漏れ出しているという古い魔力も、私にとっては存在していないのとほとんど同じだった。
以前、カインたちから聞いたところによれば、魔力を持つ者がこの辺りまで入ってくると、肌を見えない何かに撫で回されているような不快感を覚えるらしい。遺跡へ近づくほどそれは強くなり、人によっては頭痛や吐き気まで起こすというから、もともと感覚の鋭いカインにしてみれば、私が思っている以上に居心地の悪い場所なのだろう。
もっとも、その割には先ほどから何度か進む方向を間違えかけている。
「ほら、そっちじゃない。こっち」
「分かってるよ」
「さっきも同じこと言って逆に行ったじゃん」
「……うるせぇな」
「私いなかったら迷子になってたんじゃない?」
「ならねぇよ」
不機嫌そうに言い返してくるものの、こちらを振り返ろうとしない辺り、本人にも多少の心当たりはあるらしい。
以前にも来た場所とはいえ、森の景色は年月とともに変わっている。前にはなかった倒木が行く手を塞ぎ、伸びた草木が僅かに残っていた踏み跡を覆い隠しているため、記憶だけを頼りに進むのは簡単ではなかった。
そんな他愛もないやり取りを交わしながら、私たちはさらに森の奥へ進んでいった。
目的地である古代遺跡まで、まともな道などほとんど存在しない。
倒木を跨ぎ、地面から大きく張り出した木の根を避け、ときには両手を使って岩場をよじ登る。木々の間が人一人ようやく通れるほど狭くなった場所では、私は制服の裾を片手で持ち上げ、枝へ引っかけないよう注意しながらカインの後を追った。
それでもここまで迷わず進めているのは、以前、ミモザを含めた三人で同じ場所を訪れたことがあるからだ。
あのときも散々苦労し、帰る頃にはもう二度と来たくないと思ったはずなのに、まさか数年後、カインがミモザへ求婚するための贈り物を探しに再び足を踏み入れることになるとは思ってもみなかった。
「ミッケ、そこ滑るぞ」
少し高くなった岩場へ先に登ったカインが、こちらを見下ろしながら声をかけてくる。
「分かってるって……よっ、と!」
近くに伸びていた太い枝へ手をかけ、腕へ力を込めて身体を引き上げたところで、湿った土に靴底を取られた。
足が滑り、身体がぐらりと傾く。
慌てて近くの木の根へ足をかけてどうにか踏みとどまり、その先にある胸ほどの高さの崖まで辿り着くと、上からカインが手を差し出してきた。
その手を掴んだ途端、力任せにぐいと引き上げられる。
「ちょ、もうちょっと優しく!」
「落ちるよりいいだろ」
「そうだけど!」
どうにか平らな場所へ上がり切り、乱れた制服を整えようとして何気なく自分の姿を見下ろした私は、その惨状に思わず顔を引きつらせた。
「もー! 制服どろどろ!」
濃紺のスカートには茶色い泥がべったりとつき、裾には細かな枯れ葉や草の種まで張りついている。ブーツも当然のように泥だらけで、朝にはそれなりに整えていたはずの制服が、もはや見る影もない。
少し先へ歩き始めていたカインは、私の悲鳴を聞いて肩越しに振り返ったものの、大した問題ではないと言わんばかりの顔をしていた。
「あとで魔法で洗ってやるよ!」
「絶対だからね!? 私、あんたのプロポーズのためにこんな格好になってるんだから!」
「分かったって。ちゃんと綺麗にしてやるよ」
軽く手を振りながら先へ進んでいく背中へ、私は恨めしげな視線を送った。
まったく、誰のためにこんな森まで来たと思っているのだ。
好きな女へ贈る花が欲しいという男に付き合い、放課後からわざわざこんな場所まで来て、制服まで泥まみれにしているのである。それくらいの後始末はしてもらわなければ、到底割に合わない。
もっとも、ここまで来て手ぶらで帰るつもりもなかった。
私だって、ミモザが宝石花を受け取ったときにどんな顔をするのか見てみたい。
きっと最初は驚いて、どうしてこんな珍しい花を、と目を丸くするだろう。それから、カインが自分のために森まで取りに行ったと知れば、きっと大切そうに花を抱えて笑うに違いない。
そうなれば、今日ここまで歩かされて泥だらけになったことだって、いつかは笑い話にできる。
私はそう信じながら、先を行くカインの背中を追って、さらに森の奥へと足を進めた。




