3.悪友、男の決意
「決めた!」
しばらく難しい顔をしていたカインが、不意に大きな声を上げた。
放課後のアカデミーは、授業を終えた生徒たちのざわめきに包まれていた。長い廊下の窓からは傾き始めた陽が差し込み、磨き上げられた床の上へ淡い橙色の光を落としている。教室へ荷物を取りに戻る者、寮へ向かう者、友人同士で寄り道の相談をしながら歩く者。その間を縫うように進みながら、私とカインは先ほどからずっと、数日後に迫ったミモザの誕生日について話していた。
何を贈ればいいと思う――カインが繰り返していたのは、ずっとそれだった。
第三王女ともなれば、大抵のものはすでに持っている。流行の菓子でも珍しい香水でも、高価な宝石であっても、欲しいと言えば王宮へ届けられるような身分なのだ。そんな相手へ何を贈れば特別なものになるのかと、普段は細かなことを気にしないカインが、珍しく本気で頭を悩ませていた。
だから私はてっきり、ようやく良い贈り物でも思いついたのだと思った。
何事かと横を見ると、先ほどまで眉間へ深い皺を寄せていた男が、今度は憑き物でも落ちたような晴れ晴れとした顔をしている。
「俺、プロポーズするよ」
「……は?」
あまりにも唐突な言葉に、思わず聞き返した。
「ミモザに」
「いや、それは分かるけど」
さすがに足を止めると、カインも数歩先で立ち止まり、こちらへ振り返った。
ほんの少し前まで、私たちは誕生日の贈り物について話していたはずである。菓子はどうだ、髪飾りはどうだ、珍しい花なら喜ぶんじゃないか――その程度の話をしていたのに、どうしていきなり結婚の申し込みにまで飛躍するのだろう。
けれど、当のカインには冗談を言っている様子など微塵もなかった。むしろ長いこと悩んだ末、ようやく一番しっくりくる答えへ辿り着いたとでも言いたげな顔をしている。
「俺はグレゴリー公爵家の人間だし、第三王女のミモザとも身分は釣り合うだろ。だったら、十六歳の誕生日にちゃんと気持ちを伝えたっていいと思うんだ」
当然の理屈だと言わんばかりに語るカインを見つめながら、私はしばらく言葉を失った。
たしかに、身分だけを考えれば無謀な話ではない。
グレゴリー公爵家は王国を代表する五大公爵家の一つであり、王家との婚姻相手として不足のある家門ではない。ましてカインは、その始祖である獣人族の血を比較的濃く受け継いでいると、幼い頃から周囲に期待されてきた人間だ。第三王女へ求婚したところで、「身の程知らず」と笑われるような立場ではなかった。
問題は、そこではない。
「えぇ……でも、公爵家って政略結婚が普通じゃないの?」
私がそう尋ねると、カインは今度はこちらを心底理解できないものでも見るような顔になった。
「は? うちは獣人族の末裔だぞ」
「知ってるけど」
「惚れた女にいくのが俺の家だ」
「そういうものなの?」
「そういうもんだ」
あまりにもきっぱりと言い切られてしまい、私は口を閉じた。
そこまで堂々と断言されると、こちらとしても何を根拠に反論すればいいのか分からない。
グレゴリー公爵家は、古くから獣人族の血を受け継ぐ家門である。
特に秀でているのは、嗅覚や聴覚をはじめとする感覚能力だった。代々、王国内の治安維持や捜査、要人警護などへ深く関わり、人の呼吸や仕草、わずかな物音や匂いの変化から異常を察知することに長けている。その鋭敏さから、グレゴリー家の人間を前にして下手な嘘はつくな、とまで言われるほどだ。
カイン自身も幼い頃から耳がよかった。
少し離れたところで私が悪口を言っていれば、しっかり聞きつけて睨んでくるし、物陰へ隠れて驚かせようとしても、ほとんど成功したためしがない。
もっとも、惚れた相手には一直線に向かっていくという恋愛観まで、始祖である獣人族から受け継いでいるのかどうかは私には分からない。
少なくともカインの中では、グレゴリー家の男たるもの、好きになった相手へ正面から向き合うのが当然らしい。
それを聞いて妙に納得できてしまうあたり、私も長くこいつと付き合いすぎたのかもしれなかった。
「ふーん。じゃあ、指輪とか?」
いったん求婚そのものについて考えるのをやめ、私は話を本来の目的へ戻した。
「うーん……」
カインは今度こそ贈り物について悩み始め、腕を組みながら歩き出した。
こうして黙って考え込んでいると、同年代の少年よりもずっと落ち着いて見える。
「指輪も宝石も、腐るほど持ってるだろ。王女なら」
「まあ、それはそうね」
否定する材料はなかった。
ミモザの私室には何度も遊びに行ったことがあるけれど、そこにあるものは何もかも、私の家とは桁が違っていた。
宝石箱ひとつ取ってもそうだ。私なら一生に一度、舞踏会や婚礼のような特別な日にしか身につけないだろう宝飾品が、ミモザにとっては、その日のドレスに合わせて選ぶ装飾品の一つに過ぎない。
王女なのだから当たり前と言えば、それまでなのだろう。
けれど、そんな彼女へ高価な指輪や宝石を贈ったところで、カインが求めているような「特別なもの」にはなりにくい。
「だからさ。何か、ちゃんと気持ちを贈りたいよなぁ」
カインはそう呟きながら、窓の外へ視線を向けた。
夕陽を受けた銀灰色の髪が、淡い光を帯びている。
いつもなら思いついたことを深く考えず口にするくせに、こういうところだけは妙に真面目なのだ。
単に値の張るものではなく、自分がミモザをどれだけ大切に思っているのか、その気持ちごと渡せるようなものを贈りたい。
きっと、そういうことなのだろう。
「気持ちねぇ……」
私は歩きながら小さく唸った。
そう言われたところで困る。恋をしているのはカインであって、私ではない。
ミモザとは長い付き合いの友人であり、カインはそれ以上に長くつるんできた悪友だ。二人のことはそれなりによく知っているつもりだったけれど、だからといって、人の恋路にまで最適な答えを出せるほど私は器用ではない。
それでも、長年の悪友が人生一世一代の告白をしようとしているのだ。少しくらい知恵を貸してやっても罰は当たらないだろう。
私は記憶の奥を探るように、何となく天井へ目を向けた。
宝石ではない。
金を出せば簡単に手に入るものでもない。
王女であるミモザでさえ、自分ではそう簡単に手にできないもの。
しばらく考えているうちに、ふと一つの光景が頭へ浮かんだ。
「……あ」
「なんだ?」
「宝石花は?」
その言葉に、カインがすぐさま顔を上げた。
「ほら、森の古代遺跡に咲いてたじゃん。前に三人で近くまで行ったときに見つけたやつ」
「ああ!」
ぱっと表情が明るくなるのを見て、私は思わず笑いそうになった。
本当に分かりやすい男である。
宝石花――その名の通り、花弁が宝石のような光沢を持つ珍しい植物だ。
一見すると水晶細工で作られた花のようにも見えるが、れっきとした生花である。日の当たり方によって淡い色彩が花弁の奥を流れ、見る角度を変えるたびに、硝子とも宝石とも違う不思議な輝きを見せる。
普通の土では育たず、古い魔力が長い年月をかけて染みついた土地にだけ自生すると言われているため、王都の花屋へ並ぶことはほとんどない。栽培も難しく、どれほど金を積んだところで必ず手に入るようなものではなかった。
だからこそ、王女への贈り物としては悪くない。
何より、自分の足で探しに行き、自分の手で摘んできた花なら、宝石商へ金を払って買った指輪よりも、カインが言う「気持ち」に近いように思えた。
「いいな、それ!」
「でしょ?」
「よし! 今から行こうぜ!」
勢いよくそう言われ、私は思わず足を止めた。
宝石花を提案したのは、たしかに私である。
けれど、夕陽が傾き始めた今から、王都の外にある森へ向かうつもりだとは思っていなかった。
「…………今から?」




